改めて経験工学を
1. 従来の産業のあり方を見直す

ユーザビリティからUXに関係者の視点が移り、経験という視座から身の回りのあらゆることを見渡そうとするスタンスがでてきたことは喜ばしい。人間の行動は単に機械的に目標を達成すればそれで完了ということではなく、人間がその行動を通して内面的にどのような経験をするかということが大切だからだ。

経験という主観的視点の重要性

設計時品質のひとつであるユーザビリティから、利用時品質とほぼ同義であるUXに関係者の視点が移ってきたことにともない、経験という視座から身の回りのあらゆることを見渡そうとするスタンスがでてきたことは喜ばしい。人間の行動は単に機械的に目標を達成すればそれで完了ということではなく、人間がその行動を通して内面的にどのような経験をするかということが大切だからだ。

ISO 9241-11のユーザビリティの図(編注:下図)でも、ノーマンの七段階モデル(編注:ゴールの形成、意図の形成、行為の詳細化、行為の実行、外界の状況の知覚、外界の状況の解釈、結果の評価)でも、目標ということが行動開始の契機ないし行動の終着点として描かれている。それはそれで構わないのだが、目標達成における経験、特に主観的な内的経験ということが、まだその段階ではきちんと考察されていなかった。つまり、目標達成という状態に向けて、どのようにして正しく、短時間でそこに到達するかは問題にされていたが、まだその時の行動主体の内面、いいかえれば心の問題がなおざりにされていたといえる。そうした内的経験を単純に質問紙などで満足感として評価してしまうのは短絡的にすぎる。

JIS Z 8521(ISO 9241-11)の「使用性の枠組み」

経験には、UX白書やISO 9241-210に書かれているように、目標達成行動の最初の段階として期待感ないしは予測のフェーズがある。ノーマンのモデルのように情報処理という観点からすれば、そうした主観的な内的経験には言及せず、その後の長期的利用における経験にも言及しないのが当然ともいえるが、その点では欲求とか動機付けという形で内的経験に言及していた消費者行動論の方が優っていたともいえる。

ユーザーエクスペリエンスの期間(「UX白書サマリー資料20111015」p12より)

いずれにせよ、目標を決定することは広義の経験の一部ではあるけれど、目標を絞って決定してしまう前に目標設定という行為自体を経験という観点からもう少し吟味する必要があるだろう。

製造業やサービス業の方向性

HCDやUCDを信奉していなくても、製造業やサービス業においては、ユーザの目標達成ということを陰に陽にめざして製品やサービス活動の開発が行われてきた。もちろん未だにユーザの目標達成というゴールではなく、技術開発をゴールに設定した活動もあるにはある。そうした技術開発がユーザの目標達成という大枠のなかで行われるのならまだしも、それだけを目指した技術開発の活動について、ここでは論外ということにしておく。

ここで問題にすべきなのは、企業活動が、既に保有している人材の技術的専門性や生産設備の特定性から、その範囲内で活動の方向を考えようとする傾向がある点だ。もちろん設備投資の問題もあるから、自動車会社がいきなりカフェの経営を行うというようなことはできない。しかし自分の会社でできることをまず考える、という暗黙の前提のもとに製品やサービスの開発を行わざるを得ない、という点が問題を狭くしている。

またユーザの側も、製品やサービスを含めた商品のカテゴリーについて彼らなりの認知地図を構成しているが、既存の認知地図の範囲内で達成すべき目標に対応した選択肢を探そうとしている面がある。これまでの社会は、こうした固定的な企業活動と、それに対応したユーザの消費活動とから構成されてきたといえる。

しかし、と本論では敢えてそこを問題にする。ユーザの経験の質を向上させるという観点から見れば、その企業における過去からのイナーシャ(慣性)を無視してでも視野を拡大するという新たな挑戦をすべきではないのか、と思われる。場合によれば、それは産業構造の変革につながってしまうことかもしれないのだ。

未来に向けた人工物進化学の視点

僕が提唱してきた人工物進化学では、任意の目標を達成するために多様な人工物が開発され利用されながら進化してきた経緯を、時間軸(歴史的に)と空間軸(地域的に)で考察し、人工物の最適性を考えようとしたものである。

人工物進化学には、問題点の集合からのプルーニング(枝刈り)と副作用の発生による進化のプロセスの検討や、進化における審美性という評価基準に関する検討などが含まれているが、特に重要なのは、特定の目標設定に関して多様な選択肢を検討するという点である。これまでにも衣類の汚れを落とすこと、音楽を楽しむことなどを取り上げて、目標によって多様な選択肢があり、新たな選択肢が進化の過程で勃興したり、古い選択肢が衰退したりすることを指摘してきた。

その視点は、これまでは主に過去の製品やサービスの分析に向けられていたが、目を将来に転じれば、現在人々が持っている目標を達成し、製品やサービスという区別をせずに、満足できる内的経験をもたらすために、どのような人工物の開発がありうるかを考えることになるし、それこそが必要なことなのではないか、と考えられる。そのためには、まず現在のユーザの目標達成行動と内的経験とに注目する必要がある。

公開:2017年4月5日
著者:黒須教授

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