UPA 2009で思ったこと

  • 黒須教授
  • 2009年6月29日

今年はある大学から予算を提供していただいたのでUPA2009に参加した。UPAに参加するのは数年ぶりのことになる。

さて、UPAは1991年から活動を開始したが、少なくとも現在は学会というよりは実践家のための大会といえる。各セッションは聴衆の経験度によってカテゴライズされており、様々なレベルの経験度の人たちが参加している。その中でExperienced Practitioner Topicは、比較的アカデミックな内容、つまり方法論や概念についての討論が行われている。これは時にはチュートリアルに近いものになっており、最新情報を得るのに都合が良い。またパネル形式のセッションや招待講演なども一般発表にまじっていて、全体で並列7セッション構成となっている。

今回の参加者は450人程度ということで、まあまあの規模といえる。実際、アカデミアからの参加者は少なく、およそ1割かそれ以下という印象である。ただ、イギリスなど欧州から参加した人たちは、アカデミアとインダストリーが混じっているものの、結構概念にはうるさく、論理的にきちんとした議論をしたがる。これに対して主にアメリカの実践家は、こまかい概念を云々するよりは、これこれでうまくいったとか、これこれで苦労したという話をしたがる傾向がある。そうした具体例の提示と同時に比喩をよく使うのも彼らの特徴だ。たぶん普段のコンサルテーション活動で顧客にプレゼンをするときに、そうした話し方をしているからなのだろう。

ちょっとネガティブかもしれないが、参加者(講演者ではない)があまり論理的に話をしない点が印象に残った。話の進め方が、たとえばデザインプロセスという枠組みに応じてなされることが少ないのだ。まだアメリカにはISO9241-210(ISO13407)の考え方が十分に浸透していないことが関係しているのだろう。だから方法論の話をすると、テストやcontextual inquiryの話が順不同ででてくる。また、ユーザビリティ関連の専門領域の話をすると、cognitive psychology, technical communication, visual design, interaction design, linguistics, information architecture, information design, etc.という順番になってしまい整理されていない。また、SUSの話が比較的よく出てくるにもかかわらず、それが(誰によっていつ頃、はともかくとして)どういう目的で開発されたのか、何項目からなっていて、どのような項目が入っているのか、などを知らない人も結構いる。その都度、誰かによる解説が入る。

ただ、日本も学んだほうがいいと思われるのは、プラクティショナーがこれだけ活発にセッションを運営しようとしているという積極的な姿勢である。90分のセッション、その大半はパネル討論の形式になっているが、それをまかされたとして、どれだけの日本のプラクティショナーがテーマ設定をして、話しをもりたてる演出をし、議事の進行や集約を行うことができるだろう。失礼。いや、できる能力はあるのにやろうとしていないだけかもしれない。たぶんそうなのだろう。そうした形での議論に慣れていないこともあるのだろう。ちなみにHCD-Netのフォーラムは、これからは研究発表や活動報告にも力を入れていく予定だが、そのあたりを考慮してプランニングをしていきたいと考えている。

なお、いつからのことか知らないが、大会の名前がUPA International Conferenceとなっている。このInternationalという単語、これをどのように定義しているのか疑問に思う。単にたくさんの国から発表や参加者があれば、それでinternationalというつもりなのだろうか。自文化中心主義の傾向はどの国や民族にもあるが、いささか配慮の足りない面が多い。

たとえば話をするときの講演者や聴衆の英語の話しかただが、ものすごい早口でしゃべる人がいる。早口でしゃべれることが自分の知的水準の高さを表現している、と思いこんでいるのかもしれない。非英語圏の人たちでも、ここに参加している人たちは結構円滑に英語を話す。ただ中国訛り、インド訛りのようなものがあり、いささか聞き取りにくい。非英語圏出身で英語に慣れていない人たちは苦労するだろうと感じた。そんなことから、国際大会というなら、言葉の使い方にもガイドラインがあっていいように思えた。たとえば、早口禁止、巻き舌禁止、小声禁止などなど。

UPAの国際化といったようなテーマを話しあい、今後のUPAのあり方を討議するLeadership Meetingというのに招かれて参加した。その中にInternationalizationに関連して、世界各地でsmall conferenceを開催したらどうか、というような話題がでた。結構な話のようではあるが、それが誰にとってどのような意義をもつものか、また意義あるものにするためにはどのようなやり方が必要なのかという議論まで到達しなかった。単に世界のあちこちでやればいい、といった感じだった。

このような印象を受ける大会だったので、Japan Chapterを作ろうという話については、個人的にはあまり積極的な気持ちになれずにいる。もちろん熱心な人たちの邪魔をするつもりはないが。日米の相互交流、というと美しい響きがあるかもしれないが、実質的にどのようなメリットが双方にあるのかが未だに明らかになっていない。近年はだいぶ薄れてきたとはいえ、まだ日本には拝欧米主義の傾向がある。アメリカの「グローバリゼーション欲求」と日本の「拝欧米傾向」が合体すれば、それはそれなりにいいカップリングといえるだろうが、それが本当に我々に必要なものかどうか、よく考える必要がある。単にUPAの自己満足を満たすためにChapterを作るのでは意味がない。

日本におけるユーザビリティ活動がある面では後れていて、学ぶべきことが多くあるというのは妥当な指摘だろう。そうだとしたら、そうした面について外国から講師を招き、講習会をするのもひとつのやり方だ。しかし、たとえば関連分野でいえば日本にも尺度理論やテスト理論の専門家、インタビュー技術の専門家、会話分析の専門家などなどが多数いる。要は、日本でそうした分野との相互交流がまだ十分ではない、ということだ。そうした機会がちゃんと設定されていない、ということだ。そのうえで、本当に日本に専門家がいない、もしくは少ない分野において、ユーザビリティの領域で日本が本当に後れている分野については、外国から講師を招くことにも意味があるだろう。そのあたりを峻別していきたいと思う。それはUPAとの交流に対して否定的だという意味ではない。交流は交流としてあっていい。たとえば日本における研究がもっと外国にも紹介されるべき、という意味でも、交流はそれなりに活発にすべきだろう。UPAのJapan Chapterというものがそのような意味をもつことになれば賛同したいと考えている。