クライアント中心設計

ある国のデザイン界の重鎮の先生とじっくり話をした。彼はUCDという言葉を頻繁に使っていたが、それはユーザ中心設計ではなく、クライアントに喜んでもらうことを第一に考え、クライアントの設定した締め切りに制約された、クライアント中心設計であった。

ある国でデザイン界の重鎮といわれている先生に招待されて出張し、彼とじっくり話をする機会が持てた。彼はUCDという言葉を頻繁に使っていたが、話をしているうちに、どうも彼が重視しているのはエンドユーザではなくクライアントではないのか、いいかえればUCDではなくクライアント中心設計なのではないかと思えてしまったので、ちょっとその話を紹介したい。

その先生の行ったプロジェクト

まず、彼が学生達を指導して実施したプロジェクトの紹介ビデオを見せてもらった。そのプロジェクトはある航空会社からの委託で四ヶ月にわたって実施したもので、ユーザに聞き取り調査をしたり、ユーザの立場にたって学生たちが実際に海外に行くためのチケットの購入段階、空港での行動、機内での行動、到着地での行動を調べ、その調査結果をもとに、ジャーニーマップを構成したりして、最終的には空港などでの情報提供に関するシステム的提案を行ったものだった。

提案されたシステムというのは、航空券にシールが付いていて、それを剥がして手の甲につけていくと、たとえば空港での出発ゲート案内に関し、所定の装置に手をくぐらすだけで、どのようなルートを辿っていけば目的のゲートに到達できるかを矢印で表示したりするようなものだった。まあ、学生が考え出しそうな類のアイデアではある。

彼は、それをイノベーションだと言った。普段から、イノベーションという言葉を安売りしないようにしようと言っている僕は、ちょっとカチンときた。ただ、それはまだいい。問題は評価がほぼ全くなされていない点だった。ユーザビリティ出身の僕にとって、そのアプローチは中途半端なものにしか見えなかったし、それをUCDということにも抵抗が感じられたからだ。

そのプロジェクトの問題点

まずユーザ調査をした段階で問題点について調べたのかを聞いたが、彼の答えはこうだった「いろいろ小さな問題はあるにせよ、何か新しいアイデアを出すことの方が大事だし、そうしたイノベーティブなことをクライアントは求めている。だからネガティブな問題については、それを取り上げなかった」と。まず、小さな問題と一括してしまう彼の発想が理解できなかった。それに、そもそも「空を飛べない」という不満が飛行機という大発明の大元になっているではないかと僕は言った。しかし、彼にしてみると、そうしたことも「小さな」問題の一つに過ぎないようだった。

さらに手の甲に貼り付けるシールのインタフェースについて、問題点の洗い出しをしたのかと聞いたが、それもやっていないという。ひとつはクライアントから提示された期間が短かったことと、そうしたことも、やはり「小さな問題」に過ぎないから、というのが彼の答えだった。しかし、手を通す装置がどこに設置してあるのかが分からなければ、そのシステムの意味もないだろうし、そもそもゲート番号表示がしっかりしていれば、大きな問題はないだろうという僕の指摘に対し、彼は答えず、別の話をし始めた。

もちろん、アイデアの実現方式については色々あるだろうし、シールを貼るのではなく、いわゆるIoTの技術を使うことだって考えられる。だから、シールインタフェースについて「こまかな問題点」を洗いざらいだすことには意味のない面もあるだろうが、少なくともHCDプロセスと言われているISO 13407以来の考え方には適合していないではないか。どうもクライアントの要望に添うことに注力しているようで、それはクライアント中心のアプローチではないか、とコメントした。それに対して彼は不満だったようで、猛烈に喋り始めたのだが、その話のなかに、ユーザは誰であるか、そのためにどういうことを考えようとしているのかは殆ど含まれていなかった。

うーん、やはり彼もデザイナーの一人なんだな(この言い方には、むろん、僕の考え方のバイアスも含まれてはいるが)。そして巧みに産業界の人たちにアピールし、彼らを顧客としてコンサルテーションをしている人なんだろうな、というのが僕の印象だった。

飛行機の客として不便に感じたり、不満に思ったりしていることといえば、たとえば座席が狭くて窮屈なこと、真ん中の席に座るとトイレに行くたびにいちいち断らなければならないのが面倒なことなど、いろいろなことがある筈だが、やはり彼にとっては「小さな問題」に過ぎないということだった。

クライアント中心設計

彼のアプローチは、帰国した今から振り返って考えてみても、やはりクライアント中心設計であり、ユーザ中心設計ではないと思う。クライアントに喜んでもらうことを第一に考え、クライアントの設定した締め切りに制約され(もちろん締め切りは大切だが、最初の全体計画の段階で評価のフェーズを入れておけば良かっただけのことである)と、すべてクライアント、クライアントなのだ。クライアントは、あまりに重大で、あまりに実現困難なことは喜ばない。しかし、いつも書いているように、ユーティリティの良さは、ユーザビリティの問題を打ち消してくれるわけではない。そのことを彼に説得しようとして色々と試みたのだが、結局は無理なことだった。まあ、そのアプローチでずっとやってきた人が、僕のコメントで宗旨替えをするようには思えないから、それも致し方なかったことだろうけれど…。

ついでながら、イノベーションという言葉はあまり頻繁に、軽々しく使って欲しくないな、という気持ちは今でも強い。昔、Winogradはエンジニアにはデザイナに学ぶべきところがある、と言っていたが、さてデザイナの仕事で本当にイノベーティブだといえる事例って過去にどれほどあるのだろう・・などとも思ってしまう。誤解なきように追記しておくと、これは、デザイナーに対峙した立場からの発言ではなく、しばらくの間企業のデザイン部門に身をおいた者としての発言である。

公開: 2015年7月23日
著者: 黒須教授

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