我慢強いユーザの罪

人間社会を円滑に運用していくためには、皆が自己主張をしているだけでは駄目で、ある程度の妥協や調和を図っていかなければならない。しかし、だからといって妥協や調和をまず第一に考えるような姿勢、あるいは妥協や調和をしか考えないような姿勢は問題の解決を放置する結果につながるものだ。

また、人間は学習し、適応することができる。これは時には悪いこと、つまり現状肯定という態度に連動しやすい。その結果、学習できる人や適応できる人が優れた人であり、学習できなかったり適応できない人は劣った人である、と見なされてしまう。

本当に人々はそうした妥協や調和や学習や適応の中に暮らしながら、それを当然のことと思い、それで結構と考えているのだろうか。

我々が当然のことと思っていることに不合理なこと不条理なことが数多く含まれているのは、ちょっと周りを見渡してみれば理解できるはずだ。計算機のハードウェアやソフトウェア、その他いろいろな電気器具、家具、住宅、家庭用品、食品、衣料品など、さまざまな人工物の中にそうした問題は偏在している。そして、それらの人工物を使用した結果、不愉快な経験をすることも多くあるはずだ。そうした日常の経験を一般の人々はどう受け止めているのだろう。自分の能力が足りない、努力が足りない、とでも考えているのだろうか。あるいはそうした問題に気が付かず、何も考えていないのだろうか。ユーザビリティという概念を機軸にして考えると、人々の我慢強い姿勢というものが、何か情けなく、不甲斐なく思えてしまう。

最近では、むしろメーカの方が製品のユーザビリティを一生懸命に考えている。ユーザの家庭や職場を訪問したり、ユーザを招いてインタビューをしたり、ユーザに協力してもらってユーザビリティテストをしたりしている。メーカがこうしたことに熱心なのはある意味で当然のことである。それはユーザビリティという属性が製品の魅力の一つとして重要であることを理解しはじめたからである。ここで疑問が生じるだろう。ユーザがユーザビリティという問題意識を持っていないなら、メーカはユーザビリティに関して努力する必要がないのではないか、ということである。ユーザビリティが本当に製品の魅力たりうるのか、ということである。しかし、この疑問は間違っている。実はユーザというのは、自分から積極的に改善のための努力はしないかわりに、受動的な選択をしているからだ。選択という受動的な形で、消極的ながら自分の意志を表現しているのだ。だからユーザに自社製品を選択してもらうためにメーカがユーザビリティに関する努力を重ねることは理にかなったことといえる。

しかし、ユーザはこうした宛てがい扶持の消極的対応をしているだけでいいのだろうか。もっと積極的に自分の利用する製品やシステムの利用品質を向上させようという気持ちにはならないのだろうか。メーカが聞きにくるまでじっと我慢して製品を使い続けることしかできないのだろうか。そうした姿勢をいつまでも続けていていいのだろうか。自分の生活、ひいては人生を共にする人工物に対して、もっと積極的に関わっていくべきではないのだろうか。自分の生活をもっと意味あるものにしようとは考えないのだろうか。

こうした点について色々考えていると、残念ながらやはりそれは無理なのかもしれないという思いが去来する。考えてみれば、我々の生活は「選択」という行為に充ち満ちている。食事をしにレストランや食堂に行っても、メニューから選択するのが基本的行為だし、時にはお任せといって自分の判断を放棄してしまったりもする。寿司屋でサビ抜きをお願いするのがせいぜいの積極的行為かもしれない。旅行をするにしても、旅行代理店の店頭にはパッケージツアーのパンフレットが山のように陳列されている。もちろん個人旅行という形で自分のイメージを実現しようとするユーザもいなくはないが。

選択ならまだましかもしれない。我々の生活には「受容」という行為しか許されないことも多いからだ。大学の授業では科目の選択ができるが、初等中等教育では基本的に与えられたカリキュラムを受容しなければならない。会社に勤めれば就業規則を受容して働きながら給料をもらう。法律を守るのは、悪法も法なりと考えれば仕方のないことかもしれないが、これも受容という基本的態度を醸成することに貢献してしまっている。

このように受容と選択に囲まれた我々の生活から、「創造」という意識を、そして行為を導き出すのは容易なことではないだろう。自分の生活を創る、だからそのために人工物のあり方に対して自分で考え、自分で工夫し、自分から発言し行動する。こうしたことを実行するのはとても大変なことだろう。こうした姿勢が育ちにくい状況の中では、ユーザの我慢強さを罪だといってしまうのは酷かもしれない。それでもまだ、「しかし」という気持ちが私の中には強く残っている。

公開:2002年6月3日
著者:黒須教授

分類キーワード