デザイナや技術者の固定観念

技術開発力をどの方向にのばすべきか、どの程度の水準までを目標とすべきか。それを制御すべきなのは人間中心設計の担当者の人間生活への洞察力であり、また利用状況に関する知見である。

  • 黒須教授
  • 2013年10月17日

日経Web版の2013年8月2日に「過酷なスマホレース、ドコモは「長男」NECを助けなかった」という記事が掲載されていた。そのなかにNECカシオのスマートフォンについて「NECカシオも、スマホへの展開が決して遅かったわけではない。11年3月には薄型にこだわった「メディアスN-04C」を投入。その後も、日本メーカーの技術力を生かし、薄型でありながら早い段階で防水性能を実現するなど、「個性」は十分に出した製品開発をしてきたと思う。だが、その個性は必ずしもユーザーに受け入れられるものではなかった。薄型にこだわったあまり、持ちにくいきょう体で操作しにくかったり、バッテリーが小さいことでフル充電して出かけても1日持たないスマホになってしまった。」という部分があった。

これを読んで、僕は、さもありなん、と思った。この部分は、薄型への過剰なこだわりが失敗の一つの原因であったように書かれているが、たしかにデザイナや企画担当者には、製品を薄くするということにこだわりを持ちすぎる傾向があるように思っていたからだ。以前、デザイン部門に勤務していた頃、職場に「軽薄短小」と書かれた垂れ幕が下がっているのを見て、ん、何でもかんでも軽く薄く短く小さくすればいいってもんじゃなかろうに、と思った記憶がある。同様な話として、最近、デザイン思考について書かれた記事で「薄型パソコンにどうやってディスクドライブを搭載するか」という問いに対する次のステップの例として「そもそもディスクドライブを搭載することは必要なのか」という問いかけが書かれているのを見て、そもそも薄型にする必要があるのか、という問いかけはしないのか、と思ったことがある。薄型にする、ということはデザイナにとっては自明の目標であり、それを無分別に受容する傾向があるのかと思われたからだ。さらに、近年はWiFiが普及しているのでLANケーブルのアダプタは外してもいいでしょう、といったことが書かれており、このように柔軟性の欠けた強引な説明ではデザイン思考が誤解されてしまうことなるだろうと危惧を感じさせられた。

実際、ビジネス用のノートパソコンは軽い方が良いと考えられているし、現在のビジネスノートはまだまだ軽くすべき段階にあるとは思うが、仮にその重量が100gになったとしたらどうだろう。全体の重量バランスにもよるだろうが、タイピングの力ですぐに本体が動いてしまって却って使いにくくなるかもしれない。この軽量化の話は想像でしかないが、次に薄型化について考えてみよう。軽量化よりは技術的に容易だったのか、スリムなノートパソコンは多く出回るようになったが、それを購入してみた体験として、キーボードのストロークが浅くなりすぎて、タッチタイピングがしにくくなった記憶がある。さらにLANケーブルをつなぐにも、プロジェクタのケーブルをつなぐにも専用のアダプタが必要になる薄さだったため、アダプタを忘れてプレゼンテーションができない、ということも発生した。

軽薄短小を当座の目標とするのは良いが、それと利便性とを単調な関係にあると考えると途を誤ることになる。どの属性も基本的にはあるレベルに収斂するか、あるいは逆方向になって全体としてはVの字型の関数になると考えた方が良さそうだ。

自動車でも同じことは言える。静音化ということを目標に掲げたのはいいが、静音になりすぎると、運転者はエンジンがかかっているのかどうかが分からず、エンジンが動いているのにキーを回してギギギッという音をさせてギアを傷めてしまうこともあるし、歩行者にとっては車の接近に気が付かず、車にぶつけられてしまうことにもなりかねない。ある程度の音は、ドライバーにとっても歩行者にとっても「手がかり」として重要な役割を果たしていたのだ。これはデザイナの固定観念というよりは、技術者の固定観念によるものと考えられるだろう。技術者であっても目標設定をシンプルに固定的に考えてしまう傾向はあるのだ。

日本の技術開発力はすぐれたものだと思っている。しかし、それをどの方向にのばすべきか、どの程度の水準までを目標とすべきかを誤ると、誤った道に入ってしまうことになる。それを制御すべきなのは人間中心設計の担当者の人間生活への洞察力であり、また利用状況に関する知見である(べきだ)。

参考文献

石川温 (2013) “過酷なスマホレース、ドコモは「長男」NECを助けなかった