成熟度の水準に対応した人間中心設計の進め方
先日のヒューマンインタフェース学会で、このタイトルの講習会を開催したところ、多数の参加者を得ることができ、また熱心な質疑応答があった。やはり日本におけるユーザビリティ活動は、第一段階の立ち上げ期を経て、第二段階に入ったのだ、と実感させられた。そこで、その時の発表内容の概要をここで紹介することにする。
なお、当日の講演は、
- 人間中心設計の水準とドメイン特有、および業界構造に適合したアプローチのあり方
- 黒須 正明(独立行政法人メディア教育開発センター)
- 成熟度に関する考え方
- 堀部 保弘(三菱総合研究所)
- 水準に対応した取り組み方について
- 鱗原 晴彦(U’eyes Design)
- ドメインに対応した取り組み方について
- 小川 俊二(カイデザイン)
だった。ここでは私の講演内容を紹介する。
まず、こういうテーマの講習会を開催するに至った経緯を説明した。10年前は皆同じだった、という見出しで、ISO13407が話題になった1990年代の終わり頃は、専門家でさえusabilityをどう訳すかを議論していた頃であり、考えられる工業会関係者が通産省に集められた頃でもあったこと。当時は各社が同じスタートラインに並んでいたことを話した。次に温度差、すなわち、人間中心設計を導入している企業から、まだ導入の検討すらしていない企業まであることを指摘した。ただし現状では、まだ満足できる状態にある企業はない。いずれにせよ、更なる前進が必要である、といった内容である。
次は、赤ん坊にはミルクが必要という稚拙な比喩で、成長段階にあったもの・やり方というものがあることを示し、それでは人間中心設計の場合はどうだろうという問題提起をした。成熟度に関してはISOやDATEKの概念枠があるが、成熟度のレベルが全体に高度すぎること、診断はできても具体的な対処がわかりにくいことを指摘した。
そして、次のような成熟度段階を提示した。
レベル0 無知段階
人間中心設計やユーザビリティという概念を、さらにはユニバーサルデザインという概念をも知らない段階であり、組織内にある程度の知識をもっている人が散見される程度。当然、その効果や意義を知らないし、そのための努力など払おうとしない。この段階に対しては、遅ればせながら対応を開始し、それなりの成果をあげるようにし向けるしかない。人間中心設計を取り入れている企業が出始めている以上、そのままでは滅びるしかないからだ。
レベル1 批判段階
ユーザビリティが高いことはいいことかもしれないが、ユーザビリティを高めても売り上げに効果はあるのかとか、人間中心設計の活動のコストはどうやって回収できるのかといった疑問を投げかける段階であり、現実にはかなり多いと思われる。そして、そんな余裕は時間的にもコスト的にも人材的にもないといい、企画担当者や設計担当者が努力すればいいものができる筈だとも考える。その根拠となるのが、これまでのやり方だってヒット商品を出してきたではないかというロジックだ。
この段階に対しては、ヒット事例を分析・検討させ(必ずしも人間中心設計を行った事例でなくて良い)、ユーザニーズへ適合していたのはどのような点か、なぜユーザニーズに適合することができたのか、同じようなことが「常に」できるのかということを考えさせる。また同時に、失敗事例を分析・検討させることも重要である。多くの企業では失敗事例の研究をしておらず、どれだけの損失があったのか、その何分の一の費用で人間中心設計ができるのか、という計算ができていない。したがって原因を特定し、ありえたであろう対策を考えさせることが必要である。
レベル2 評価段階
ある程度ユーザビリティ活動を開始した段階である。まずはユーザビリティ評価をやってみる段階であり、これは系統発生的に見るとユーザビリティ活動全体の歴史とも符号する。なお、Webユーザビリティの場合には、サイトのユーザビリティの問題点が売り上げ等に直結していることから、比較的理解され、受け入れられやすい。この段階に入れば、それなりのラボが設置されることが多い。いちおうユーザビリティについての関心はあるが、それはsmall usabilityであることがほとんどである。またユニバーサルデザインやアクセシビリティとの混同も多い。
