厄介な人工物、政治システム

人工物という概念は、製品だけでなく、環境やシステムなど、人間が手を加えたものすべてを指す。そのなかには自動車や飛行機や家屋やパソコンや家電品などの製品、駅や図書館、公園、道路などの環境、政治や経済や交通などのシステムが含まれている。

いわゆる製品、特に成熟製品については、人類の長い歴史の中で、そのユーザビリティはかなり改善される方向になってきた。家屋を例にとりあげれば、それは人を温度や風、湿気、音、光などといった物理的側面に関して適切な状態におくことができるようになっている。また防犯やプライバシーの保護といった社会的側面についても適切な状態になっている。自我領域を明確化したり、帰巣本能の対象としての心理的な側面についても、最適な状態になっている。こうした数々の側面は、人類の長い歴史のなかで、その自然風土や社会風土に適合させる形で、何度も何度も試行錯誤が反復された結果だろう。その意味では、まだ改善の余地はあるものの、そのユーザビリティは、家屋に求められる要求事項を相当な水準で満たすものになっているといえる。

もちろん誰もが望むような家屋に住めているわけではなく、特に日本では、環境要因を重視すれば都心から遠いところに住まざるを得ず、買い物や通勤に不便があり、利便性を重視すれば、排気ガスや騒音に悩まされることになる。これは家屋という単体の問題ではなく、それが設置される環境との関係であり、こうした面では、居住環境という環境の問題、あるいは通勤やショッピングというシステムの問題として、さらにそのユーザビリティを高めてゆかねばならない。

もちろん家屋のような成熟製品ではなく、情報通信機器のような新規な製品については、今後もユーザビリティ関係者の闘いは続けられねばならない。それは、自然な試行錯誤に頼っていたのでは、何十年、何百年かかるかもしれない適切なユーザビリティの確立を、できるだけ効率的に達成しようとする活動であるといえるからだ。

また環境についても、前述の居住環境の問題、建築物の中でのナビゲーションの問題、アクセシビリティの問題など、改善すべき点は多々あるが、環境意識の高揚やユニバーサルデザインの考え方の普及にともなって、徐々に改善される方向が見えてきつつある。ただ、それをユーザビリティの問題としてとらえるという見方はほとんど普及しておらず、個別の問題指摘はなされるものの、それをどのような方法論で解決すべきかについては、まだ理解されていない。そのため、放置されたままの問題もあれば、個別の改善運動で取り組まれているものもあり、ユーザビリティという考え方で、製品という単品に対する取り組み方を適用してみようという試みは少ないように思う。そのため、現状はまだ理想常態にはほど遠く、それをユーザビリティの問題として認識している人々は、声を大にして騒ぎ回らねばならない状態ではある。

問題なのはシステム、特に社会的なシステムである。たとえば政治のシステムを例にとって考えてみよう。現在、ほとんどの国では代表民主制、つまり間接民主主義が採用されている。これについての問題点はさまざまな人から指摘されているものではあるが、たとえば、基本的には自民党の政治的実行力に期待している人がいたとしても、その人は、自民党が提案し実行してゆくすべての政策に同意しているわけではないはずだ。多くの点で共感できたとしていても、アメリカのイラク攻撃を簡単に支援してしまう、という点に強い反感をいだく人がいたとしたら、その人はどういう政治的行動をとればいいのだろう。一般人の政治的行動は、間接民主主義の世の中では基本的には投票による。しかし、政党政治がベースにあり、無所属といっても、特定の政党の色が強くついていることが多い現状では、結局、選挙をしても、それは投票の時点での政治的決断であり、その後に提案される政策については、見込み依頼、ないしはお任せ、という結果にしかなっていない。政治について、個人の意志を適切に反映することがその要求条件であるとするなら、今の政治システムはユーザビリティの面からすると最悪のものである。

これは、人間が個としてだけで存在することはできず、社会的存在として他人との関わりの中で生きてゆかねばならない、という根元的な制約条件と関係している。社会的存在としての個人は、集合体という形をとる。となると、集団としての意志決定が必要になる。その中では個人個人の考え方の相違点はマイナーなものとして消去され、大きな方向性だけが決定される。この点は直接民主制を採用しても同じことだ。もちろん道路をどこに造るかというような話になると、それぞれの地域住民の意思、時にはエゴがぶつかりあい、結果的に少数意見が駆逐されるような結果になってしまうことが多い。こういう場合には直接民主制よりは、より上位の政策決定が必要なのかもしれない。このように直接民主制だけが政治システムを生活者の意志を反映する最適なやり方であるとはいえない。

しかし、間接民主制の世の中では、意志決定のためのアクションが投票というお任せ行動でしか実行できないわけで、直接民主制以上に大きな問題を孕んでいる。私が投票をしないのもその理由からなのだが、それでは集団意志決定に関して最適なアルゴリズムないしパラダイムが存在するのかというと、それはまだ見つけられていない。結局、個人が個人として生活できる側面をどんどん強くし、社会的存在としての側面をどんどん弱くして、それでも個人が生活していけるような社会を作り上げてゆくしかないのかもしれない。しかし、そうなったとしても全ての社会的側面を否定することはできないだろう。山にこもって農耕生活をし、納税を拒否し、逆に税金で敷設された社会的人工物である道路は絶対利用しない、という生き方も考えられないではないが、現在の世の中ではそれを完璧に実施することは無理だろう。ただ、「できるだけ」社会的制約を緩いものにした社会、というものを目指すことができれば、それは新しいパラダイムの創出につながるかもしれない。ただし、他人とひっつきたがるのも人間の心理的真実である。そのあたりのバランスをとった理想的社会システムのための新しいパラダイムの創出は、ユーザビリティがとりくむべき究極の課題であるといえよう。

公開: 2003年1月1日
著者: 黒須教授

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