アプリケーション開発企業の姿勢を問う

メジャーなメーカーのソフトが使いにくく、フリーウェアや安価な製品の方が使いやすいということを、メジャーなメーカー達は虚心に反省すべきだと思う。要するにユーザーエクスペリエンス(UX)などといいつつ、実はユーザの持っている本質的な要求に対応できていないのだ。

タイトルには「メジャーな」と付けるべきだったかもしれない。ここでやり玉にあげようとしているのは、具体的には、僕の場合いつもなのだけどMicrosoft社とAdobe社だ。

この2社に代表されるメジャーな企業は、真のユーザニーズを理解していない。知ってはいるのかもしれないが、それに対応しようとしていない。知らないなら努力不足だし、対応しようとしないなら怠慢だ。

最近どうしても我慢できなくなったのは、AdobeのAcrobatとAcrobat Readerだ。

これまでも起動時間が長くて不愉快だったが、いつ頃のタイミングからか、起動時に「コンテンツ準備の進行状況」というボックスがでてきて「文書の読み上げ準備が完了するまでお待ち下さい」と言われ、その処理中は文書を読むことができないようになった。キャンセルをしても、そのボックスはまたでてくる。

特に大きな文書の場合、その時間の長さにイライラする。最近Adobe社がアクセシビリティに熱心なことは知っていたが、何も読み上げ機能をデフォルトにしてしまうことはないだろう。アクセシビリティはJIS8341-3に規定されているように重要なことだけど、それを必要とする人の方が少数なのだから、その人たちがオプションとして選択できるようにしてあればいい。そうした常識的なセンスが欠落している。自分達の努力を社会に示したかったのだろうか。相当強引なセンスだと思う。

結局、少なくともPDF閲覧に関してはAdobe製品を使わないことにして、freewareのFoxit Readerを使うことにした。これは起動も高速で余計なことをしないからありがたい。お金をとる製品が使いにくく、無料なものが使いやすいというのは、どうも世の中まちがっている、と思う。結局、製品が使いにくいからそれを改善しようとしてfree wareなんかがでてくるのだろうけど、その意味では、free ware開発者の方がよほどユーザ中心的だと思う。もちろんアクセシビリティが必要な人たちはAdobe製品を使えばいいので、その存在までは否定しない。ユーザの多様性に応じて選択肢はいろいろとあった方がいいからだ。

こうしたことはAcrobatに限らない。僕はしばらく前からMS Officeを使うことをやめている。現在は互換性の高いKingsoft Officeを店頭で見つけて以来使っている。

これに関してMS社を賞賛したいのは、外部仕様のデッドコピーに近いこの製品の存在を訴訟でつぶそうとしたりしない点だ。MSのOfficeとの互換性にこだわるのは、Officeを使い続けて10年以上たち、そのインタフェースに慣れてしまったからだ。Kingsoft Officeは有料製品だが互換性を保ちつつも格安であり、また初回利用時の認証などという手間がいらない。インタフェースはリボンという使いにくいインタフェースをまねせず、Office 2003と同様のままである。それでいてOffice 2007などのdocxなんかにも対応している。ユーザが待ち望んでいたのはこういうソフトなのだ。

Windowsについてはここに書ききれないほどの問題を感じているが、個別機能でいえば、たとえばデフラグについては標準機能のかわりにUltimateDefragを使っているし、ファイルコピーについては標準機能のかわりにFastCopyを使っている。マルチメディア閲覧についてはMedia Playerのかわりにvlcを使っている、などなど。IMEの代わりにATOKを使っている人も多いだろうが、まあこれはATOK自体がデファクト化しているから特にここで取り上げる必要はないだろう。ブラウザはInternet Explorerの代わりにSleipnirを使ってきたが、最近はGoogle Chromeを使っている。ただ、IEでないと処理がきちんと継続できない場合も多いのと、Chromeだと画面表示が崩れることが難点ではある。メーラについては、しばらくの間Outlook Expressを使ってきたが、その後、Windows Mailに変え、Windows Live Mailに変え、それでも満足できず、現在はThunderbirdにしている。

他社の例でいえば、Sony社もソフトウェアの利用品質が低いことが多い。SonicStageはその典型で、僕はBeat Jamを利用している。

このようにメジャーなメーカーのソフトが使いにくく、フリーウェアや安価な製品の方が使いやすいということを、メジャーなメーカー達は虚心に反省すべきだと思う。要するにユーザーエクスペリエンスなどといいつつ、実はユーザの持っている本質的な要求に対応できていないのだ。

これで、もし、OSでWindowsコンパチのフリーウェアができたら、ユーザの大半はWindowsからそちらに移行してしまうだろう。既にそうした試みははじまっているのかもしれないが、そうだとしたら強くそれを応援したい気持ちだ。GoogleのクラウドなOSの噂は聞いているけれど、それがどこまでの品質のものかは分からない。たとえばGoogleDocsは会議などでも非常に便利でクラウド時代を実感させられるけれど、まだ機能的には不十分。もう少し時間がかかるだろう。

ともかく市井の開発者、小規模事業者である開発者の動きを強く支援したい僕である。結局、メジャーなメーカーはマンモスになりすぎて、身動きが取れなくなり、関係者が多くなりすぎて、内部の意見調整にエネルギーを費やさざるを得なくなったのではないかと思う。

MSDOSがでてきた当時のことを振り返ってみたい。ガレージハウスからでてきたソフトは、当時の人々のニーズに的確に対応していた。今ではその水準ではユーザを満足させることはできないが、やはり小規模な組織で身軽に開発を行うということは大切なのだろう。マンモスは死滅した。おそらくソフトウェアのマンモスも死滅することになるだろう。

公開: 2010年7月30日
著者: 黒須教授

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