コンピュータとともに30年

私が使い始めたころと比べると、コンピュータは 100 万倍パワフルになった。大型コンピュータではそうとも言い切れないが、その進化はおおむね、より優れたユーザーエクスペリエンス(UX)をもたらしている。

私がコンピュータを使い始めたのは 1974年のことで、当時私は高校生だった。初めて使ったコンピュータは、一部屋全体を占有する図体にもかかわらず、たった 5 キロバイトの RAM(そう 5K だ、5M じゃない)しかなかった。主なデータ入力形式は穿孔テープで、オペレータ用のコンソールは電動タイプライターだった。モニタもなければカーソルもない。CPU は約 0.1 メガヘルツで動いた。

原始的なものではあったが、この初期型コンピュータの使い心地は、数年後、私が大学で使わされることになる巨大メインフレーム機よりもずっとよかった。初期型のシンプルなコンピュータではたいしたことはできなかったが、私は実際にテキスト・ベースのゲームをいくつか設計したことがある。ともかくそれは、シングル・ユーザのコンピュータだった。大きさは部屋ひとつ分ほどあったが基本的には PC だった。それを使っているときは、マシンを完全に自分でコントロールできたし、ぐるぐると回る穿孔テープにいたるまで、マシンが何をやっているのか全てを把握できた。

規模が大きい最新のメインフレーム機は本物の CRT 画面を備えていたものの、コマンドはわかりにくく、ユーザビリティは最低だった。最悪なのは、この上なく他人行儀なことだった。何が起きているのかさっぱり把握できないのだ。コマンドを入力し、しばらくすると望んでいた結果が出ているかもしれないといった具合だ。マシンを使いこなしているという感覚が全くないのだ。基本的に、ここでのユーザは、人知の及ばぬ領域で機能する魔法のご託宣にすがる人 でしかなかった。

PC 革命の後からコンピュータを使い始めた人には、集中処理型コンピュータが押しつけてくるユーザ体験がどれほどひどいものか、想像もできないだろう。最悪の設計の PC でさえ、解放感という点ではまだマシだと自信を持って言い切れる。

小型で比較的理解しやすいコンピュータから、うんざりするほど大きくて理解しにくいコンピュータに移行した体験が、私のユーザビリティに対する情熱の端緒となった。コンピュータは気持ちよく使えるはずだということを私は知っていたので、主体性を取り戻し、マシンの主導権を再び人間が持てるようにしたいと考えたのだ。

この分野一般にとって、集中処理型コンピュータの欠点は覚えておく価値がある。ネットワークのパワー向上にともなって、ユーザの主導権が失われないように配慮しなくてはならない。バックエンドの機能向上に見合った強力なフロントエンドを維持することが肝要なのだ。

2034年にはどうなっているか

現在の調子で体力維持に努めていれば、私は 30 年後のコンピュータを体験できる見込みもかなり大きい。ムーアの法則によれば、コンピュータの処理能力は 18 ヶ月で倍になるとされている。ということは、2034 年にコンピュータの処理能力は 100万倍になる計算だ。インターネット帯域幅に関する Nielsen の法則によれば、家庭への回線速度は毎年 50 %向上する。2034 年には 20 万倍の帯域幅になるわけだ。

その年、私のコンピュータは 3 ペタヘルツの CPUペタバイト級のメモリ、0.5 エクサバイトのハードディスク相当の記憶装置、毎秒 0.25 テラビットのインターネット接続を持つことになる(ペタは1015または 100 万ギガ、エクサは1018または 10 億ギガに相当する)。

細部では相違もあるだろう。現在のムーアの法則に従った 1 つの CPU の性能をあげることを前提にしているが、マルチプロセッサやスマート・ダストのような、より進んだコンピュータ・アーキテクチャを使って同等のパワーを得るという可能性はありうる。だが、ユーザはそういった実装の細部にわずらわされるべきではない。

2034 年までには、ようやく満足のいくコンピュータ・ディスプレイを手にすることになるだろう。解像度は約 2万×1万ピクセル(ちなみに今、私の手元にあるモニタは解像度 2048×1536 ピクセルだ)。歓迎すべきことではあるが、200 倍という予測は比較的小さなものだ。コンピュータ技術の中でも、バッテリーを除けば、ディスプレイ技術はもっとも数値的進歩のない分野だ。

向上したハードウェアの活用法

ペタバイト級のメモリとテラビット級の帯域幅 を、個人用途で使いこなせるだろうか? 今は想像もできないが、未来のあり余るハードウェア資産の使い道に困るようなことはないと思う。保存領域の半分を自分たちの全情報のインデックスにあてれば、検索も瞬時に終わるだろう。いい厄介払いだ。もう、居眠りしそうな Outlook の検索に頼らなくてすむ。

コンピュータ・パワーのかなりの割合を、防御機構のために利用するようにもなるだろう。自己修復型ソフトウェア(バグをつぶし、環境の変化に適応してくれる)や、攻撃的なまでに防護力のあるウイルス対策といったものがこれに該当する。こういったソフトウェアは、上司からのメールを装って添付ファイルを開かせるような「ソーシャル・エンジニアリング」攻撃への対策としても求められるようになるはずだ。

2034年のコンピュータ・ゲームは、シミュレーションされた世界とインタラクティブなストーリー展開を実現するだろう。今日の映画の大部分がそうであるようなリニアなプレゼンテーションではなく、もっと魅力的なものになるだろう。この新しいエンターテイメントを実現するためには、まず高解像度アニメーションでリアルタイムに描画される人工俳優が必要になる。個々のユーザに合わせてストーリーを変えていくことは、ずっと難しいだろうが、ひとたび解決されれば、その成果としてのユーザ・インターフェイスは、幅広い市場に対してはるかに魅力的なものとなるだろう。現在のコンピュータ・ゲームは、プレイは複雑でも、世界像は単純なことが多い。

完全な人工知能がなくても、コンピュータは今よりもっとエージェント的な振る舞いを示すようになるだろう。受動的にじっとコマンドを待っているのではなく、オンライン上でのオーナーの利益を守るために積極的に働くのである。より豊かなインタラクション・スタイルも登場しそうだ。ジェスチャーや物理的インターフェイス、複数デバイス・インターフェイス、さらには、長年待たれてきた高解像度フラット・スクリーンといった面に、それは現われるだろう。

もちろん、パーソナル・コンピュータは、サイバースペースや実世界で私たちが目にしたもの、やったことをすべて覚えてくれるようになるだろう。寝ている時間を除いた生活のすべてを最大漏らさず HDTV に記録しても、0.01 EB にしかならない。それはハードディスク容量の2 %に過ぎない。

未来の進歩とそれが人間の存在に与える影響を予測することにかけては、私よりも SF作家の方が優れた仕事をしている。だが、ひとつ確実なことがある。ユーザ・インターフェイスの進化にとって、穿孔テープからウェブとメガピクセル・ディスプレイへの変遷は、まだほんの始まり、ごく些細なものに過ぎない。人間のニーズを心にとめ、増大するコンピュータ・パワーを適切に利用するなら、この分野には、まだまだすばらしくエキサイティングなことが待ち受けているはずだ。

2004年5月24日

公開:2004年5月24日(原文:2004年5月24日)
著者:ニールセン博士
原文:Thirty Years With Computers

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