人間工学や関連領域の倫理的責任

どのような技術も、それを転用することで他人の生活を破壊したり悲惨なものにしたりできる。だからこそ、それぞれの技術の深化や進化に対してどのような倫理的束縛条件を設定するかということが重要になってくる。

人間工学や情報工学や電子工学、機械工学などから構成されるインタフェース技術、プロダクトデザインや情報デザインといった領域は、基本的に人間生活の価値を高め、豊かさを増し、満足感、利便性、そして幸福感に資するものとして発達してきたように思う。しかし、どのような技術も、それを転用することで他人の生活を破壊したり悲惨なものにしたりすることができる。

ちなみに、原子力技術については、10万年を要するといわれる廃棄物処理の問題があり、また攻撃用兵器への利用という問題もあり、そもそも人類に幸福をもたらす技術なのかどうか、その開発を進展させることに本当に意味があるのかという根本的な疑問もあるのだが、少なくとも原子力発電がもたらす電力需要への対応力という面だけで見れば、生活の豊かさや利便性にはつながっていたといえる。

今回、問題にしたいのは、そうした際どい技術領域ではなく、基本的には人類の幸福に資することができると考えられて発達してきたものである。前述の人間工学などの技術には、そうしたポジティブな側面が多く、実際にも人間生活に多くのプラスの面をもたらしてきた。

しかし、「どのような技術も、それを転用することで他人の生活を破壊したり悲惨なものにしたりすることができる」という観点から見た場合、そのいずれもが、そうしたネガティブな利用に加担してしまう可能性があることは確かだし、それぞれの技術の深化や進化に対してどのような倫理的束縛条件を設定するかということが重要になってくる。

攻撃システムの開発に工学的技術を発揮することの責任

無人機PredatorがHellfireミサイルを発射する様子(From Wikipedia
MQ-1の地上誘導ステーション(Photo by: Air Combat Command United States Air Force

たとえば、アメリカ軍が使っているMQ-1などの無人機による攻撃システムを例にとろう。偵察機から送られてくる画像をもとに、ターゲットが果たして本当に攻撃的な敵方の人物であるかどうかの確認も難しい状況のなかで、目標を設定し、ミサイルを発射する。しかも、その発射指示は現地ではなくアメリカ本土で行われている。ミサイル発射の担当者にとっては、まさにテレビゲームと同様の感覚で「敵」を殲滅することができるわけであり、自らは安全な状態にありながら多くの人命を奪い、財産を破壊している。さらに、ターゲットとなった人物が絶命するかどうかまでを確認し、それでミッションは完了する。報道によれば、そうした形で1000名以上の人命を奪う結果となったミサイル発射担当者もいるそうである。さらには、このシステムは、発射担当者にも相当のストレス障害をもたらしているという(参考 Wikipediaの「無人航空機」の項目)。

このシステムの開発には、ターゲットへの位置合わせなどに人間工学的な操作性の検討がなされただろうし、ミサイルを目標に確実に向けるような制御技術のため、さまざまな工学的分野が動員されたことだろう。さらには操作性の高い画面インタフェースを作るために情報デザインの専門家も協力したことだろう。

戦争というのは破壊活動であり、人命や財産を失わせる行為である。特に人命については、それがどのような生い立ちや考え方をもっているか、どのような家族生活を営んでいるかなどとは関係なく、ただ敵方であるというだけで殺害してしまうようなものである。広義の武器というのは、自らの身を守ると同時に、相手方に危害を与えるものである。誰だって目の前の人物を刀で切って血しぶきを浴びるようなことには怖じ気を震うだろうが、相手との距離が遠くなり、リアリティの水準が減じるとともに、そうした実感は伴わなくなる。

そうした殺傷破壊のための人工物の設計や製造に加担している人たちにも、しかしながら、言い分はあるだろう。たとえば、これを作ることには自分の生活がかかっているんだ、と。工場から出荷される時の武器には、それがどのような形で利用されることになるか、どのような運命をたどることになるかは見えていない。あくまでも、それは完成されたプロダクトであり、システムである。

しかし、生活が掛かっている人がいる一方で、他方には生命の掛かっている人がいるのだ。そうしたことを考えれば、武器関連産業に人間工学やその他の工学的技術、そしてデザインスキルを発揮することには大きな責任があるということを、関係者は十分に自覚すべきだろう。自分が殺人に加担しているのだ、という意識をもっと持つべきであり、自分がやっているのは単なる画面インタフェースの改善の仕事なんだ、という逃げの発想を持つべきではないだろう。

素朴な疑問

ISO 25010のユーザ分類をMRIに当てはめた場合、direct userのうちのprimary userには検査技師、secondary userには保守要員、そしてindirect userには結果を受け取る医師が当てはめられるが、肝心の患者の位置が明確にされていない。

この点は、同規格の概念枠の不十分な点だと思うのだが、兵器の場合も同様なことがいえる。primary userは兵士、secondary userには保守要員、indirect userには司令部の高官たちがいるが、肝心の攻撃を受ける側の人間のことが抜けてしまっている。そうした形でHCDとかUCDと言っていていいのだろうか…素朴な疑問である。

公開:2014年9月10日
著者:黒須教授

分類キーワード: