100年製品を目指そう

資源は枯渇する一方で、需要は増大する。石油で約40年、金属についても長く見積もっても100年は保たないと見られている。しかし、HCD関係者には何もできない訳ではない。それが100年製品の考え方だ。

 ここで僕が言いたいことは、100年の長きにわたって継続的に利用可能な製品を作っていこうという提言である。もちろんそれはスローガンだから、当初は5年を20年に、そして30年、50年、80年と伸ばしていこうということである。どうしてそうした発想に至ったか、その理由を以下に書くことにしよう。

 そのベースになるのは地下資源枯渇の問題である。この問題について、最近は原発問題も関係してエネルギーに関して論じられることが多いが、もう一つ考えねばならないのは材料資源としての地下資源の問題である。資源には太陽光や風、バイオマスのような再生可能資源と、石油や天然ガスなど主に燃料とされている資源と鉱物資源などを含む再生不能資源(枯渇性資源)とがある。もちろん問題になるのは後者の再生不能資源であり、その予想される枯渇の時期が、ロングレンジで考えればかなり早い段階でやってくるということである。

 たとえば石油については、国によって可採年数は異なるが、最大でサウジアラビアの160年であり、平均すると40年(以下、いずれも2003年の資源エネルギー庁資料による)とされている。もちろん探査技術や採掘技術の進歩によって可採年数は少しずつ延びているが、当然のことながら無限に増加する訳ではない。また天然ガスの可採年数は61年程度でしかない。石炭については、可採年数が227年と比較的長いが、それでも有限であることには変わりない。

 このうち石油については、動力としての利用と熱としての利用が多く、全体の80%を占めており、エネルギー問題が重視されるのは当然であるが、他方、原料としての利用も20%あり、製造業にとってはこれが重要な問題になる。石油からナフサを抽出した後、そのうち61%がプラスチック、合成繊維が9%、合成ゴムが6%といった具合に使われているわけだが、石油の可採年数が40年であるとすると、プラスチックを部材に使った製品は、それほど長期間製造しつづけることはできないという話になる。当然、産油国は産油量を制限するだろうし、価格も徐々に高騰するだろうから、40年間は安泰というわけでは全くない。

 さらに金属資源について考えてみると、地殻存在度が0.1%より多い「豊かな金属」は、鉄、アルミニウム、シリコン、チタン、マンガン、マグネシウムなどであり、銅や鉛、亜鉛、錫はそれより少ない。さらにレアメタルとされるニッケルやクロムやモリブデンなど、鉄と組み合わせて利用される金属はもっと少なく、ゲルマニウムやインジウム、ビスマス、レニウムなど電子部品に使用される金属も残りは少ない。また最近話題になるレアアースは、レアという名前が付いているように、元々きわめて少ない量しかない。こうした金属の可採年数は、種類によってまちまちだが、たとえばベースメタルの鉄は95年と比較的長いものの、銅は31年、鉛は20年しかないとされている。要するに、部材としての石油だけでなく、金属についても長く見積もっても100年は保たないということである。

 こうした状況に対して地上資源という考え方がある。要するに人類による地下資源の採掘は、地下にあった資源を地上に運び出す活動であり、その結果、地下の埋蔵量は減るものの、それは地上には存在する、という考え方である。そのために製造業が廃棄された製品の回収を行って分解・選別をしてそれを原料化するサイクルを確立すればいい、というものである。この考え方にしたがって、すでに多くの企業でリサイクルが行われているが、問題は再原料化された地上資源の品質と、再原料化の途上で廃棄されてしまう地上資源の存在である。たとえばペットボトルを回収して再利用するにしても、それはコストの問題の故に再度ペットボトルになるのではなく、卵パックのシートやポリエステル繊維となり、最終的には廃棄されるか熱源として燃やされてしまっている。要するに無限のリサイクルは、機器の筐体の金属部分などで部分的には可能であっても、現在は完全なものは実現できていない。さらにガラスや金属はいろいろな成分が配合されているため、単純に溶解してしまうと成分比が不安定になる。また、電子基板はいろいろな原材料が複雑に組み合わされており、そこから資源を回収することは不可能に近いため、結局はゴミとして廃棄されてしまっている。要するに、地上資源は理論的には存在するものの、それを資源として完全に再利用することはできないでいる、ということになる。

