ユーザビリティ:
実証主義か、イデオロギーか

ユーザビリティの役目は、ユーザの行動をリサーチして、何が機能するのかを調べることだ。またユーザビリティは、ユーザの権利を守り、簡潔さを目標とするべきものでもある。どちらの見方にも意義があり、この 2 つの違いを理解しておかなければならない。

ユーザビリティは広範囲にわたる。一方ではユーザ体験の領域で何が機能するか、何が機能しないかを知るための、品質保証の方法論である。もう一方では、構築された環境内で、人間の主導権を保証することを目的にしている。

どちらの見方も理にかなっているが、この2つの視点があることを認識し、場面によっては使い分ける必要がある。

実証主義としてのユーザビリティ

エコノミストのArnold Klingは最近、経済の長期的な成長の要約を少し変わった方法で行った。小麦粉でだ。1 日の稼ぎで小麦粉を何袋買えるかで測ると、現在の平均的な労働者は1500年の労働者と比べ430倍稼いでいるそうだ。(Klingが生産力を小麦粉で測っている理由は、それが昔から持続的に生産され続け、古今同じ目的のために使われ続けている、数少ないものだからだ。)

Klingが最もいわんとしているのは、経済とは学習メカニズムであるということだ。この莫大な富の成長は、長年少しずつ蓄積されてきた知識のたまものなのだ。私たちは物事を早く、安く、そして効率よく行うかを1つずつ学んできた。結果として、それら個々の改善が相互に作用し、成長し続ける生産力をもたらしている。

学習による進歩は2つの方法で生まれる。科学的な手法によるものと、進化論的なものだ。科学的手法に基づくものの場合、まず仮説を立てて実験でそれが間違いでないかを確認する。十分な実験が行われ、間違いだと証明されなければ、やがてそれは真実として受け入れられ、技術者たちはそれを製品の改良に役立てることができる。ビジネスの場合、もっと進化論的だ。複数の起業家たちが同時進行で、自分たちに顧客ニーズを満足させる能力があるということに賭をする。そのほとんどは経済システムの「見えない手」により間引かれ、廃業することになる。

科学、ビジネス、どちらの中でも根本的には同じだ。解決案を考え、それが現実世界で機能するのかを確かめるということだ。証明された仮説は科学的な理論として受け入れられ、最も高い顧客満足を提供した企業は、確立したビジネスに落ちつくのだ。

ユーザビリティもまた、リアリティーチェックだ。ユーザビリティにも現実から収穫を得る方法が2つある。

  • デザインし始める前に、フィールド調査や比較調査でデザインの方向性を、現実世界の知識の基に決める。この方法は、科学的手法で仮説を証明する作業に似ている。現実の中で観察されたことの理由付けを行い、それに従ってもっと上手く機能する製品を作る手がかりにするわけだ。
  • デザインが作られた後、ユーザテストなどのユーザビリティ方法論で、新しく作られたインターフェイスを人間が理解できるか判断する。起業家たちが競争の中で、どのビジネスのアイディアが顧客満足度を一番高くするか試すのと同じように、ユーザビリティ専門家たちは顧客たちに異なるインターフェイスデザインをみせて、どれが最も機能するか確かめる。主だった違いといえば、ペーパープロトタイプでデザインのテストを行うほうが、会社を作るよりもはるかに安いことくらいだ。

ユーザビリティは、複雑なシステム内で、強いコンテキスト依存の状況下にあるの人間行動の理由付けを行う。そして、その予想は物理などの自然科学のそれよりも誤差が大きい。そのためユーザビリティの場合は、厳密に調査結果だけを使うのではなく、過去の経験から作成したガイドラインと組み合わせて使う。

ある要素が、異なる様々なウェブサイトで、沢山の人にとって障碍になる場合、ガイドラインで警告を出す。同じように、あるデザイン要素が様々な環境下で上手く機能する場合、ガイドラインでそれを推奨する。

