宅配食のUX

我が家では、2021年5月の緊急事態宣言で、飲食店で酒が飲めなくなってから、宅配食を利用するようになった。要素的にUXを考えて見ると、宅配食というのは、まあトータルでそこそこ、というレベルにあると評価すべきなんだろう。

  • 黒須教授
  • 2021年8月10日

宅配食利用に至る、の記

昔から「出前」という形で蕎麦屋や寿司屋などがやっていた宅配は、その後、ピザ屋にも普及した。ネットスーパーという形で、料理の素材や惣菜、雑貨品までが宅配されるようになったのは比較的最近のことといえるだろう。

それが食品全般に拡大したのは食事宅配業者がほそぼそと商売をしていたところに、ピザ屋の宅配があたりまえの存在となり、さらに楽天やアマゾンなどの配達が一般化したところにウーバー・イーツが食品の宅配に火をつけたからだろう。いまでは出前館、楽天、すかいらーくグループ等々、いろいろな業者が参入してきており、そこに登録している店舗数も多種多様になってきている。

我が家では、2021年5月の緊急事態宣言で、飲食店で酒が飲めなくなってから、そうした宅配業者を利用するようになった。それまでは、徒歩やバスで店舗まででかけて、マスク飲食をしていたのだが、飲めないんだったら自宅で飲めばいい、そのほうが値段も安く済むし、という考えから宅配食利用に切り替えたのだ。もちろんネットスーパーなどを利用して素材を購入し、自炊をすればいいのだが、家族が数人いる場合なら頑張って自炊するかもしれないけれど、味の好みの異なる二人ではどうにも面倒くさい。そんな怠け者には料理の宅配食はうってつけの手段だった。(…いや、たまには自炊もしてますけど)。

ただし、宅配には送料がかかる。これにはピンからキリまであり、筆者の近隣では無料のところから700円台のところまである。それでも400円程度までなら、それを店舗にでかける往復のバス代と考えればペイするとみなせる。かくして、我が家にとって宅配は欠かせないものとなってしまったのである。

宅配食の得失

そもそも、宅配での料理の料金って高く設定されてるんじゃないか、という疑いはある。あるいは値段はそこそこでも量が少ないのではないか、という疑いもある。料金については、実店舗に行ったことがない場合は確かめようがないけれど、そんなに悪どい価格設定になっているようではないようだ。量については明らかに少ないとか上げ底してる、というケースもあるが、実に生真面目にちゃんとした量が届くこともある。このあたりは、トライアンドエラーで、徐々に良い店を探していくしかないのだろう。

ただ、楽をして自炊をせずに済ませようとする場合、コスト的に安く済むのはスーパーやコンビニの惣菜や弁当のコーナーを利用したり、飲食店の持ち帰りを利用することだろう。それらの価格帯である300円、500円、700円といった低額のオーダーで宅配食を利用するのはちょっと困難だし、さらに送料がかかることを考えるとちょっと二の足を踏んでしまうかもしれない。ただ、スーパーやコンビニの弁当コーナーにある種類はせいぜい10-15品目、多くても30品目程度なので、味のバラエティを期待することは難しく、そこに宅配を利用するメリットがあるともいえる。

配達時間については様々で、15分のこともあれば、まれに120分というようなケースもある。さすがに120分の店を頼むことはないが、60分くらいであれば注文することはある。興味深いのは、時間に関してはかなり皆キチンとしていることだ。10-15分遅れる場合でも電話で連絡が入る。遅れる原因が店側にあるケースと配達員側にあるケースがあるのだろうが、客であるこちら側にはそのことは区別がつかないし、どうでもいい。いずれにしても時間についてキチンとしてくれるのは気持ちが良い。もちろん連絡なしに遅れるケースもあるのだろうが、幸い、まだ筆者はそういったことを経験していない。

UXという観点からの宅配食

出前の時代には、寿司か蕎麦あたりしかメニューが無かった。当時の人々は今より勤勉で自炊などものともしなかったのかもしれないし、それ以外の料理屋には出前をするという発想がなかったのかもしれない。また、出前を専業とする人々が存在していなかったこともあるだろう。

しかし、今のように商品に溢れた時代になると、宅配のポータルは、まるで大型のフードコートのように何でもありの状態だ。また同じカテゴリー、たとえば寿司にしても、複数の店から選ぶこともできる。韓国料理やタイ料理などの店まである。このあたりは、「何か特定のものを食べたい」というユーザの気持ちをほぼ確実に実現してくれる、という意味からすると有効さや機能性の高さと考えることもできるだろう。いずれにしてもユーザの満足感に寄与するところだ。

コストについては前述したように店の差が大きいように思う。宅配価格を設定しているとしか思えない高めの価格の店もあれば、この量と味でこの価格かという店もある。まあ流行に乗って宅配を始めてみたけど、ちょっとここらで儲けてやろうなどという考えの店は、いずれ淘汰されることだろうし、そうあって欲しい。

効率については、満足感を高める方向といえるだろう。まず外出するための着替えや道中の時間的ロスがない。注文してから食べ始めるまでの時間の点で宅配は不利ではあるが、帰宅の時間的ロスまでを考えると、到着までの待ち時間は相殺されるだろう。もちろん巣ごもりをしないで通勤している人たちなら、帰りのついでに食べてゆけるのだから、宅配を利用するまでもないだろう。

感性的側面について、まず味については、かなり旨かった店が半分くらい、まあこんなもんかという店が半分くらいであったが、もうひとつ、外観からくる視覚的印象についていうと、これは低いと言わざるをえない。寿司や蕎麦の配達の場合は、ちゃんとした桶や丼にいれてあり、「そのものらしい」外観をしていたが、宅配食の場合は、容器の回収がないため、皆プラスチック容器に入っている。これは実に素っ気ない。自宅で容器を入れ替えればいいのかもしれないが、筆者はそのまま食べている。その意味では視覚的感性の点では満足できていない。

UXという点からは、利用状況ということも忘れてはならない。現在の宅配食の隆盛がコロナ禍での自粛生活を背景にしている面は否めない。まあ外食ニーズが宅配食ニーズに転化したと考えれば、外食産業としてはそこそこのレベルを維持しているともいえるが、もしコロナが沈静化して、人々が街に繰り出すようになったとき、宅配食産業が今の水準を維持できるかどうかは分からない。となると、配達を業としている主に若い人たちは職を失ってしまうことにもなるだろう。ワクチン接種が進行しつつある今が宅配食のピークなのかもしれない。

このように要素的にUXを考えて見ると、宅配食というのは、まあトータルでそこそこ、というレベルにあると評価すべきなんだろう。今後、さらに革命的な宅配食が登場するかもしれないが、そのあたりについては興味をもって見続けていきたい。