ISOの委員会への取り組み方

  • 黒須教授
  • 2007年1月9日

ユーザビリティ関連の規格を審議する場に幾つか参加してきて感じたことだが、こうした規格に自分たちの考えを反映させようとするなら、会議に参加することは必須といえる。

規格委員会への参加の仕方には幾つかのスタンスがある。一つは委員会へ出席し、そこで自分たちの意見を述べ、それによって自分の意見を中に盛り込ませようとする人たち。もう一つは、委員会に出席しているけれど、どちらかというと消極的で、他人の意見を拝聴している人たち。これは日本人に多いパターンであるが、日本人だけではない。三番目は、委員会には出席しないけれど、国内でまじめに議論を行い、その結果をドキュメントとして委員会に送付してくる人たち。最後は、委員会への意見提示も積極的に行わず、最後の投票の段階でだけ参加をしてくる人たち、である。

これまで日本の関係者の取り組み方は二番目か三番目のスタンスが多かったように思う。会議に参加していても、語学のハンディの問題、もしくはコミュニケーションがうまくとれないのではないかという意識の問題があって、会議に参加していても、必ずしも積極的に発言をせず、意見聴取に留まってしまうことが多かったように思う。国内委員会では結構熱心に意見を出し合っているのだが、結果的にみると、それらはあまり大勢に影響を与えることが少なかった。

委員会に欧米から参加する人たちは、必ずしも国の代表という意識が強いようには見えず、むしろ個人としての発言が多いように思う。イギリスのメンバーは特にその傾向が強く、イギリスとしてのまとまった意見はどうなっているのか、と疑問に思えるほど多様な意見がでてくるし、時に国内で意見対立が起きることすらある。

こうした積極的な意見提示が行われる場で、意見聴取的なスタンスで参加していても、その参加の意義は少ない。関心があることは示せても、その意見が規格に取り込まれることは少ない。たまに意見提示をしても、議論は動的に変化する。いつしか、その話題からそれて、当初の問題提起や意見は忘れられてしまうこともある。こうした時、しつこいほど自説に固執し、頑強に他人の意見を否定するというねばり強さが必要である。その点で日本人はどちらかというとあっさりと諦めてしまう傾向が強いように思う。

国内委員会で意見をとりまとめて文書で送った時も同様である。それらの文書は無視されることはない。ちゃんと参照される。しかし補足説明がないために、かなりあっさりと読み飛ばされ、具体的な議論でその話題が取り上げられることは少ない。

このような状況を見ていると、事前に国内で委員会を開き、委員会に参加できない委員の考え方をヒアリングし、それを委員会の場で提示するという努力だけでなく、むしろ国内代表という意識を捨て、個人として議論されている内容に対してどのようにコミットするかを考えた方がいいように思えてくる。要するに、国際規格といっても、実態はかなり個人的な意見の集合体なのだ。そしてそこに反映されるのは、その委員会に出席した委員の意見が色濃く反映されるものなのだ。

さて、委員会として意見がまとまり、原案ができて審議となると、実は四番目の人たちの存在が大きな意味をもってくる。つまり、委員会には参加せず、投票だけを行う人たちである。一般的な傾向として、この人たちは、原案に反対することは少ない。反対するために、その理由を考えて明示的に表現することを厭うからかもしれないが、ともかく賛成に回ってしまうことが多い。規格原案にいかに問題があろうとも、その問題については委員会に参加していないと理解することは困難である。そのような理由から、原案が投票にかけられ、それが否決されることは稀である。

ということは、第一の人たちが規格原案の策定を行い、第四の人たちがそれを支持し、その結果として規格が制定される。大変にラフな言い方ではあるが、こうした傾向があることは否めない。

これがISO規格策定の現状であるとするなら、我々としてどうすべきかは明らかである。もちろん英語が堪能であるに越したことはないが、言語のハンディキャップなど意識せず、どんどん積極的に委員会に参加して発言し、誤解があるならかならずきちんと訂正し、忘れられそうになったらしつこく主張する。そうした対応をすることで日本の意見が反映されることになる。

もちろん、規格のエディタとなり、日本発の規格を提案するのも大変望ましいことだ。国際規格の審議では、各国の国内事情が異なるため、必ずしもすべての意見がすんなりと受け入れられることは多くない。またエディタの権限はかなり大きく、でてきた意見を取り入れるかどうかはかなりの部分、エディタの裁量によって左右される傾向がある。その意味では自らエディタとなり、自分たちの国内事情を反映しつつ規格を作り上げてゆくという姿勢を持つことはとても大切である。

ただし、それは大変な努力を要する。ユーザビリティ関連の規格のエディタとなっている人たちと話をすると、彼らは著書を出していることは少ないし、論文も発表しないことが多い。要するにほとんどのエネルギーを規格策定に注いでいるのだ。こうした人々に互して戦っていくには、相当のエネルギーと時間を必要とする。彼らが言うには、彼らはそうした規格策定に関与し、議論することに喜びを感じているそうだ。規格を「定められたもの」としてスタティックに受け止める傾向のある日本人と対比的に、「定めてゆくこと」に動機付けを感じるダイナミックなスタンスを持っているのだ。

さあ、次世代の若い皆さん、どんどん国際委員会に参加してください。そして我々が切り開いてきた素地を拡大し、日本の意見を世界の規格に反映させるよう頑張ってください。