ユーザビリティにまつわる誤解
ユーザビリティの費用、必要時間、創造性への影響に関してはいくつかの誤解があって、このせいで、必要不可欠のユーザデータを入手しようという企業の腰を折ってしまう。また、既存の顧客フィードバック手法がインタフェースデザインにも有効だという間違った考え方もあって、これも同じ結果につながっている。
ほとんどの企業では、デザインの原動力となるシステマティックなユーザビリティ手法をいまだに取り入れていない。その結果、ユーザビリティ軽視の風潮が広がっていて、影響力のあるいくつかの誤解を生んでいる。(ユーザビリティの定義、およびその実現の必要性、導入方法については、前回のコラムを参照されたい。)
ユーザビリティには金がかかる
そのとおり。大手コンピュータ関連企業が、何 100 万ドルものお金をユーザビリティ・ラボにつぎ込んでいることはよく知られている。経験をつんだユーザビリティ専門家は、非常に高い報酬を得ている。また、複数のデザイン案を複数の国で比較するような大規模ユーザ・テストには、20 万ドルか、あるいはそれ以上の費用がかかる場合もある。痛い話だ。
だが、大部分の日常的なユーザビリティ・プロジェクトは安価である。小企業にはラボなど必要ない。空いた会議室があれば、ユーザテストはできる。10 年の経験を積んだ高額なユーザビリティ専門家を雇うかわりに、既存のスタッフに調査のやり方を教えることだってできる。国外調査は非常に有益だが、いきなりそこから始めることもない。2~3 日使って、国内顧客を 5 人テストすればいい。
たった 200 ドルの予算でも、ユーザビリティは実行可能だ。調査手法には驚くほどの柔軟性があり、状況しだいで大きくも小さくもなる。平均をいえば、デザイン予算の 10 %をユーザビリティに回すのがベスト・プラクティスだ。そうれば、残りの 90 %は確実に正しい使い方ができ、使いものにならないデザインのために予算をドブに捨ててしまうことはない。
ユーザビリティ工学のせいで公開が遅れる
事例研究レポートは、フィールド調査に始まるユーザ中心のデザイン・プロセス全体を、こと細かに遵守していった企業から発表される場合が多い。予算が少なく、スケジュールも厳しいプロジェクトに携わる人たちがこうした大規模かつ優秀な事例を読むと、気持ちがひるんでしまうことがある。
ユーザビリティは、必ずしも大げさなものではない。私が推薦する手法の中でもっともシンプルなユーザ・テストには、3 日しかかからない。しかも、もっと迅速にテストを進めることだって可能だ。ペーパー・プロトタイピングなどの手法を利用すれば、特にそうなる。数時間もあれば、新たな反復デザインのサイクルが回せるのである。
ユーザ調査主導でデザインを行う主なメリットのひとつは、ユーザが必要としない機能に時間を費やさなくてよくなることだ。初期の調査で、リソースを集中すべきところがわかり、予定通りに出荷することができるだろう。
最後に、ユーザビリティは手早く議論に決着をつける助けになるので、時間の節約にもつながる。大部分のプロジェクトは、数え切れないほどの人月を費やして、高給取りの人たちをミーティングに参加させ、ユーザが望むかもしれないもの、様々な状況下で行うかもしれないことについて議論させている。議論するのではなく、見つけるべきだ。その方が話が早い。何しろ、調査の実施には、チームのひとり分の時間があれば済むからだ。
ユーザビリティで創造性が犠牲になる
デザインとは、基本的に、様々な制約のある中での問題解決である。デザインしたシステムは、実際に作れるものでなくてはならないし、予算の範囲内で、かつ実世界で役に立つものである必要もある。ユーザビリティによって、制約はひとつ増える。そのシステムは、相対的に使いやすくなければならないのだ。この制約は、デザイン・プロセスの中に正式のユーザビリティ手法を取り入れるか否かに関わらず存在する。
人間の短期記憶が蓄えられる情報量はたかが知れている。あまりたくさんのことを覚えさせようと思うと、そのデザインはエラーが多発し、使いにくいものになる。記憶に過大な負荷をかけると、人間は忘れるはずだからだ。
また、ウェブサイトをデザインしているのなら、そのサイトはユーザにとっては数 100 万分の 1 に過ぎない。彼らが他へ移動してしまうまでの間に、あなたに振り向けてくれる注意力はわずかなものだ。
これが世の中の実情だ。ユーザビリティがやっているのは、単にそれを明示的にして、デザインの中に取り入れられる形にしているだけのことなのだ。ユーザビリティ・ガイドラインは、似たようなデザインの中での典型的なユーザ行動を教えてくれる。ユーザ・テストは、あなたのデザイン案におけるユーザ行動を教えてくれる。これらのデータに留意するもしないも、あなたの自由だ。でも、だからといって、実世界は何も変わらない。
実世界の実情を知ることで、創造性は向上する。なぜなら、それはデザイナーにデザイン上の改善点に関するアイデアをもたらし、現実的な問題にエネルギーを集中させてくれるからだ。
デザインの定石に従うことは創造性の破壊にはつながらない。インターフェイス・デザインの定石と標準は、英語の辞書のようなものである。それは、インターフェイス・ユニットの意味を定義し、その組み合わせのガイドラインを提供するものだ。だが、辞書があるからといって、書く内容まで制約されたりはしない。ハリー・ポッターでも、スティーブン・キングのスリラーでも、Alertbox コラムでも、何だって書ける。読者が理解できるような言葉づかいになっていること、という標準面での期待があるにしろ、文筆活動には創造の余地が十分にある。インタラクション・デザイナーも、同様に創造的になれるはずだ。たとえ、ホモ・サピエンスの特性に合わせたデザイン、という条件を課せられたとしても。
顧客の声にはもう耳を傾けているからユーザビリティは必要ない
フォーカス・グループや顧客満足度調査といった市場調査の手法は、企業のポジショニングや広告キャンペーンのメッセージを選択する上では非常に有効だ。だが、ユーザ・インターフェイスの疑問に答えるには向いていない。いや、むしろ誤解の元にさえなることがある。
スナックをつまみながら居心地のいいテーブルを囲んでいる人たちは、ウェブサイトの派手な機能やマルチメディア要素のデモを見て、簡単に喜んでしまう。この人たちをひとりでコンピュータに向かわせると、同じウェブサイトでもあっという間に立ち去ってしまうだろう。
デモ効果の実例としてもっとも有名なのは、3-D ユーザ・インターフェイス、中でも、複雑なデータセットの中を飛びまわれるという趣向だ。こういったシステムは相当にカッコよく魅力的に思えるが、現実に使いものになるものは、まずめったにない。
デモを見るのと、それを実際に使うのとはまったく別物だ。同様に、顧客が口にすることと、実際の行動が一致することはめったにない。顧客の声を聞くというのは、間違ったデータを集めるための間違った手法なのである。
幸いなことに、正しいユーザビリティ手法は安価で、実行もしやすく、プロジェクトを遅らせることもない。ならばどうして、誤解の元になるような手法に頼る必要があるだろうか。しかも、たいていはその方が経費もかかるというのに?
2003年9月8日