女性専用車両の差別に見るシステムユーザビリティ

お子様ランチは魅力的である。彩りも良く、魅力的にデザインされていて、量的にも小振りだからダイエットにも良さそうだ。しかし、これは大人が注文できないことになっている。これは差別である。食べたいという人がいるのに制度的に食べることが出来ないからだ。食べられないということは、程度が軽いとはいえ、一種の不快感、少なくとも不満足を引き起こす。小さなことではあるが、こうした制度はシステムユーザビリティに関する問題の一つといえる。しかし、こうしたレストランにおける差別が社会問題として取り上げられることはない。子供用のものを欲しいといって駄々をこねるのは大人げないと思うからだろうか。たかが食事のことだから、という考えもあるのだろう。もっとも、食事に関することでレディースランチサービスとなると、これはちょっと問題だろうとは思うのだが、ここでは食事から離れて、女性専用車両の問題を考えてみることにしたい。

東京の京王電鉄やJR東日本が深夜の一部列車に、またJR西日本が早朝の一部列車に、女性専用車両を設置している。これに対する調査の結果で、七割近い男女が賛成という意向を示したという。しかし、ちょっと待って欲しい。この問題の持つ差別的な側面について、もっと感度を高めて考えて欲しい。

女性専用車両を設置する目的の一つには、男性に多い酔っぱらいが女性にからんで不快感を与えることが多いのでそれを防止する、ということがあるようだ。痴漢対策という側面もあるかもしれないが、それは深夜に限らないから、深夜の列車に設置する主目的は酔漢対策という面が大きいのだろう。

女性の側には、こうした対策を歓迎する傾向が強いようだ。女性だけだと落ち着いて乗れる、という意見もあるようだが、それは結果であって、目的ではないだろう。また男性が賛成する理由としては、女性に文句を言われてトラブルになる可能性があるなら、それを未然に防止することに意味がある、と考えているから、と思われる。

しかし、もちろん問題は大きい。たとえば、女性専用列車が空いているのにそちらに移ることができず、混雑した車両に押し込められるのはいやだ、という不満が考えられる。しかし、もっと根本的な問題として、なぜ女性を専用列車に乗せるのか、なぜ男性を排除するのか、という点がある。一見、女性を保護しているように見えながら、ある意味で、結果的に女性を差別しているという昔の労働基準法のような問題点もあるだろう。女性を弱者、被害者、ひいては犠牲者と画一的にとらえてしまう単純な見方が本当に適切なものかどうかという問題がある。また、男性にとっては男性であるという理由だけで入ってはいけない場所ができるという問題もある。これは明らかな性差別である。そして、女性専用列車に入りたいという気持ちを持っていても入れない人がいること、その結果として不快感をもつ人がいることからすれば、システムとして設定された女性専用列車がユーザビリティの低いものである、ということになる。

もちろん酔っぱらいについては何とかしてほしいという気持ちはある。これは男女共通の問題だろう。大人しく寝ている分には問題ないのだが、わめく、足をのばして座っている、座席に長々とねる、吐く、周囲の人にからむ、けんかになることもある、時に痴漢行為に及ぶ、など、酔っぱらいには問題が多いことは確かだ。しかし、そうした行為の被害者は女性に限らない。男性だって、そんな酔っぱらいと一緒の車両に乗せられるのは不愉快なことだ。また、女性の酔っぱらいだっている。こうした非酔っぱらいの人々の不快感を解消することこそがシステムユーザビリティの改善といえるだろう。

とすれば、女性専用列車でなく、現実的かどうかは別として、酔っぱらい専用列車を設置するというアイデアもありうる。酔っぱらっていると自認する人はその列車に乗る。そこでは、どなっても徘徊しても吐いてもけんかをしても構わない。どんどんおやりなさい、というわけだ。しかし酔っぱらいの自覚に基づいたシステムは、酔っぱらいが適切な自覚を持たない状態になっていることを考えると非現実的であろう。

この問題に対する適切な対処の仕方は、乗っている人々が協力して適切に酔っぱらいの不快行為を諫め、不愉快な思いをしないですむように行動することだろう。いってみればシステム運用のやり方によってシステムのユーザビリティを向上させる、という考え方だ。私には、こうしたやり方を実現できることが成熟した社会であり、真のシステムユーザビリティの確立につながることだと思える。ユーザビリティというのは製品やシステムの作られ具合だけではなく、それをいかに利用するかという運用面を含めて考えられるべき概念だからだ。人々の自由意志にもとづく運用がどうしても不可能な場合には、新たなシステムを追加構築することも必要となるが、その前に、人々の善良な意志にもとづく行動に期待できる部分があることをもっと信じたい、と思う。

性に関するユーザビリティの問題にはいろいろなものがあり、その多くにおいては女性が差別される側になっている。しかし、女性が差別されるにせよ、男性が差別されるにせよ、性による差別はシステムユーザビリティの問題として、もっと社会的な意識の高揚が望まれる。女性が差別されているからといって、男性を差別するのでは、差別を増長しているにすぎないのだ。

公開: 2002年10月7日
著者: 黒須教授