もっとネガティブな経験に注目を

UXは本来、長期間のユーザの経験を重視する活動だった筈だ。本質的な問題点を確認し、それをどのようにして無くして行くかという努力を忘れてはならない。

Nielsenのsmall usabilityの考え方は、ISO 9241-11のbig usabilityの考え方よりも狭いものだった。そして、機能や性能というポジティブな側面に対する検討はユーザビリティの範囲から除外され、ユーティリティとされていた。その意味で、ユーザビリティという概念を前向きに、そしてポジティブにとらえるためにISO 9241-11は有効性があったといえる。

ただ、だからといってsmall usabilityはもう古い、いまさら重視する必要がない、と言うわけではない。単純に、もっとポジティブな側面に注力しよう、ということにもならない。問題があるなら、それはつぶさねばならない。改良しなければならない。その努力を抜きにして、ポジティブな側面の機能開発や性能向上を賛美するだけでは不十分である。

同じことはUXについてもいえる。Hassenzahlの考え方は一般的なものになり、品質をpragmatic qualityとhedonic quality、これを僕は実用的品質と感性的品質と訳しているが、そう区別することが広まってきた。たしかにそれ自体は良いことだし、これまであまり感性的側面が重視されていなかった、ある意味では「おまけ」のような位置づけとして考えられていたことに対するアンチテーゼとしては意味がある。

Hassenzahlの考え方は、特にデザインやマーケティングの関係者によって歓迎されたように見える。デザイン関係者はもともと感性に訴求する製品のポジティブな魅力を作り出すことに関心があったし、マーケティング関係者は売りにつながりブランドイメージ向上につながるポジティブな魅力に関心が高かった。いいかえれば、これらの人々はもともとネガティブな面を改善することには関心が薄かったと言ってもいいだろう。もちろんプラスの魅力でマイナスな面を覆い隠すことは不可能ではない。しかし、一見したときの魅力は、生活や仕事など実際の利用経験の中で長続きするという保証はない

YouTubeでも見ることができるが、たとえばピアノ階段というものがデザインされている。階段の各段をピアノの鍵盤に見立てたシートをつくり、それを階段にかぶせる。各段にはスイッチがついていて、そこを踏むと音がする。人々は最初はびっくりするが、自分の歩行が音列になることの面白さから、脇にあるエスカレータよりもこれを利用する人が多かったという話だ。さて、このピアノ階段、長期間設置されていたとして1年後にはどうなるだろう。僕は人々が飽きてしまい、楽でスピードも速いエスカレータの方に戻ってしまうのではないかと予想する。

これは一つの例に過ぎないが、デザイン的な快適経験の考案は、常に目新しさを追求した一過性のものとは限らないが、本質的な満足につながることが少ないように思う。食料品のデザインやウェブデザインのように、短期間で新しいデザインに変えることができるものの場合にはそれでもいいが、継続的に長期間利用するものについては、ポジティブな経験を持続させるデザインをすることは難しい。

もうひとつ、UXの個人性がある。UXというのは人間の感性や感情に関わるもので個人差が大きい。同じ人でも時と状況によって異なる感情を抱いている。つまり、「常に」ポジティブなUXを与えつづけることは困難だ、ということである。違う言い方で、UXをデザインすることはできない、可能なのはUXのためにデザインすることだけだ、と言っている人もいる。

こうしたことから、ポジティブなUXのためのデザインには、本質的な洞察が必要である。そして長期的な実利用経験を考慮する姿勢が必要である。そのなかで継続的に利用され、ユーザに満足を与えるようなデザインを行うためには、そこにネガティブな側面が残されていてはいけない。あるいは感性的品質のために実用的な品質を損なうようなことがあってはならない。

その意味で、ユーザビリティ活動で積極的に行われていた評価中心の問題点洗い出しの活動はやはり大きな意味があった。もちろん問題点にも矮小なものは多い。しかし本質的な問題点を確認し、それをどのようにして無くして行くかという努力なしには、長期間の実利用の中で、化けの皮は剥げてゆくことになるだろう。

UXは本来、長期間のユーザの経験を重視する活動だった筈だ。一過性のポジティブな楽しさや喜びに注目して、本質的な経験の向上を目指すことを忘れてしまうなら、早晩UXという概念は他のキーワードに取って変わられてしまうことになるだろう。

公開:2011年5月27日
著者:黒須教授

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