われわれは本質を目指しているのだろうか

  • 黒須教授
  • 2004年4月19日

ユーザビリティの活動が評価中心であった時代には、目標は明確だった。現実に使いにくいもの、分かりにくいものがあり、それを使いやすくすること、分かりやすくすることが必要だったからだ。しかし、ここで大切なのはどういうものの使いやすさや分かりやすさを問題にしてきたかということだ。成熟商品というのは、社会におけるニーズが明確なものであり、だからこそ成熟するまで市場に広まってきたといえる。そうしたニーズがありながら、その機器やシステムを使って目標を達成しようとするときに阻害するものがあった。だから評価活動によってその阻害要因を明らかにし、ユーザのニーズの充足を支援することが必要だった。こうした評価中心のユーザビリティ活動は、生活や業務における基本的なニーズの充足を行う機器やシステムについて実施するのであれば有意義だが、もともとニーズが明確でないような商品についていくらそのユーザビリティの向上に努力しても無駄に時間とエネルギーを浪費するだけである。

近年、ユーザビリティ活動が上流工程をめざし、商品のコンセプトまで遡ろうとする傾向がでてきたが、それはそれなりに適切なことだと思う。ただし、たとえば成熟商品の場合、ニーズは明確なはずなのだが、本当にそのニーズに適合したコンセプトになっているのかどうかを再確認するというような活動、あるいは時代の推移によって生じたかもしれないニーズの変化を確認しようという活動はとても重要だといえるのだが、今起きていることはそれだけではない。何か新しい商品開発ができないかを模索する、探索型、さらにいえば隙間探索型のアプローチも結構多いからだ。それはそれで重要なこともある。我々が当然のことと思って生活しているさまを改めて振り返ってみると、そこに新しい人工物、すなわち新しいコンセプトをもった機器やシステムによって支援されるべき課題がある、という可能性は否定できない。

しかし、ひょっとすると、我々が狙っている領域には本質的な課題はそれほど多くは残されていないのかもしれない、という気がすることもある。ユーザビリティ活動を含め、人間の活動はその本性からして基本的に過去から現在に至るベクトルの外挿からなりたっている。過去のアプローチを、過去において目指していた領域をいくらほじくり返しても石ころしか出てこないこともあるだろう。そうした時には場所を変え、領域を変え、アプローチを変えることが必要だ。

学会の消長にもそうした傾向がある。ある時期には活発な動きを示し、社会的に有用な提案や開発をもたらした学会が、その功績によって組織を固めたころには、実はその領域にはもはや発展の可能性が残されていない、ということもある。今年のACM SIGCHIのプログラムを見ると、CHI(Computer Human Interaction)、いわゆるヒューマンインタフェースの領域でもそうしたことが起きているような気がした。私にとって、この2,3年、急速に魅力を失ってきたSIGCHIなのだが、そこには無理をしてでも新しいことをやろうという動きはあるのだが、何か本質からはずれているのではないかという印象をもたらす研究発表が多くなっている。この学会が立ち上がった頃の活気は既に失せているような気がする。

対人的なインタフェースについて振り返ってみると、機械的なインタフェースについては、人間サイドから人間工学が、エンジニアリングから電気工学や機械工学が取り組んできた。また電子的なインタフェースや情報のインタフェースに対しては、人間サイドから認知心理学が、そしてエンジニアリングから電子工学や情報工学や通信工学が取り組んできた。これらの研究領域はそれなりに成熟した機器やシステムを提案し、開発し、それがユーザのニーズに合致して市場を形成してきた。しかし、エンジニアリングそのものは人間に関与しない部分でも発展の可能性をまだ持っているだろうが、人間科学とエンジニアリングの接点であるインタフェース研究においては、これらの領域はすでに飽和しかけているように思う。

それでは問題はもう片づいてしまったのだろうか。世の中にある対人的インタフェースの領域で、ユーザリサーチを適用すべき本質的な課題にはすべて手が付けられてしまったのだろうか。いや、そんなことはないと思う。ただ、これまで、そして現在手がけているような領域ではない可能性が高いということだ。私は、それが従来の単品を中心にした領域からシステム的な領域、特に大規模システムの領域に移行すべきだと思っている。都市や建築のシステム、交通や物流のシステム、医療のシステム、政治や自治体のシステム、放送や報道のシステム、教育のシステム、家庭というシステムなどなど。これらのシステムについては様々な努力が注がれてきたものの、未だに理想的な状態からは遠いところにある。いいかえれば、人々のニーズに十分に答え切れていない。未だに成熟しきっていないのだ。こうした領域における大規模システムユーザビリティが私にはこれから取り組むべき本質的課題であるように思われる。また、そのためには人間工学や認知心理学などに加えて社会学などのアプローチが組み込まれる必要がある。

CHIという言葉をもじっていえば、SHI(System Human Interface)がこれからの領域だ、ということになる。もちろん、そうした大規模システムの実現には既存のコンセプトにもとづく機器やシステムが活用されることも必要であり、それは従来のインタフェース研究から乖離したものではない。したがって、既存の機器、システムについての伝統的なユーザビリティ活動、特に評価活動は継続的に行う必要があるが、設計の上流工程から取り組むべき課題は、こうした大規模システムの領域に求めるべきだと思われる。狭いところをほじくるような上流指向のユーザビリティアプローチはやめて、これらの領域に取り組むことが効果的だし、また必要だと思う。

ただし、一つ問題がある。ユーザビリティについて一般論を語ることができる私のような立場は特殊なものであり、現場で実際のユーザビリティ活動に従事している方々は、その活動領域が所属企業の製品分野に限定されてしまう。これまでとは別の領域に大きな課題があり、ユーザビリティの方法論が適用されるべきだとしても、それらの人々がすぐに手をつけましょうというわけにはいかない。また反対に、新たな領域においては、まだユーザビリティという概念とその必要性が認知されておらず、活動に従事すべき人もいない。そうした点で、ユーザビリティの問題提起はさらに熱心に新しい領域に対してなされてゆかなければならない。世の中のあらゆる領域でユーザビリティという理念が関係者の目標となることが大切であり、その状態を目指してがんばってゆかねばならない。