人工物発達学演習-食器編

世界で用いられている食器には様々なものがあるが、西欧の植民地化の残滓として、アジアやアフリカ、中南米の諸国では洋食器が使われていることが多い。その意味で、ここでは食器の多様性を単純化し、洋食器としてのナイフとフォークとスプーン、それに東洋の食器の代表としての箸について考えてみたい。

ただ、何が食器で何が食器ではないかの区別は意外に難しい。食事の場で用いる道具ということであれば、ワインの栓抜きも肉切り包丁も食器だということになる。反対に、食物を口に運ぶ道具ということであれば、ナイフは除外されてしまう。いちおう操作的な定義として「食物を口に入れる行為に関連して各人が利用する道具」としておこう。

洋食器の場合、ナイフは切るという動作、フォークは刺すと乗せる動作、スプーンはすくうと乗せる動作に関係している。それにしても洋食器はバリエーションが多い。フルコースのテーブルにはナイフやフォークが何列も並んでいる。それぞれが扱う食材に適合させるべく、特有の形をしている。それに比べると箸の場合はシンプルだ。挟む、乗せる、切る、つまむなど、さまざまな行為に用いるため、箸は一つあれば良い。この、目的ごとに道具を用意した西洋の発想と、多目的な道具として箸を用意した東洋の発想の違いは何に由来するのだろう。ちなみに、この問題は、絆創膏や生理ナプキンなどの特化品とティッシュペーパーという多用途品の関係にも似ているところがあり、必ずしも西洋対東洋という発想の違いの問題ではない。

まず食材の違いが考えられる。西洋では肉を食べるから各人が皿の上で肉を切りとるためにはナイフもフォークも必要だったという考えだ。しかしビフテキを日本流にサイコロステーキにしておく発想があれば、何も自分で切り分ける必要はない。いや、自分で自分の好みの大きさに切ることが大切で、だから各人がナイフとフォークを持つのだ、という考えもできる。こうなると、食事における主体性の問題を論じることになる。

スプーンはスープなどをすくって飲むものだが、日本では食器を口に寄せるためスプーンが発達していない。いや、スプーンがなかったから食器を口に寄せるようになったのかもしれない。しかし隣の韓国ではスプーンがある。韓国では基本マナーとして食器を持ち上げてはいけないことになっており、そのため汁物を食べるためにはスプーンが必要だったのだ。中国にあるレンゲは、やはり汁物のためである。このように世界の殆どの民族で汁物をすくう食器があるのに、なぜ日本ではそれが発達しなかったのか。そこに歴史的な必然があるのだろうか。ユーザビリティの合理性という観点からすれば、食器を口に寄せても、汁物をすくってもどちらも同じように思える。

食器の置き方も不思議なところがある。洋食器であれば、ナイフは右、フォークは左なのだが、東南アジアではナイフをあまり使わない。そのためスプーンが右に来ている。要するに右手でスプーン、左手でフォークを利用する。このやり方が何時どのようにして成立したのかは分からないが、それなりの合理性はある。スプーンで切ることができる食材であるかぎり、スプーンを切る道具としても利用すれば良いのだ。スプーンもフォークも口に食材を運ぶ道具であり、その意味では両手を活用していることにもなる。スプーンに乗りにくい食材はフォークで押さえて乗せることができる。このように東南アジアの食事のやり方にはそれなりの合理性がある。しかし、それではなぜ西洋諸国でナイフが追放されなかったのだろう。

また箸について見れば中国の丸箸、韓国の金属箸、日本の木の箸と形も素材も違っている。慣れのせいか、私には日本の箸が一番使いやすい。丸箸は挟みにくいし細かい動作がやりにくい。金属箸は重たいしそもそも持ちにくい。また箸の置き方にも文化による違いが見られる。日本では箸は横向きに置くが、中国と韓国では縦向きに置く。どちらが効率的かを簡易な方法で調べたところでは、どうやら縦置きの方が持ったり置いたりしやすいようであった。しかし、それならばなぜ日本では横置きになってしまったのか。横置きには文化的経緯はあったにせよ、ユーザビリティ的な合理性はあるのだろうか。

さらに、今後のことを考えると、今日のように各国の食事が食べられるようになった時代に、食事ごとにその国の食器を用いる必要はあるだろうか。最近、箸で食べる洋食というものが出現してきたが、すべての食事を箸で通すというのも可能な筈だ。あるいは、一頃小学校で給食に利用され、現在ではコンビニで生き残っている先割れスプーンのような折衷型の食器はどうだろう。

などと書いていたら、すぐに字数が一杯になった。このように、人工物発達学の問題はユーザビリティの視点との絡みで考えていると実に多様なポイントが指摘できるものであり、今後、新たな人工物のデザインを考えるためにも、こうした検討を行ってゆく必要があると考えている。

公開: 2008年8月13日
著者: 黒須教授

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