人間中心設計のスピード

人間中心設計の工数を的確に予測するための算法を確立し、中間管理職の人たちに対して納得性のある数値を示すことができれば、人間中心設計がもっと普及するようになると考えられる。

  • 黒須教授
  • 2014年5月21日

日立の社長交代と、意思決定のスピード化

2014年1月8日に日立製作所の社長が東原氏に交代したことが報じられた(編注: 社長交代会見は1月8日ですが、社長交代は4月1日です)。ロイターのサイトによると、社長交代会見で「グローバルな競争に勝つために意思決定などでスピード感のある経営に転換するとともに、日立の強みである『100年の物づくりの力』は変えず、安全・品質を引き続き重視する意向を示した」とある。

この通りの発言であり、その通りに社内に浸透していくならいいと思う。特に注目したいのは、「意思決定などでスピード感のある経営」という点だ。昔の話になるが、異なるブランドのパソコンを複数の事業部で作っていたり、複数の研究所で同じような研究を競っていたりしていたことがあったようで、そうした研究開発のリソースを統合すればもっと競争力が付くだろうに、と思ったことがある。また、時代がパソコンに移ってからもしばらくの間ワープロ事業を継続していた決断の遅れも、リソースの無駄として感じられた。もちろん、他社でも多数、同様の事例があったように思う。たとえば日本電気のパソコンの独自仕様から世界仕様への切り替えのタイミングの遅れや、ソニーにおけるβの切り捨ての決断の遅れやメモリスティックへのこだわりなどが、同様の事例として指摘できるだろう。

そうした事業の統廃合や方向付けについての意思決定をスピーディーにするのは良いことだろう。しかし、と、ここでいつもの批判癖が首をもたげる。果たして組織の末端まで、その考え方が適切に浸透していくかどうかが気に掛かる。つまりスピーディーという言葉が一人歩きをしないようにする配慮だ。トップレベルでは正しく解釈されていたとしても、中間管理職のレベルになると、スピーディーにするということを、無駄な時間を省くというように解釈し、かつ、その人物が人間中心設計の考え方に疎い場合には、ユーザ調査やユーザによる評価などは時間がかかるからもっと短縮しなければいけない、というように解釈してしまう危険性があるからだ。

先の東原氏の発言のポイントは、事業の意志決定をスピーディーにすることにあり、設計プロセスを短縮すると言ってはいない筈だ。本来なら、事業決定がスピーディーになれば、従来より、ユーザ調査をきちんとやる時間ができるだろう。ユーザビリティ評価をするにしても、そのための時間をきちんととった開発計画が立てられる筈だ。それによってゴーサインのでた事業の内容が質的に向上し、顧客の信頼が得られる製品やサービスを提供できるようになるだろう。そうした形で、事業全体としてメリハリのあるスピード化を図ってもらいたいものだ。

人間中心設計のスピード

ここで、特定の企業の話ではなく一般的なレベルで人間中心設計のスピードのことを考えてみたい。ラピッドプロトタイピングやアジャイル手法などの設計効率化のための手法がいろいろと提案されてきているが、設計にはそれなりの時定数があるように思う。無駄を省くことは大切だが、必要な時定数を割ってしまうようなことは避けるべきだ。

たとえば、ソフトウェア開発では、予想された規模が何キロステップだとすると何人月分の工数がかかる、といった予想がなされるが、同じような時定数の考え方は、ユーザ調査やユーザビリティ評価などにも適用できるだろう。プログラミングの場合には、高速フーリエ変換のような難度の高いアルゴリズムを考える場合と入出力部分の記述のような難度の低い場合とがあるが、おしなべて全体としておよそ何キロステップになるかがそれなりの誤差範囲で予想できるものだ。同様に、ユーザ調査やユーザビリティ評価についても、製品やシステムの種別によってどの程度の規模のものをやればよいかが予想できるようになると考えて良いだろう。

その意味で、人間中心設計の工数を的確に予測するための算法を確立する必要があるだろうと考える。中間管理職の人たちに対して、納得性のある数値を示すことができれば、人間中心設計がもっと普及するようになると考えられる。ニールセンが何人の評価者でヒューリスティック評価をやればよいかを示したデータは、あちこちで引用されているが、そうした試みをもっと突っ込んでいくべきだろう。たとえば、製品の多機能性に関するユーザビリティ評価であれば、それぞれの機能についてどの程度の数のタスクを設定すれば良く、またその組合せについてどの程度のタスクを設定すれば良いかを数値的に示す、というような試みだ。また、ユーザ調査についても、予想される市場のスケール(市場と目される地域やユーザの多様性など)や製品やシステムの利用状況の幅などによって、どの程度の規模の調査をすれば良いか、というようなことを考える必要があるだろう。最初の段階ではゼロ次近似であって構わない。徐々にその予測精度を向上させてゆけば良い。

参考文献

ロイター: グローバル競争に勝つためスピード重視=日立次期社長