ユーザビリティの教育

ユーザビリティやユニバーサルデザインの教育は、初等教育から始める必要があると思っている。これは知識ではなく考え方の問題なので、幼いころから教えておく必要があるからだ。特に小学校における教育では、次のようなことを教える必要があると考えている。

1. 人間の多様性

これはユーザビリティの基礎となるユニバーサルデザインの考え方であり、ユーザの多様性についての話だ。人間には、年齢の違いや障害の有無、身体形状やサイズの違い、性差、文化や言語の違いなどさまざまな違いがあるということをまず理解させる。ともかく多様な人々がいること、そしてそれらの人々がどのような特性を持っているのか、それによってどのような点に苦労する可能性があるのか、といったことを教える必要があるだろう。

まだ、小学生の段階では、それらの多様性の中に、障害の有無や年齢などの量的な違い(prothetic)と性別や文化や言語などの質的な違い(metathetic)という二種類の属性があるといったことは教える必要はないだろうし、そうしたことを教えると却って混乱するかもしれない。その意味では、ユニバーサル関係者が時々使うように、それらはみな「個性」のようなものだ、という言い方がいいかもしれない。

高学年になれば、いろいろな多様性について、少し詳しく教えることができるだろうが、低学年の場合には、利き手の問題や手の大きさ、身長の問題など、自分にとって身近な問題を題材にするのがいいかもしれない。世の中には右利きを基本にしたものが多くて左利きの人は苦労していること、手の小さい子供達にはパソコンやピアノのキーボードは使いにくいこと、身長の低い子供達には自動販売機などが使いにくいこと、などを例にとりあげると分かりやすいだろう。そして、そうした人たちにも使いやすいものが必要なのだ、すべての人がそれなりにやりたいことが出来るようにすることが大切なのだという考え方を教える。

2. 他人への思いやり

ユーザビリティ教育の最初の段階は、まず自分の視点から、自分にとって使いにくいものを探させることが第一歩だが、それにとどまらず、多様な特性をもっている他の人々にとってどのようなものが使いにくいかを考えさせることが次に必要になる。これは自分と他人とが違うという認識を基礎にするものであり、自分を基準にして考えているだけでは他人のことは理解できないのだということを教えることだ。

これは他人の立場にたつという視点の移動という認知操作をともなうから、低学年では難しいかもしれないが、高学年になれば可能だろう。他人の立場にたってものごとが考えられるようになれば、成人してからも、自分の考えだけで物作りをしてしまうような設計者は少なくなることが期待される。

また、そうしたことが単なる同情や憐憫の気持ちとは違うものであることも教えなければならない。特に障害者関連で、こうした点は重要である。これはかなり難しいことなので、高学年、もしくは中学になってから教えるのがいいかもしれない。

3. 使いにくいことは悪いこと

ユーザビリティに関して、現在の大人のユーザは自罰的な傾向を持っている。使えなければ、自分にそれを使う能力がないのだと考える傾向がある。こうした傾向は、自分本位なものづくりを続けるメーカーの現在のあり方を助長してしまうことになるので、まず、ユーザとしての権利意識を教えることが必要だ。対価を払って購入したものや税金を払って作られたものに不備があるのは良くない、という基本的な考え方については、しっかりと教える必要があるだろう。

ただし、何でも他罰的になるのでなく、どうしてそういうものができてしまうのかを理解し、それに対して、正当な権利主張をすべきこと、どのようなアクションを取るべきかを教える必要がある。権利主張だけを行うのでなく、問題をなくすためにユーザとしてなすべきことが何かを教える。これは権利と義務の関係の話になるので、ちょっと難しいから、やはり高学年になってからだろう。

4. その他

どうすれば誰にとっても使いやすいものが作れるかということを教えるのは、小学生にはちょっと難しいかもしれない。大量生産のシステムの発達のような産業構造の変化との関係から、人間中心設計の考え方などについても教えたい気はするが、こうした話は中学生になってからがいいのかもしれない。

このようにして、基本的な考え方を小学生のうちに教育しておけば、ユーザとしての責任を自覚し、行動するユーザが育ってゆくことになるだろう。

公開:2003年3月24日
著者:黒須教授

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