5年後の携帯機器<前編>

  • 黒須教授
  • 2003年12月15日

異文化研究で著名なホフステッドによって集合主義的とされた日本人であるが、近年、パーソナル機器の普及によって、そのあり方には多少変化が生じてきたように思う。以前はテレビもビデオもステレオも電話も一家に一台が普通だった。それがウォークマンのようなパーソナルAV機器の開発と普及によって、自分の好みにあったものを好きなときに楽しむ、というパターンが当たり前のこととなった。また携帯電話は文化的変革というほどの大きな変化をもたらした。携帯電話のおかげで、自分の居る場所で、自分の好きな時に、自分の話したい相手と、周囲に遠慮することなくコミュニケーションが取れるようになったのだ。携帯電話の留守番電話機能やメール機能のおかげで、そのコミュニケーションは時間軸を超えたものにもなった。

こうした情報通信環境の変化によって、特に家庭における集合的自我は徐々に個人主義的、ないし孤立的なものに変化してきている。もちろんそれは西欧的な意味での個人主義とは質的に異なったものと見た方がいいだろうが、そうであれば、それは日本的個人主義と言ってもいいだろう。パソコンを複数台保有する家庭も増えてきている現在、情報通信環境の個人化の傾向はますます進展することと思われる。

このような背景を念頭において、ここでは携帯機器の将来を考えてみたい。携帯型の情報通信機器として、現在は携帯電話、PDA、ノートパソコンといったものが存在しているが、その将来はどうなるだろうか。

まずPDAについて考えてみると、現在はまだその販売が行われているが、この大きさと重さは、鞄やハンドバッグに入れなければならない程で、身体に密着して携帯するレベルにはなっていない。その意味では携帯度は中といえるだろう。

それに対して携帯電話は、鞄やハンドバッグに入れている人もいるが、専用ホルダーが多数販売されていて、腕時計のように身体に密着して携帯することができる。そのため、鞄やハンドバッグをどこかに置いている状況でも機器を利用することができる。その意味で、こちらの携帯度は上となるだろう。今では腕時計をせず、携帯電話で時刻を読んだり、目覚まし代わりに使っている人も結構いるから、すべてではないにせよ腕時計が携帯電話に統合される比率はこれからさらに高くなるのではないかとも思われる。

一方情報機器としてのノートパソコンは、デスクトップの代わりとして省スペースの目的で利用される3Kg位の高機能高性能なものがある一方で、高機能でありながら軽量なものが次々と発表されている。現在は1Kgが一般的な目安だが、いずれそれはDVDドライブが付き、80GBくらいのHDが付き、10時間くらいの連続使用が可能になって、それでも6-800gくらいになるのではないかと思われる。こうなったとき、PDAの存在意義はかなり薄いものになるだろう。

文字入力については人間の手の大きさから、効率的な入力を行うためには一定の大きさが必要であり、ノートもしくはサブノート程度の大きさは必要になる。PDAに搭載されていた手書き入力はその効率の悪さから最近見直しが掛けられているようで、そうなるとキー入力を利用することになるが、簡便な入力なら携帯電話方式、まともな入力ならパソコンのフルキーボードで、という未来が見えるような気がする。

また情報表示については、Webアクセスをする場合でも地図アプリを利用する場合でも、文書作成や表計算などでも、ある程度の画面の絶対サイズは必要であり、解像度が上がったにしても小さな画面よりは大きな画面の方がいい。その意味で現在のノートパソコン程度の画面サイズの優位性はゆるがないだろう。反対に携帯電話の表示サイズはそれなりに割り切ったものであり、割り切って使うにはある意味で潔い大きさということもできるだろう。

このように、私は携帯型の情報通信機器は携帯電話サイズと(サブ)ノートパソコンサイズに二分化されてゆき、近いうちにPDAは消滅すると考えている。さて、そうなった時、携帯電話の将来はどうなるだろう。次号では携帯電話の将来像を考えてみたい。