携帯電話の携帯のしかた

モバイル機器が全盛だ。ウェアラブルという研究も盛んになされている。さて、この動きはどこまで行くのだろうか。どのような形で落ち着くのだろうか。

最近気になりだしたのは携帯電話をどのようにして携帯しているかということだ。女性の場合はバッグにいれていることが多いようだが、男性はというと結構さまざまで、レストランに入ってくるときなど手に握ってもってくる人が結構いるし、上着やワイシャツのポケットに入れている人もいる。中には携帯電話に輪ゴムを巻き付けてポケットからの脱落防止にしている人もいる。携帯とはいいながら、携帯するやり方は様々で、ちょっともてあまし気味というか、落ち着き場所がない、という印象を受ける。携帯電話の落とし物が結構多いというのも、適切な携帯のしかたが見つけられていないことの現れといえるだろう。

携帯電話の場合、その機能の本質から小型化には限度がある。軽くしたり薄くする分には基本的に問題はないだろうが、縦横のサイズを小型にしてしまうとメールの送信のための打鍵がやりにくくなる。電話番号の打鍵だけだったら腕時計程度の大きさにしてしまうこともできるだろうが、文字入力は無理だろう。また表示画面サイズの問題もある。もともと電話機能だけだったら画面などなくてもいいのだが、メールの送受信機能やデジカメ機能などの付加機能がもはや携帯電話の本質的機能となってきた以上、画面をこれ以上小さくすることはできないだろう。その意味では、携帯電話の大きさはこれ以上小さくできない。となると、腕時計型にしてしまうことは難しい。今更電話機能だけを分離して無理矢理腕時計型にしてもどれだけ市場性があるか疑問である。また腕時計は基本的に視覚を利用するものだが、電話というものは聴覚と音声を利用する。となると耳との距離、口との距離が問題になる。イヤホンマイクという製品もあるが、これは本体を必要とするし、仮に本体がイヤホンマイクサイズにまで小型化されたとしても、電話機能だけのものだ。その意味でも現在の携帯電話の大きさはどうしても必要ということになるだろう。

日常的な携帯品というとメガネと腕時計、そしてイヤリングもしくはピアス、といったところだろう。医用目的の補聴器やペースメーカなども携帯品になるだろう。どれも身体に密着し、身体に組み込まれている点が共通している。この身体に組み込まれるという点に着目して、体にいろいろな機器をからみつけるような研究がなされている。しかし、私にはこの方向での製品化が成功するとはどうしても思えない。人間はできるだけ身軽でいたいと願うものだからだ。それは重さの問題ではない。体を束縛するものから自由でありたいという気持ちは基本的な欲求なのではないだろうか。自宅に戻ると男性の99%はネクタイを外すだろう。人によっては私のようにズボンもぬいで靴下もとってシャツも脱いで下着姿になってしまうかもしれない。衣服という身体への密着度の高いものですらそうなのだ。腕時計も風呂に入ったり寝る時には外す人が多いと思う。寝ている時にもメガネをかけているのはおそらく私の家人くらいのものだろう。

要は、その携帯品がどの場面で必要かということだ。体に組み込まれたメガネや腕時計という携帯品が寝ている時以外、ほとんどの場面で必要なものであるのに対し、システム手帳や電子手帳という携帯品は「外」の世界で必要になるものだ。だから「うち」に戻ったときにはどこかにおいてしまっても構わない。この点で携帯電話という携帯品には、いつ電話がかかってくるかもしれないし、メールが届くかもしれない。そのため、体に組み込まれていないにも関わらず、なかなか手放すことができない。そのあたりが携帯電話の特殊な事情といえるだろう。

私は携帯電話はベルトに通したホルダに入れている。心配性なのでホルダと携帯をループケーブルでつないでいる。おかげで無くしたことは一度もないが、自宅にもどってズボンを脱ぐとズボンと一緒に放りだされてしまうため、電話がきても、メールが届いても、翌日にならないと分からない。身体ではなく衣服に組み込んでしまったため、「うち」に戻った時に携帯品でなくなってしまうのだ。

しかし、携帯電話の落ち着き場所というのはこのあたりしかないのではないかという気もしている。衣服によってはベルトがないためやはりバッグに入れなければならないということもあるだろうし、ファッション的に格好悪いという見方もあるだろうが、やはり携帯品というものは効果的に携帯できてこそのものである。現状では、まだ無理して携帯している、という印象が否めない。ましてや、それ以外の新規で新奇な携帯品をや、というわけである。

公開:2002年9月9日
著者:黒須教授

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