ユーザビリティと自分の役割

  • 黒須教授
  • 2007年8月9日

ユーザビリティに関するこれまでの自分自身の活動を振り返り、また近年の状況を鑑みると、私の役割に変化が生じてきていることを感じさせられる。

1980年代から1990年代の前半までは、私はユーザビリティを研究する一人の研究者だった。その状況が変化したのは、TC159/SC4/WG6の主査となり、ISO13407の制定に関係するようになってからだった。当時の通産省が、関連業界に事前情報を一斉に流した関係で、特に関係が深そうな業界は、その実態の把握に躍起となった。まだユーザビリティという概念が業界関係者にも良く知られていない状況で、私はその説明やISO13407の規格化の状況を説明する人間としての役割を期待されることになった。

その後、1999年にISO13407が、翌年、JIS規格が制定された時期には、TUV Rheinlandなどの認証活動のアピールもあり、ISO13407の認証を受けるためには、そしてそれにパスするためにはどのようなことをしたらいいかという質問を受けることになった。これはユーザビリティの活性化にもつながることであると考えて、私は企業などの求めに応じ、しばしばユーザビリティ活動のあり方、その手法の解説などをすることになった。

2002年から2003年頃になると、状況が少し変化した。企業でもユーザビリティ部署を設置するようになり、ユーザビリティラボを作り、それぞれがユーザビリティ活動を開始するようになったからだ。そのため、ユーザビリティ活動の進め方はこれでいいのか、といった相談を受けるようになった。

また、当時はユニバーサルデザインの考え方が世間に受け入れられはじめた時期であり、ユニバーサルデザインとユーザビリティ活動の関係をどのようにするかを自分なりに考え始めてもいた。ユニバーサルデザインが実質的にはユーザビリティと同じであるにもかかわらず、概念の混乱が多く見受けられたからだ。

2004年頃から、企業におけるユーザビリティ活動はかなり定着するようになり、そのため、ユーザビリティの方法論について質問や相談を受けることは少なくなった。ただ、私としては、いつまでも評価アプローチにはまっていずに、もっと上流プロセスにまでさかのぼることが必要と考え、ユーザ調査やシナリオ手法などの重要性を説くようになった。ペーパープロトタイピングのような設計手法を紹介したのもその時代である。つまり、この時期になって、私はユーザビリティ活動をもっと上流志向にするべく活動し、企業関係者もその重要性を理解してくれるようになった。HCD-Net(人間中心設計推進機構)が活動を開始したことも企業関係者の理解を促すのには有用だったと考えている。

2006年頃になると、そうした上流志向の姿勢を持つ企業も増えてきた。しかし、今度は企業間、あるいは部署間での温度差が目立つようになった。ユーザビリティ活動をやるとどういうメリットがあるのか、といった基本的な質問を受けることも未だにあった。この温度差を埋めることが私の一つの課題となった。さらに上流志向からライフサイクル志向に持って行くこと、つまり、運用や長期的なユーザビリティ、サービスの問題などへの関心を高めることが私の課題となった。

しかしながら、温度差の問題については必ずしも私が出て行く必要はないだろうと考えている。ユーザビリティとユニバーサルデザインの概念の混同は未だに解消されていないが、ともかくそれらの特性がユーザに受け入れられる商品作りに必要なものだという理解は少しずつ広がってゆくようになったからだ。HCD-Netでも多くの関係者が各地で分散的あるいは集約的に積極的な活動をするようになり、結果として、ユーザビリティ活動が自律的に広がってゆく素地ができたと考えている。

その意味で、私自身は最近は、長期的ユーザビリティや人工物発達学、あるいは製造業以外の分野におけるユーザビリティや満足感の問題、ユーザサイドの意識変革などの課題について考えはじめるようになった。そうした領域を開拓しておくこと、そのための方法論を整備しておくことが、近い将来の関係者にとって有益だと考えているからだ。

このように、私自身の役割と私が探求しつづけるテーマは、ユーザビリティという概念を軸として時代とともに急速に変化しつづけている。それなりに時代とともに社会に貢献できているのだろうか。そんな疑問を持ちつつも、今後も新たな課題の発見とその定着を続けてゆきたいと考えている。