これらの違いはあるにせよ、ユーザビリティと自然科学の基本的なアプローチは同じだ。結論とレコメンデーションは、現実世界で観測されたことに基づいているのだ。ユーザビリティの役割は、デザインプロジェクトに対するリアリティーチェックであり、すでに知られている人間行動に基づいて、何が機能するか、またはしないかを判別することだ。

イデオロギーとしてのユーザビリティ

同時にユーザビリティは、特殊な人間の権利を主張するイデオロギーでもある。

  • テクノロジーに対して、人間が絶対的存在でいられる権利。もしテクノロジーと人間の間に摩擦があるならば、変わるべきはテクノロジーのほうだ。
  • 権限を保持する権利。ユーザは何が起きているのか理解し、その結果をコントロールすることが可能であるべきだ。
  • 簡単に使う権利。ユーザは、コンピュータでやりたいことを手間をかけずに行えるべきだ。
  • 時間を無駄にしない権利。不適当なユーザインターフェイスは、貴重な時間を無駄にする。

これら権利は、いつも重要だと考えられていたわけではない。1960年代、多くのユーザインターフェイスは威圧的で、人間がそのテクノロジーを必要としていることにつけ込んだような作りだった。ウェブサイトも、見た目だけを重視した「キラーサイト」が幅を利かしていたころは同じだった。

もしデザイナーやプロジェクトマネージャーたちが、ユーザビリティのイデオロギーを信仰していなかったならば、どうして彼らが過去の実証から得られたユーザビリティの改善案を取り入れようと思えるというのだろうか。結局のところ、簡単に使えるようにしたいと思わなければ、どのようにそれを実現するか知っていても意味がない。

ユーザの権利を尊重することは、人々を幸せにし、よりよい世界を作ることになる–素晴らしい。だが。強情なほとんどの企業判断を行う人たちにとっては、不十分な理由だ。幸い、たとえ彼らが売り上げのことしか気にしていなくても、ウェブにはユーザビリティのイデオロギーを支持するべき明確な理由がある。もし、サイトが使いにくすぎた場合、ユーザは単にそのサイトから出ていってしまうからだ。

ユーザビリティの考えをためしに取り入れると、平均でウェブサイトは売り上げなどの業績が2倍になる。その理由は、ウェブは究極の競争環境で、ユーザは簡単にそれを使う権利を侵害するウェブサイトには、金銭的なリソースや、思考リソースを使ってくれないからだ。代わりになるサイトは、いくらでもあるのだ。

2つの側面のバランス

ユーザの代弁者として、あなたは実証主義としてのユーザビリティと、イデオロギーとしてのユーザビリティ、両方の見方を持ち合わせていなければいけない。どちらの見方も、それぞれ異なるアプローチが必要になる。

実証主義的なアプローチをとる場合、たとえそれがチームにとって喜ばしくないことであっても、かたくなに何時も信実を伝えなくてはいけない。もし何かが上手く機能するのであれば、それを伝える。もし何かユーザをサイトから追い払ってしまう原因になっているものがあれば、それを伝える。品質を改善するためには、現実を基に判断をする以外に方法はない。そして、チームのメンバー全員でそれを共有する必要がある。

対照的にユーザビリティをイデオロギーとしてみる場合、妥協することも必要になる。時にはデザインのユーザビリティ品質を下げるような判断を下す必要がある。例えば、製作期間や費用が限られている場合、またはユーザビリティ以外に向上させたい品質がある場合などだ。もちろんプロジェクトマネージャーは何がユーザの手助けになり、何が障碍になるかを知らなければ、正しい判断は下せない。そのデータを提供するのが、実証主義的なアプローチだ。

ほとんどのプロジェクト会議では、テクノロジーを操作しなければいけない可哀想な被害者たちを除けば、全員が顔を揃える。多くの場合、ユーザビリティの専門家だけがユーザの代弁者となる。そのような場合、ユーザビリティでわかったことの重要性を主張し、調査結果をイデオロギーで補強しながら、ユーザたちの代弁をすることが必要不可欠になる。

2005年6月27日