この段階に対しては、評価のメリットを理解させると同時に、そのデメリットも理解させることが必要であり、評価で本質的問題が見つかっても遅いということ、評価は基本的にマイナスをゼロにもってゆくアプローチであること、評価だけでは十分なユーザビリティは実現できないこと、人間中心設計というプロセス指向が必要であることを認識させ、人間中心設計のプロセス指向に移行させることが大切である。
レベル3 水平展開段階
この段階は、社内説得のために、社内における成功事例、特に評価活動が重要であったという事例を積み重ねていこうとするが、時間がかかり、息切れを起こすこともある。基本的にボトムアップ的な性格であり、諸々の要因によって頓挫してしまうこともある。
この段階に対しては、やはり本当のユーザビリティは人間中心設計のプロセスアプローチにあることを理解させなければならない。水平展開と同時に上下展開を推進する必要があり、そのためにはトップレベルの理解を求めることも重要である。
レベル4 上流段階
この段階では、評価だけでなく、ユーザの特性や利用状況に関する適切な理解が、良い製品やシステムを産むという考え方が芽生えている。研究的なアプローチで取り組んでいるだけのケースも多い。評価にくらべて上流プロセスについては方法論的にも開拓途上であることがそうした状況を生んでいるともいえるし、必ずしも、既存の手法(文脈におけるデザインやシナリオベーストデザインなど)について適切に理解してもいない、そのためISO13407におけるようなトレーサビリティのある首尾一貫した活動にはなっていない。
この段階に対しては、人間中心設計はプロセス指向であることを理解させることが必要で、上流からの一貫したトレーサビリティが重要であり、効果的であることを認識させねばならない。この段階で成功事例や失敗事例をとりあげて、その分析をプロセス的な視点から行うことも有効である。
レベル5 一貫段階
この段階では、人間中心設計のプロセス指向の考え方が少なくとも概念的には理解されている。ただし、どのようにしてプロセスを推進し、そこにトレーサビリティを導入するかについては手探り状態のことが多い。この段階にたどりついた企業が幾つかある、というのが日本の現状といえ、この段階になると、アメリカに先例を求めることも困難である。きちんとした社内体制が確立されていない(専門部署の設置、その社内的位置づけ、予算と人員の割り当て、効果指標の設定(成功失敗の判断基準の確立)など)ことが課題である。
この段階に対しては、まずは外部専門家による人間中心設計のプロセス指向アプローチについての診断と指導が必要である(たとえばDAT-HCD)。そのための理解を、まず部門長に持たせることが必要。
レベル6 トップダウン段階
ここまで来ている例は散見される程度できわめて少ない。ある程度、組織文化としての人間中心設計の風土はできている。その意味で、トップによる適切な理解がそれなりに行われているといえる。ただしトップが人間中心設計やユーザビリティという概念について誤解をしていることも多い。すなわち、売り上げ中心主義に走ることがあったり、ユーザに適合した製品・システムが売り上げにつながるという順序立てた発想ができていないことが多い。
この段階に対しては、トップを含めた社内全体をあげての「小集団活動」が必要である。社内の設計プロセスガイドラインの策定や推進体制を全社的に組織立てることも大切である。
レベル7 組織文化段階
現在の日本では、この段階に到達している企業はないと言ってよいが、その意味では、当面、この段階を最上位に位置づけておいてよいだろう。社内関係者の間に、たとえば宣伝費やマーケティングコストと同様にユーザビリティコストが認識されることが必要であり、失敗事例の分析が定常的に行われることが必要である。人間中心設計の活動が個人に帰属するのではなく、職位や部門に帰属するようにならねばならない。絶えず、人間中心設計に関する意識高揚に関する活動を継続することが重要である。
成熟度以外にも、頑強性(担当者が移動になったら活動がシュリンクするようなことのないようにすること)、持続性(専門の担当部署があり、そこが予算と権限を持つこと)なども大切である。