流通業界に人間中心設計の考え方を

我々の生活の質(QOL)の向上のためには、人間中心設計の考え方を広い範囲の関係者に普及することが必要だ。この意味で、これまで製造業やサービス業を中心目標にして行われてきた人間中心設計の動きは、流通業界に対しても波及していくべきと考えられる。

  • 黒須教授
  • 2009年7月30日

人間中心設計の考え方は、これまで製造業を中心にその適用が考えられてきており、最近になって、さらにサービス業にも適用されるようになってきた。ここでもうひとつ、流通業界との関係を考えてみたい。流通業としてここで考えようとしているのは、商社、百貨店、量販店、スーパー・コンビニといった業種である。

流通業における人間中心設計といった場合、まず販売場面を人間中心的に行う、つまり人間中心の視点から販売場面を設計するという意味合いが考えられる。

ここでは製品情報やサービス情報を、顧客の立場にたって、その顕在的要求や潜在的要求に適合した形で提供する、というアプローチが重要である。店頭であれば、販売員が顧客の質問に適切に答えるだけでなく、顧客の利用形態を考えて、「この点についてはいかがでしょう」というような形で予測的情報提示を行うことも大切だ。また通販であれば、対話的に情報を提供することが困難なため、たとえばインターネットのサイトには必要十分な製品情報やサービス情報をきちんと提示しておくことが大切だ。

しかし現実には、販売員は誰もが十分な商品知識を持っているわけではない。他の販売員にヘルプを頼みにゆく場合はまだしも、他に店員がおらず、販売員がカタログを調べ始めてしまうような場合もある。これでは幾ら製品やサービスそのものが人間中心的に設計してあっても、肝心の顧客、すなわちユーザとの接点で、その設計情報が伝達されないことになってしまう。

ネット通販のサイトでも、たとえばノートパソコンで重量が気になっているのに、機種によっては重量の数値が書いて無いことがある。これらの点については、テクニカルコミュニケーター協会(JTCA – http://www.jtca.org/)が頑張って活動しているが、その活動対象は主にマニュアルや取扱説明書が中心となっており、技術情報を顧客に伝えるその他のメディアであるカタログや宣伝・広告、あるいはウェブサイトによる情報提供、販売員や営業担当による情報提供などについては、まだこれから、という状況にある。

またPL法への対応についても、ユーザとしての利用可能性を考慮した十分な説明がカタログや取扱説明書に書かれており、かつ店頭であれば店員から提供されなければならない。そのような対応を怠ったために事故が起こってしまうことも多いし、事故が起きてからの対応の大変さに、事故を起こしてしまってから苦慮するというケースも多いということだ。なお、こうした点については、日本テクニカルデザイナーズネットワーク協会(JTDNA – http://www.jtdna.or.jp/)が頑張って普及活動を行っている。

もうひとつ、流通業界に関係した課題は設計そのものについてである。流通業界というのは右から左に商品を流す業界だろうというのは誤解である。スーパーや通販などで我々が購入する日用品、電気製品などは、現在、日本で製造されているものは少なく、中国などのアジア諸国で製造されたものが多いことは周知のとおりだ。そうした場合、それらの諸外国が設計から製造までをすべて担当していることもあるが、設計については日本から指示や要求があり、それに対応した製造だけをそれらの諸国の企業が担当しているケースも多い。

前者のように外国で設計が行われる場合には、製造され、できあがってしまった商品を検査することで輸入・販売をするかを決定することになる。その際、コストだけでなく、信頼性や安全性などはチェックの対象となっているが、その時にユーザビリティが考慮されることは少ない、いや、ほとんどないと言っていいだろう。流通業界の人たちと直接話しをする機会は多くないので、ここは憶測に過ぎない面はあるのだが、国内の製造業においてすら人間中心設計やユーザビリティの知識や意識が十分に浸透していない現状では、いわんや流通業界においてをや、ということになるだろう、と考えている。

また後者のように国内で作成された要求仕様や設計書にもとづいて外国で製造が行われる場合には、現地の製造技術が低い場合、流通業界の担当者が現地に赴き、製造指導を行うことがある。その際に指示文書となる要求仕様書や設計書などの情報にユーザビリティや人間中心設計が考慮されているケースは、やはり極めて少ないと考えられる。もちろん国内の製造業が諸外国で現地生産をする場合などにおいては、それなりにユーザビリティに対する配慮が行われる場合が結構多いと期待できるのだが、流通業界の皆さんが製造に関する技術移転を行う場合には、そのベースになる文書や情報にユーザビリティに対する配慮が含まれている場合は少ないと思われる。もちろんかなりの部分、憶測ではあるのだが、何人かの関係者から話を伺ったところ、どうもそうした現状であるらしい。

生活環境のなかで、自動車や冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコン、トイレやバスユニットなど、重点項目となるような製品の場合には、国内メーカーの製品を購入する顧客も多いだろうが、値段が比較的安い日用品の類になると、そうした形で輸入された商品を購入することになるケースも多い筈だ。いいかえれば、我々の日常生活のかなりの部分がユーザビリティを考慮していない製品群によって構成されているということになる。

この意味で、これまで製造業やサービス業を中心目標にして行われてきた人間中心設計の動きは、流通業界に対しても波及していくべきと考えられる。これまでは、人間中心設計の関係者と流通業界の皆さんとの接点はほとんど全くなかった。その意味で、新たなルートを開拓しなければならない。しかし人間中心設計の考え方を広い範囲の関係者に普及することは、我々の生活の質(QOL)の向上にとってMUSTと言えるだろう。