ついに出た、JIS Z 8530:2021

今回は、人間中心設計に関する国内規格・2021年版JIS Z 8530について、そのポイントを見ていくことにしたい。これは、2019年版ISO 9241-210の(部分的に修正がいれられた)日本版である。

  • 黒須教授
  • 2021年6月15日

これが標準訳になるか

ISO 13407が1999年にでて、翌年JIS Z 8530:2000として日本で公開されてから、もう21年が経過した。この規格は、人間中心設計という概念を広め、ユーザビリティに対する社会的関心を高めたものとして、大きな意味を持つものだった。筆者も『ユーザ工学入門』(1999)とか『ISO13407がわかる本』(2001)などを出して、その概念の普及に努めた。

その改訂版がISO 9241-210という番号に変わって2010年にでたが、これは当時流行していたUXの概念を未消化なまま導入したり、ちょっと無節操に内容を拡大したようなバージョンで、当時SC4/WG6の日本のミラーグループの主査をしていた僕やメンバーの人達(現在のグループ主査は理研の福住さん)は、次の改定で内容が落ち着いてから翻訳JISを出そうかと話合い、翻訳作業は放置した状態にあった。

ただ、当時『UXの教科書』(2016)を出した千葉工大の安藤さんは、UXをJIS規格としても明確に位置づけたいと考えられたのだろう、その翻訳JISを出すことを決め、彼が委員長となってJIS化委員会が設置され翻訳作業にとりかかった。僕も委員のひとりとして参加したが、全体委員会は部分的な翻訳の適切さに関する議論が中心となってなかなか進捗せず、最後には委員長に託す形で翻訳が行われ、ISO規格がでてから9年後の2019年になってJIS Z 8530:2019として公開された。これで、ようやくUXを含んだ内容のJIS規格が世にでたことになった。僕も『人間中心設計の基礎』(2013)では、(まだJISの2019年版ができていなかったので) ISOを自分なりに訳して引用した。

ただ、ISOの委員会の方では、その後も議論が継続されてきており、たまたまではあるが旧版のJISが公開されたのと同じ2019年に、ISO 9241-210:2019が公開されてしまった。そして、今回は内容的にまだまだ問題は残っていたが、2010年版よりはましになったと考えられたため、さっそく法政大の橋爪さんが委員長となってJIS化委員会が設置され、2020年にはほぼ作業を完了し、2021年の公開に至った。今回も僕は委員の形で参加したが、国際規格との整合度合いに関しては、2019年版のJISがIDT (ISO規格のそのままの翻訳版)だったが、2021年版ではMOD (部分的に修正がいれられた版)となったため、委員会が手を加えた部分について多少の議論はあったものの、最終的にJIS規格として集約されることになった。人間中心設計に関するJIS規格は、このような経緯をたどっている。

ちなみに、ISO 9241-11:1998をJIS Z 8521:1999としたJIS化の際には「使用性」と訳されていた「usability」はJIS Z 8530:2000で「ユーザビリティ」と訳されることになり、JIS Z 8530:2019までは「ユーザー」と音引きしていた「user」は、JIS Z 8521:2020とJIS Z 8530:2021では「ユーザ」と訳されることになった。

今回のJIS Z 8530:2021は、もとになったISO 9241-210:2019が2010年版よりは受け入れ可能なものになっていたことと、JIS化委員会で相当の議論の末、訳文が決定されただけあって、高校生でも読める文章にこなれている。(実際、委員の一人のお嬢さんが高校生で、彼女にチェックをしてもらったそうだ)。

ISO委員会には日本側から、まだ規格として不完全と思われる点について意見提示がされているそうで、これで最終版とはならないだろうが、次の改定ではそれほど大きな改定はなさそうだと予想される。

今回は、この2021年版のJIS規格について、そのポイントを見ていくことにしたい。

本文に入る前に

実は、冒頭に、この規格の審議部会は日本産業標準調査会の標準第一部会であり、審議専門委員会は、高齢者・障害者支援専門委員会なのだと書かれている。ISOのTC159は人間工学に関するものなので、人間工学専門委員会というものがあってもいいように思うのだが、なぜか「高齢者・障害者支援」の委員会なのだそうだ。もちろん高齢者や障害者の支援は大切なことだが、人間中心設計の視野の広さを考えた時には、適切とは思えない。まあ、この委員会で引っ掛かることはないみたいだからいいのだけど、何か割り切れない気持ちがある。

さて、本文は

2019年版のJISが公開されたときには、それを読解する会が開かれたと聞いているが、今回の2021年版の本文は日本語がこなれているため、そうした会を開かずとも、関心のある人がひとりで読解することができるだろう。そのため、今回の原稿では、本文についてのコメントはカットして、詳細に書かれている「解説」の部分を元にしたいと考える。

