飛行場のユーザビリティ

  • 黒須教授
  • 2002年11月18日

旅というのは二通りある。目的地があり、そこに到達して目的の行動をする場合と、目的地は特になく、移動しながらいろいろな経験を積むことを目的とする場合である。多くの場合、出張や帰省、観光旅行などは前者であり、比率からいっても前者の方が多いだろう。

そうした旅をユーザビリティの観点から考えると、効果的に効率的に満足を得られるように目的地にたどり着く、ということがまず必要になる。目的地に着いてからも同じような基準が適用できるだろうが、あまりに効率性を重視すると、しばしば日本人の観光が批判されるように、バスであちこちを見て回り、一カ所一カ所に落ち着いて滞在しないというようなパターンになってしまう。したがって目的地での行動では、効果的と満足感が重要な項目となるだろう。

目的地にたどり着くまでの移動のプロセスにおいては、反対に効率性が重要である。移動の間の長い時間は一般には耐え忍ぶべき無駄時間と考えられている。もちろんそれを読書の時間、物思いにふける時間、まわりの風景を眺める時間、というように効果的に位置づける人もいるだろうが、基本的にはもっと効率的であるにこしたことはないだろう。

目的地への到達を効率的にするために、歩く旅に対して様々な移動手段が開発されてきた。その結果、飛行機という、ちょっと自然法則に対して無理をした交通手段も登場してきたわけだ。

飛行機というのは非常に脆弱な移動手段である。天候不順の場合もそうだが、特にテロなど安全面ではとても弱い面をもっている。いったんハイジャックされてしまえば100人以上の人たちが一蓮托生となる。しかも空中に浮いているという不自然な状況を利用した移動手段であるために、墜落という危険性を常にもっている。9/11事件のような極端なケースも起こりうる。

そのために飛行場では慎重な対応をとっている。安全検査は年々こまかくなり、パソコンは鞄から出すように求められるようになったり、傘の骨をピンと間違えて詳細検査をするような神経質な検査をしなければならなくなっている。金属探知ゲートを通っても、さらに十文字形に固まって、金属探知器で体のあちこちを探られ、時にベルトのバックルをはずされたり、非常に不愉快な思いをすることが多い。そんなとき、先日アメリカで経験したのだが”Thanks for your patience”という言葉は、相手に対する心遣いとしてとても気持ちのいいものだった。彼は最後に”Have a nice trip”とまで言ってくれた。こうした人間的対応がなされると、ともすると人体をモノのようにしか扱わない身体検査のプロセスを満足できるものにしてくれる。ここには、安全性のための効果性を重視するあまり、満足感を犠牲にしてはならない、という教訓がある。

しかし飛行場における様々なプロセスは、全体として見たときに、十分に効率化されているとは思えない。たとえば国際線に乗ってサンフランシスコ空港に着くと、まず入国審査がある。ここで長い行列がある。審査官はたいてい無愛想で、ようこそいらっしゃいました、という態度が見られない。アメリカの場合は、サンフランシスコ経由でカナダにゆく場合にも、必ずアメリカ入国の手続きが必要である。単なるtransitなのだから、空港内を移動させて次の飛行機のゲートまで行かせればいいと思うのだが、そうはなっていない。非効率である。

次に荷物をみつける。カルーセルに荷物が出てくるときの様をみていると、さも運んでやったぞ、という感じでぼんぼんと放り出されるようにでてくる。これも不愉快である。アメリカの場合、税関検査はだいたい簡略なのでその点は楽だが、そのあとすぐに、乗り継ぎの場合には荷物を預けることになる。乗り継ぎ客にとっては、こんな作業はオーバヘッドに過ぎないのだが、いまだに改善されていない。改修前のサンフランシスコ空港では、この後で上のフロアの出発ロビーに行かねばならなかったが、その案内がとても不親切だった。改修されて、同じフロアを移動してゆけばいいようになったのは効果性を考えたせめてもの改善といえよう。そして目的のゲートに行く前に、また身体検査である。この不合理な流れを改善しようという考えは誰からも提案されないのだろうか。もっと簡略化できる部分もあるし、もって人間的な対応にできる部分もある。

こうした問題は、サービスのユーザビリティの一例である。飛行機会社と入国管理事務所双方に、もっとユーザビリティ意識があれば、もっと快適な飛行場経験をすることができるだろう。こんなことを考えていると、ユーザビリティについて考え、意識しながら行動することというのは、世の中のすべての人にとって必要なことなのではないか、と思えてくる。