日本の製造業は生き残れるか

新しい市場を育てるためには、人々の生活を既存の言葉をつかわずに新たに再カテゴリー化し、その新しいカテゴリーに属する人々の行動領域をもっと有効に効率的にするためにはどのような人工物による支援が望ましいかを考えることだ。

日本の製造業が黄昏れの時代に入ってしばらくになる。原因は色々と考えられるだろうが、ここではユーザ工学の立場から考えてみたい。

トランジスタラジオや電気炊飯器などの新しい製品カテゴリーを生み出した時期の日本の製造業は、とても生き生きとしていた。そして現在の製造業の経営者やマネージャ達はその夢をもう一度見ようと必死になっている。

しかし、その一方で、海外でダイソンの掃除機がヒットすればその原理を真似した製品を出してみたり、ロボット掃除機がヒットしてみればそれを真似したりしている。オリジナリティを出せないからやむを得ないことなのだろうけど、かなりみっともない光景である。他方で、スマートフォンやパソコンの領域では、アメリカをベースにしたソフトウェアとアジアからの低廉なハードウェアに追われて行き詰まりをみせている。テレビなどのAV領域での凋落も著しい。

既存の事業路線と既存のカテゴリー

さて、ユーザ工学の立場から考えると、ユーザの生活や意識をきちんと把握することなく、既存の事業路線を走っている日本メーカーが行き詰まるのは当然と思われる。この既存の事業路線というものは相当に深く日本企業に根ざしており、事業部を設置するどころか事業ごとに分社化をしてしまった企業も多い。そうなると、各事業部や各支社は、自分の担当業務の中で新しいものづくりを考えざるを得なくなり、そもそもの発想が制約されてしまう。事業部や分社化というものは、自分で自分の首を絞めているという側面があるのだ。

そもそも個々の製品分野というものは、開発が進展し製品が市場に普及すれば、当然の結果として飽和現象を起こす。それを破ろうとして新機能や新デザインや性能向上だけで頑張ろうというのはある程度までは可能であっても、基本的には限界のある話である。Microsoftがバージョンアップビジネスで苦しんでいるのも、iPadの売り上げが低迷を見せはじめたのも、同じ原因による。家電製品やAV機器についても、買い換え需要に期待できるレベルには限りがある。

そうした限界を破るためには、まず新規開発事業部といったような妙な名前の事業部を設置して、各事業部から人を集め、既存の事業に拘らない新規事業を起こさなければならない。そして、そこでやるべきことは、新技術の開発や製品適用を頑張るという方向性-その効果を全く否定するわけではないが-ではなく、人々の生活をきちんと把握するという人工物進化学のアプローチをとって、どのようなことを製品によってサポートするのが人々にとってうれしいことなのかを明らかにすることである。(なお、人工物進化学は、以前、人工物発達学といっていたものであり、単なる発達というよりは、より優れたものに進化するという意味で名称を変更したものである)。

そこでは、人々の生活を、食事とかレジャーといった既存のカテゴリーに分類してしまうことも避けた方がいい。既存のカテゴリーを使うことは新しいカテゴリーの発現を阻止してしまう可能性があるからだ。いいかえれば、人々の生活を既存の言葉をつかわずに新たに再カテゴリー化すること、と言ってもいい。そして、その新しいカテゴリーに属する人々の行動領域をもっと有効に効率的にするためには、どのような人工物による支援が望ましいかを考えることだ。

そのために用いるべき手法は、人工物進化学特有の系統図作成とフィールドワークの手法である。系統図は、昔の技術者たちがどのような行動領域に着目し、それをどのように独立したカテゴリーとして確立してきたかを確認する上で、そしてまた、それがどのような方向にどのような技術を用いて進化してきたかを知る上で非常に有用である。フィールドワークの手法は、この場合、短期的なものでなく、かなり長期的なものでなければならない。そのくらいの工数は割くべきである。何しろ新しい事業分野を作りだそうというのだから、手間暇を惜しんではいけない。

出典: HIDA Design management Course (HCD)
人工物のバリエーション(変異)。時間的変異の例(洗濯機)。
出典: 放送大学授業科目「コンピュータと人間の接点」(’13)「ものづくり5: 人工物ライフサイクル」

巨大な市場が拓けるという期待

次に重要なのは、何か新カテゴリーのタネが見えたとき、それを事業化したとしても、いきなり巨大な市場が拓けると期待しないことだ。とかくマネージメントサイドは「大きなことは良いこと」という固定観念を持ってしまいがちなのだが、そう性急になってはいけない。市場は育ててゆくものでもある。

しかしまあ、こうしたことができる企業になるためには、マネージメントに携わっている人々を入れ替える必要があるようにも思う。頑迷な旧式の信念の持ち主は一朝一夕に柔軟な頭の持ち主には変われるものではない。それは人間としての生き方の問題でもあるからだ。

こうしたアプローチを提起すると、それでは証拠を示してもらいたい、と来る。大抵の場合そうである。そもそもそれが旧式の信念に由来しているのだ。新しいものに取り組む人間に必要なのは新たな信念である。信念の正しさは証明することはできない。ひたすら信じて突き進むしかないのだ。しかし、そうしたことが今の日本企業にできるだろうか。疑問である。

公開:2014年12月24日
著者:黒須教授

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