エスノブームの適切な定着を - 1 基本概念について

エスノというキーワードが流行っている。この世の中、過度な期待をかけられてそれが不十分な成果しかあげないと反対に極端に否定的な見方が広まることもある。適切な理解が広まり、適切に利用されることが望ましいのだが、現在の日本でのエスノブームでは、かなり誤解されている面があるように思う。

エスノというキーワードが流行っている。流行らないよりは流行る方がいいだろうと思っているが、この世の中、過度な期待をかけられてそれが不十分な成果しかあげないと反対に極端に否定的な見方が広まることもある。何でもかんでもエスノに期待されてもエスノは魔法の杖ではない。その意味で、適切な理解が広まり、適切に利用されることが望ましい。

もともと、エスノというキーワードは、エスノグラフィックアプローチを略して用いられている筈なのだが、同じくエスノと名の付くものにはエスノロジー(ethnology 民族学)、エスノグラフ(ethnograph 民族誌)、エスノグラフィ(ethnography 民族誌学)、エスノメソドロジー(ethnomethodology)などがある。

まずエスノメソドロジーは社会学のひとつの流れであり、人々が用いているものごとのやり方(エスノのメソッド)について研究することが主眼であり、そのために発話や動作の厳密な記録をとって、そこからやり方(メソッド)を浮き彫りに試用とするものであり、HCDやHCIの分野に関係なくはないが、それが焦点にしている点からするとちょっとHCDには距離がある。

次に、エスノグラフィとエスノロジーについてだが、日本では、博報堂の皆さんが中心になってビジネスエスノグラフィという手法を有名にされた。その他にも箕浦康子先生の提唱したマイクロエスノグラフィという領域もある。また、アメリカでは、ethnography in businessという言い方や、もっとシンプルにfield workという言い方が使われてきた。

この点については、まず、我々がやっているのがエスノロジーなのかエスノグラフィなのかを確認する必要がある。エスノロジーは民族学の意味であるが、文化人類学や社会人類学と同じものであって、ある人々の集団について、そこで用いられている道具やその使い方、人々の間の関係(姻族の呼称などを含む)、社会集団としての行動(祭祀や祭りを含む)や規範のあり方など、人々の集団を総体としてとらえようとする。その意味では、実に広範なスコープをもって理解を進めようとするものであり、1年以上のフィールド(現場)での調査を必要とするのが普通である。したがってHCDのような応用分野に簡単に適用することは困難である。

箕浦のマイクロエスノグラフィは、そうした広範で全体的なエスノロジーの視野を、ある特定の(マイクロな)側面に適用しようとしたもので、その意味では実用的ともいえる。ただし、あくまでも記述としてのエスノグラフィにとどまるものであり、そこから何か開発を目指そうというものではないし、そうした意図も含まれていない。その意味では、限定的民族誌学ということができる。

さて、HCDやマーケティングの分野にそうした質的アプローチを導入しようとする時に、まずそれがエスノロジー的なのかエスノグラフィ的なのか、という問題がある。このあたり、ビジネスエスノグラフィを含めて(アメリカでのethnography in businessもそうだが)エスノグラフィという言い方をしている。エスノグラフィは本来は民族誌(エスノグラフ)という記述を作成することに意味があり、いいかえれば、科学としてのエスノグラフィの活動はそこで完結する。エスノグラフの代表例としては、レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」を参照していただけばいいだろう。しかしHCDやマーケティングの分野では、そうした記述で終わってしまっては意味がない。そのような手法を適用して得た情報をもとに、今度はものづくりに向かってゆかねばならない。また、HCDやマーケティングの分野でエスノグラフィックな記述をちゃんとまとめているかというと必ずしもそうではない。その意味では、厳密にいうならmicro-ethnologic approach in businessといったあたりが適切な表現だと思われる。一般にブームというのは簡潔なキーワードを求めがちなので、この言い方は流行らないかもしれないが(^_^;)

こうしたアプローチの発端は、遡ればXeroxのSuchmanが航空管制業務について行ったアプローチといえるだろうし、比較的近年では1990年代にIntelの人々がやった活動が該当するといえるだろう。ただ、Suchmanのアプローチは、オリジナルのethnologyのアプローチに近い「住み込み型」のものであり、現在求められているような比較的簡素なやり方ではない。

Intelで行われている活動については、2000年前後からSIGCHIの講習会でも紹介されるようになったが、2009年のHarvard Business Reviewには、その手法によってどのようなことを調べてようとしているかが書かれている。すなわち

  • Will television and PC technology converge?
  • Are baby boomers retaining their PC and TV habits as they age, or are they comfortable shifting to new media?
  • Will smartphones take over most of the functions of personal computers?

などである。いいかえれば、特定の製品について、その改善のポイントを探るような目的で実践されているのではなく、ある製品ジャンルについての調査になっている。

こうした点を含め、現在の日本でのエスノブームでは、かなり誤解されている面があるように思っている。

(続く)

公開:2011年2月3日
著者:黒須教授

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