電子書籍をユーザビリティの面から考える

僕にとって、電子書籍は携帯できなければ意味がない。机の前に座ってモニタ画面で読書をするなら、紙の本で十分だ。したがって電子書籍としては、大きさと重さが非常にクリティカルな条件になると思っている。

  • 黒須教授
  • 2010年9月5日

最近、電子書籍が急速に話題になっている。電子書籍で検索すると、Googleで16,900,000件もヒットする。そのきっかけはiPadの販売が開始されたことだと思うが、それ以前から電子書籍に対する取り組みはかなり盛んに行われてきている。今回は、私的な経験を通して電子書籍の過去・現在・未来を考えてみたい。

電子書籍に最初に触れたのは、個人的には「新潮文庫の100冊」というCDROM(1995年発売)を購入したのが最初だと思う。それまでもボイジャーの送ってくるCDROMをMacで読んだりしていたことはあるが、まとめて電子書籍として意識したのはこれが最初だった。「新潮文庫の100冊」については、紙でなくパソコンで本が読めるという点で画期的だとは思ったが、専用のブラウザで見なければいけない点が多少引っかかっていた。1,2冊程度の本ならどこにでも持って行けるのに重たいノートパソコンを持っていくか、デスクトップで見なければならないという制約が問題点と思われた。もちろん100冊の本を同時に持っていくとしたらその重さは相当なものになるけれど、ちょっと出かける時に100冊も同時に持っていく人はいない。だから紙の本の方がいいのではないか、というのが当時の結論であった。

その後、幾つかの電子書籍を試してみたが、嬉しかったのは青空文庫(1997年設立)のスタートだった。これで作品の種類が増え、またテキストデータであるため、専用ブラウザを必要とせず、エディタなどで簡単に読めることが良かった。ただ、やはりパソコンで読まねば、という時代だったので、その不便さは感じていた。

積極的に電子書籍にアプローチするようになったのは、アメリカでSonyのPortable Reader System (PRS-505)に出会い、それを買ってみてからのことだ。当時はAmazonのKindleも出ていたのだけど、日本では購入できなかったため、PRS-505の活用を試みた。これの良い点は、PDFが読めること。それで自分でフォーマットを工夫しながらいろいろなテキストデータをPDF化して、これを持ち歩いて読書をした。もちろんオンラインショップからデータを購入できたので、小説などを購入してみたが、現代物の小説にはあまり興味がなかったので、もっぱら論文や小説などをテキストデータ化して、それをPDFにして利用していた。PRS-505のもうひとつの利点は、比較的小型であったこと。それでジャケットやコートのポケットに入れて持ち歩き、電車の中などで気軽に読書をすることができた。もっとも、コートのポケットに入れておいたものを上から踏んづけて液晶を割ってしまい、結局2台目を購入することになってしまった。まあ、そのくらい気に入っていたということだ。やはり携帯しながら電車などの中で気軽に読めるということは重要で、デスクと椅子といったセッティングでしか読めないものに比べた自由度の大きさはとてもありがたいものだった。

ようやくKindleが日本でも購入できるようになって、さっそく購入した。この利点は、提供されている書籍の数が多く、amazonから簡単に購入できる点と、本に入っている図版などが読みやすいことだった。そのため、小説の類だけではなく、図表などが入っている専門書も購入して読んでみた。ただ、大きさがPRS-505より多少大きくて、多少重たいのが難点ではあった。要するにポケットに入れるにはちょっと問題があった。ほんのわずかの違いではあったが、その点ではPRS-505の方が良かった。

Kindleは、後にソフトを利用することでパソコン画面でも読むことができるようになったが、紙の書籍に比べると、自由にページを移動できないため、その点では煩わしさを感じていた。わざわざパソコンで読む必要もなかろう。自宅にいるなら本を読めばいい、というわけだ。

こうしたなか、TranscendのMP860という小型マルチメディア機器を購入した。もともとは安価な音楽プレーヤとして購入したのだが、SonyのWalkmanを買ってからその地位は失うことになった。しかし94x50x12mmという小型サイズで、重量はわずかに62gのMP860、メニューを見てみるとEブックという項目があり、それはテキストデータを読める電子書籍になっていた。画面が2.4インチのQVGAと小さいから一画面に9行10文字/行という表示ではあるが、TFT表示は明るくて読みやすいし、パソコンに接続したときに外部デバイスとして認識され、好きなデータを簡単にMP860に移動することができた。その点、データ移動のために専用ソフトを必要とする機器に比べて遙かに便利だった。これに気がついて以来、青空文庫のテキストデータをダウンロードしてここに移動したり、論文をテキスト化したりして大いに利用することとなった。ともかく小さくて軽い。電子書籍のひとつの形なのではないかと実感した。その後もいくつかの小型のマルチメディア機器を試してみたが、この小ささと軽さと操作の簡単さに優るものはまだ見つかっていない。

もうひとつの利点は、表示が横書きな点である。普段パソコンでは横書きの文書を書いたり読んだりしているし、ウェブを見ていても基本的には横書き、というわけで、どうも視線の動きは横書きに慣れてしまっているようだった。そのせいか、小説でさえ、横書きで読むとスピードが速い。画面が小さいから、パッパッと読めてしまう。小説を横書きで読むのはいいことなんじゃないか、というのは一つの発見だった。唯一の不満としては、青空文庫以外にテキストデータを提供してくれているサイトが見つかっていないこと。そのため哲学書のようにテキストデータがほとんどの書籍類については、読みたくてもどうしようもない状態でいる。昔、中央公論社から刊行されていた世界の名著のデータがテキストで提供されれば、などと思っている。

なお、今年になって、書籍を送るとそれをPDFにしてくれ、更に文字認識もしてくれるというサービスが開始されたので、それでテキストデータ化しようかとも考えている。

さて、そういう経緯をたどってきた僕にとって、iPadは残念ながら魅力的な製品ではない。あの大きさや重さの不便さについては、すでにPRS-505やKindleで体験ずみ。本当の意味での携帯端末にはなり得ないと思っている。

大きさや重さのほか、現在の電子書籍における大きな課題はその操作性の向上だろう。たとえば紙の専門書を読んでいるときは、前後に移動したりすることが頻繁に起きる。そうしたページ送りや移動のためのインタフェースで「これだ」と思えるものは未だにでてきていない。冒頭から最後まで順番に読む小説やコミックなどの類の場合には、ほとんどの場合、ページ送りだけを使うわけだから、現在のインタフェースでも問題ないと思う。僕がMP860を利用しつづけているのは、そうした理由が大きい。専門書の場合は図表がテキストデータで表示できないこともあり、部分的にしかMP860は使っていない。しかし自分が持っている紙の専門書を電子端末で読もうと思っても、それがデータとして販売されていないことがほとんどで、残念に思っている。

僕にとって、電子書籍は携帯できなければ意味がない。机の前に座ってモニタ画面で読書をするなら、紙の本で十分だ。したがって電子書籍としては、大きさと重さが非常にクリティカルな条件になると思っている。MP860は単なるテキストデータ用の端末だが、図表を表示するとなるとPRS-505くらいの画面サイズは必要になるかと思う。あの程度の大きさでもっと軽い製品ができたら、そして操作性(ページ送りと縦書き・横書きを自由に設定できること)が向上したら、さらに自分でもいろいろなデータを加工できて、それが容易に本体に移せるようになったら、たぶん爆発的にヒットするのではないかと思っている。その意味で、いましばらく業界としては模索の時期を経験しなければならないだろうと思う。あくまでも個人的所感ではあるが。