 さらに世界の人口は依然として増加を続けているし、開発途上国や後発開発途上国に分類されている国々の発展が順調に行ってそこの人々が現在先進国の人々が享受しているのと同レベルの生活水準を要求するようになったらどうなるだろう。資源は枯渇する一方で、需要は増大する。

 こうした事態についてもっと多くの人々が声を上げるべきだと思うのだが、何故かそうした声が十分まとまった動きになっていない。これは一つには人間の考え方が関係しているように思う。人間は自分の生き方をまず考える、そして次に子どものことを考える。また一生の間に孫にまで会うことはできても、それ以上の子孫については概念的にその存在を予想するだけで、その生活の安定を心配することはほとんどない。要するに資源枯渇の問題は自分の時代にはあまりおきないだろうし、子どもの時代にもまあたいした問題にはならないだろうと考えているように思える。しかし、そんな調子で行くと人類がどのようなAD2100年を迎えることになるのかとても心配になる。さらにいえばAD3000年という時代に人類が存続しうるのかさえ危ういことと考えられてしまう。

 また、この問題は、資源問題の専門家が考えて何とかしてくれるだろう、と思っている人がHCD関係者にも多いのではないだろうか。我々が何かをしたってたいしたことはできやしない。それよりも今日、明日の課題に取り組まなければ生きて行くこともままならない。そういった近視眼的な見方が大勢を占めているのではないかと思う。

 しかし、HCD関係者には何もできない訳ではない。それが100年製品の考え方だ。端的にいえば、もっと長持ちする製品を作ろうという話である。近年、消費サイクルは短命化していて、中小企業研究所のデータによれば、1970年代以前は、ヒット商品の寿命は5年以上が59.4%を占めていたのに対し、2000年代にはそれは5.6%にまで落ち込み、反対に1年未満のヒット商品が1.6%から18.9%に増加している。もちろんその背景には、三種の神器や新三種の神器といった家庭電化の基盤を構築する製品がヒット商品であった時代と、携帯電話やスマートフォン、デジカメのように、次々と性能向上や機能追加の行われる製品がヒット商品になる時代との違いがある。また性能向上や機能追加は、新規なものを求めようとする人間の本性(Berlyne, D.E. 1960)に適合したものであり、現状では短命な消費サイクルは企業と消費者(ユーザ)双方の望む形になっている。

 消費サイクルを長期化させるためには保証期間や耐用年数の見直しも必要になるが、それよりもどのようなアイデアと技術によって、100年製品を具体化してゆくかが問題である。それに対する回答の一つとなるビジネスモデルがLED電球である。白熱電球と比べて40倍の寿命をもっていて実売価格も40倍に近いものであり、その点では五分五分だが、ユーザにとっては1/7近くの低い消費電力(電力料金)が魅力となる。他にも、モジュール化を進めて、必要なモジュールだけを交換することで長期的な利用を可能にすることなど、考えればアイデアの出てこないものではなかろう。

 そもそも鉄製のアイロンなどのような昔の製品は寿命が長かった。親から子へ、そして時には孫にも渡されていった。近年の製造業は、新規需要だけでなく買い換え需要をも喚起しようと躍起になっているが、特に成熟製品においては「本当に必要かつ有意義な」新製品が出せるのでない限りは、買い換え需要を狙うのでは無く、価格は高くとも長寿命で信頼性の高い製品づくりを目指すべきだろう。世の中がほんとうにそうしなければならなくなったら考えます、というのが大方の企業の姿勢だろうと思うが、そういう時代になったとき臨機応変に状況に対応できる力は一朝一夕でできあがるものではない。新しいものに目移りしてしまいがちな消費者の姿勢にも問題はあるが、企業の姿勢も早急に正す必要があると考えている。

公開:2012年1月16日
著者:黒須教授

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