なぜそんなに繋がろうとするのか(後編)

たしかにSNSはソーシャルな場ではあるけれど、そこで本当に有意味な双方向コミュニケーションが成立しているといえるのだろうか。

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受け手を特定できないことは、送り手にとっても注意を要することになる。誰が読んでいるのか分からない情報を送る場合には「無難さ」が必要となる。それを逸脱して、思考実験的な内容をアップしてしまったりすると、その意図を解さない受け手から非難を浴びることになる。つまり、こういう考え方もあるのではないか、といった程度の書き込みが重大な結果を招くことがある。最近も、官僚が「復興は不要だ」という趣旨の書き込みをして事件になった事例があった(編注)が、こうした「差し障り」のある情報をアップするにはSNSやブログは適当な場ではない。個人的な考えは多様であって構わないが、このような話は日記に付けておくべき内容だろう(編注: FNNニュースの記事掲載期限切れにより、リンク先をInternet Archiveに変更いたしました)。

逆に差し障りの無い情報ということで、食事の写真をアップするような人、今日は何をしたというような話をアップする人がとても多い。だが、これが本当に意味のあるコミュニケーションになっているのだろうか。表面的に存在確認をするというだけの意味しかないようにも思われる。それに対してlike(日本では「いいね」)を付けたりするが、それが双方向コミュニケーションになっているのだろうか。単に気に入られたという事実、いや反応する受け手の方も、それ以上のコメントを書くのが面倒だったりすると、何気なしにlikeをクリックしたりすることもあるだろう。

ここで問題提起となる。たしかにSNSはソーシャルな場ではあるけれど、そこで本当に有意味な双方向コミュニケーションが成立しているといえるのか、ということだ。いや、そんなもの、誰も期待していませんよ、という回答も予想できる。だとしたら、何のために書き、読んでいるのだろう。単なる暇つぶしなんだろうか。何となく面白いような楽しいような気がするというだけの理由なのだろうか。送り手のなかには半ば義務的に毎食の写真をアップしている人もいる。その意図は何なのだろう。何となく軽く他人とつながっていたい、つながっているような気持ちになりたい、ということなのだろうか。それは親和欲求というよりは、孤独感の回避欲求にすぎないのではないだろうか。孤独に耐えるつらさを回避するために安直な手段を選んでいるだけなのではないだろうか。

さて、差し障りという点についていえば、差し障りがあろうとなかろうと、思ったことを書きたいという気持ちは人間だったらあるだろう。賢い人間なら、そういうことはSNSには書いたりしないのだろう。なかには個人的スタンスを明確にして、ブログにそういう意見を堂々と述べている人もいるが、それはそれで結構なことだと思う。SNSにしてもブログにしても炎上することはあるが、炎上覚悟で書くのは立派な態度ともいえるだろう。

しかし、SNSという手段が容易に利用できるようになったため、それを日記と勘違いしてしまう人も増えていることとは思う。僕自身がそうだった。自分の考えやアイデアなんかをそこに書くことが普通だった。しかし、それに付けられるコメントが浅いものだったりすると、かなりがっかりもしたが、むしろそうしたやりとりが普通のパターンなのだと知るようになった。そんなわけで僕はFBをストップした。FBを利用していたのはどこからでも、つまりデスクトップからでもノートからでも書けるからで、そこに書いたものを大勢の人に伝えたいという気持ちはそれほど強くなかった。だったら日記でいいじゃないか。そう思った。以前から日記アプリはあったけれど、クラウドではないため、それをインストールしたマシンでないと日記が書けなかった。しかしクラウドを利用した日記サービスも増えてきたので、それを使うことにしたのだ。それを始めてみると僕のなかでFBの魅力が一気に褪せるのを感じた。そうか、そういうことだったのだ、と思った次第だ。

もう一つの問題提起。それは如何に話題になっているとはいえ、如何に多数のユーザがいるとはいえ、その利用者は全国民ではない、ということだ。SNSを利用していると、それが日本を代表するコミュニケーションの場であるかのように錯覚してしまうこともある。しかしそうではない。たしかに無視できない数ではあるが、たかだか日本人全体の2分の1か3分の1位の人たちの場でしかない。それ以外の2分の1から3分の2の人たちは、SNSなんかとは縁のない生活をしている。そういう人たちの生活をもっと考えるべきではないだろうか、とも思った。そうした人たちが自分の考えをどう記録し、他人とのコミュニケーションをどのように持っているのか。いや、そういう人たちをさらにSNSに導こうというのではない。そういう人たちの生き方にSNSとは異なる方向での生き方を学びたい、ということだ。もしかしたら、そういう人たちはネットを利用していても、SNSを使わずに「賢く」ネットとつきあっているのかもしれない、と思うのだ。

公開:2013年10月25日
著者:黒須教授

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