エスノブームの適切な定着を - 2 邪心と虚心

エスノの流行について危惧していることは幾つかある。ひとつは万能幻想、もうひとつは支援幻想、さらに簡単幻想といったところだ。

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エスノの流行について危惧していることは幾つかある。ひとつは万能幻想、もうひとつは支援幻想、さらに簡単幻想といったところだ。

万能幻想は、これまでのアプローチによって分からなかったことが快刀乱麻のごとく、エスノのアプローチによって明らかにされるだろうという過剰な期待のことだ。たしかに、これまでのアプローチで明らかにならなかった側面を見せてはくれる。しかし、他のアプローチにはやはりそれなりの利点があり、エスノはそれとは違った角度から対象に切り込み、結果的にそれを補強するものであり、それだけでしかない。過度な期待は過剰な失望につながり、結果的にエスノのアプローチへの不当な評価を生み出しかねない。

支援幻想というネーミングはいまひとつなのだが、それはともかく、エスノは自分の味方になってくれて、自分の仮説を支持する証拠を見つけてくれるというスタンスのことである。仮説を持つことは、それ自体、悪いことではないが、エスノの場合、それは焦点として存在すべきものであり、調査によって立証すべき仮説であるべきではない、と思っている。いいかえれば、仮説を持ち、それをバックアップしてくれるエビデンスだけを重視するのはフィルタリングの錯誤というべきものである。エスノにおいては、可能な限り虚心に対象者に立ち向かうべきである。仮説が強すぎると、どうしてもそれを補強しないエビデンスを無視してしまいがちになる。それでは調査をした意味がない。この傾向は、特にデザイナーやエンジニアがエスノを利用しようとした時に起きやすい。彼らは自分なりのコンセプトや利用イメージをもっており、その実現可能性を確認したくて調査する傾向がある。しかし、言い方を変えれば、彼らがネグレクトしてしまう部分にこそ、宝の情報があるともいえる。もちろん、調査から得られた情報が、彼らの持っていたコンセプトや利用イメージを増幅してくれることもありうるだろう。しかし、エスノの基本は虚心であることにある、と僕は考えている。

簡単幻想というのは、エスノと言ったって、特にむつかしいものではなく、現地にでかけて当事者にあって、色々と見聞きすればいいのだろうといういささか乱暴な味方のことである。たしかに現場主義と当事者主義は大切なことだが、そこに存在しても認識できない情報があるということ、そして特にインタビューにおいては、引き出し方によって、出てくる情報も出てこなくなってしまうことが多いということに注意する必要がある。

エスノのアプローチは、文化人類学や社会学、心理学などの観察や面接の技法がその大元になっている。その意味で、文化人類学や社会学での調査のやり方から、対象場面や対象者に対する慎重さと、洞察の重要さと、仮説構築までの緻密な作業が行われてきたかを虚心に学ぶ必要があるし、心理学の調査のやり方から、インフォーマントの心理状態に擾乱を起こさずに情報を得る方法を学ぶ必要がある。そうした基礎的な学習なしに、エスノのアプローチを実践することは不可能だと言ってもいい。

僕自身、これまで300回から400回くらいのインタビューや観察調査を行ってきたものの、いまだに結構失敗をやらかしている。満足のいく調査ができることは比較的少ない。これは生身の人間を相手にしているからだろうと思うし、必ずしも相手の特性に適合したやり方を取れなかったからだろうとも思う。つまり、人間には饒舌な人もいれば寡黙な人もいるし、開けっぴろげな人もいれば懐疑心の強い人もいる。その他、様々な側面について多様性がある。しかも、そこから得られた情報は、たまたまインフォーマントとして協力してくれた人々に該当することだけである。いろいろな理由からインフォーマントになってくれなかった人たちが大勢いる。その人たちを含めて、人間に関する一般化を、あるいは日本人に関する一般化を、あるいは高齢者や女性といった特性を限定した範囲についての一般化を行うことは、かなりの危険性をもっていることを忘れるべきではないだろう。

また、エスノを含む質的手法に共通したサンプル数の問題は、得られた仮説の一般性について、常に疑問を呈するものではある。ただ、理論的飽和という概念があるように、サンプル数については、質的な手法が採用する少数のサンプルであっても、それなりの飽和、ないしは飽和感といった方がいいかもしれないが、そうした印象を持てる段階はある。その意味で、エスノについては、ともかく失敗を恐れずにやってみることが大切であり、同時に、その調査についての虚心な反省を忘れずに行うことが大切であるといえるだろう。

(続く)

公開:2011年2月10日
著者:黒須教授

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