ただし、ISO 9241-210:2019の人間中心設計の活動の相互関連性を示す図は、ISO 9241-210:2010に対してかなり加筆がされているため、ここにJIS Z 8530:2021の図を引用させていただくことにする。基本的な4つの活動とその間の関係(矢印と破線矢印)には変わりはないが、それら全体が「人間中心設計の活動」としてくくられ、その前に「人間中心設計の計画」が位置している。これはISO 9241-210:2010との大きな違いである。つまり、ISO 9241-210:2010では、図の全体が設計活動に見えるような書き方になっていたが、ISO 9241-210:2019では、計画の段階が設計とは異なることを明示したわけである。

人間中心設計の活動の相互関連性を示す図

また、設計活動における四つの活動のそれぞれについて、その結果としてもたらされる出力(文書)が例として表示されていることも大きな違いである。ただし、「ユーザグループプロファイル」や「現状シナリオ」や「ペルソナ」が「利用状況の理解及び明示」の出力となっている点は、「利用状況の理解及び明示」の段階が、いわゆるユーザ調査に該当するとしたら、かならずしも適切な呼び方ではない、等の不満は残されている。これは、この四つの活動の区別がISO 13407以来のものであり、当時は必ずしも人間中心設計の活動が具体的に考えられていなかったことと関係するだろう。理念や概念としての人間中心設計はあったとしても、それぞれの活動段階の中で、実際にどのような活動をするかが具体的には考えられておらず、それをそのまま引きずってISO 9241-210としてしまった点にそもそもの原因があると考えられる。ただし、これは2021年版のJISの話ではなく、2019年版のISOについての話なので、ここまでとしておく。

解説について

規格の一部ではないが、2021年版の解説は充実しているので、ここは是非とも一読されることをお勧めする。以下にポイントをまとめる。

  1. ISO 9241-210は、ユーザビリティ概念を定義したISO 9241-11と関連しているので、同規格の改訂版であるISO 9241-11:2018のJIS版であるJIS Z 8521:2020との対応をとったことがポイントである。ISOの規格は相互に関連しているので、JIS化にあたっても、関連規格における動きを確認し反映しておくことは必須である。
  2. 用語定義の8割以上が変更。特にICTの世界では動きがはやく、人間特性に関する用語はあまり変化しないとしても、技術や社会に関連した用語は変更が必要となる。8割以上というのは驚きだが、そのくらいの変化があったということだろう。
  3. HCQ (Human-Centered Quality)という概念。このHCQはもともとはISO 9241-220:2019で言及されたものだが、今回のISO 9241-210:2019で新たに記載されている箇所が生じたのである。他の概念とのオーバーラップもあり、さらに、そもそも「品質」なのかという疑問もあった。ISO委員会で日本側は当初から反対の立場をとってきたが、結局そのまま審議を通過してしまったため、特に日本側としては承服しがたい空気が残っていた。この問題もあり、IDTとしてISOの直訳版を出すことは不適切と考えられたため、MODという加筆修正を行うやり方で翻訳版を出すことになった。
  4. JIS化委員会では、上に掲載した図で、二種類の矢印(実線と破線)の違いが分かりにくいという指摘があった。たしかに、ISO 9241-210:2010では、「なんとなく」二種類の矢印が導入されていて、特にその区別もされておらず、規格としては不適切と考えられたので、図の注釈を下部に入れることとなった。
  5. 最も注目すべきなのは、ユーザビリティとUXの関係である。ISO 9241-210:2010では、UXは「対象の利用又は利用を想定した知覚及び反応であり,ブランドイメージ及びし好にも影響する」とされていたが、この定義が品質をあらわすものか価値をあらわすものかが明瞭でない、という批判を日本側が提起した。しかし、ユーザビリティとUXを同じような意味で使うこともあるという(反論になっていない)反論があったりした結果、UXを「インタラクティブシステムの設計に関連するところだけを対象とする」という注釈をつけて、制限付きの定義にすることとなった。さらに、UXをユーザビリティの意味で使っているところについては、そこをユーザビリティと訳すことにする対応がとられた。
    UXとユーザビリティについては、一般の関係者の間でも混乱が見られるが、それを正すのがむしろ規格としての役割であるはずなのに、ISOでそうなっていないという点は、将来への禍根を残しているといえる。
  6. 用語については、「有効さ」を「効果」としたり、「満足度」を「満足」とするような修正が多数行われた。これはJIS Z 8521:2020と対応させたものである。その他、「ユーザー」を「ユーザ」とし、音引きを取ることにしたなどの修正もある。たしかに、マニュアル等における表記を検討しているTC協会では「ユーザー」という表記を推奨しており、JIS Z 8530:2019では「ユーザー」としているが、TC協会が準拠すべき規範を提示している組織であるという根拠もないので、世間一般、特に学会関係者の間で使われている「ユーザ」を採用したことは適切であったように思われる。
  7. 今後への課題としては、UXの位置づけを含めてHCQという概念をどのように取り扱うかが残されている。