UXと<Not->と<+>と
UXは(スモール)ユーザビリティを含んだ考え方であり、2つは対立する性質のものではない。「UX=製品の感性的な魅力をつくること」という誤解は、(スモール)ユーザビリティの重要性を貶めてしまうことにつながる。
大分前になるが、(スモール)ユーザビリティはマイナス(問題点)をゼロにする方向を目指し、ユーティリティはゼロレベルからプラスを目指す活動だということを書いた。この考え方は分かりやすいためか、結構あちこちで形を変えて使われているように思う。
それでUXの話になるのだが、どうも最近、FBの書き込みやブログや関連ニュースなどを見ていると、UXはマイナスをゼロにするアプローチではなく、ゼロ以上、プラスをさらに嵩ましするアプローチである、というような誤解が目に付くようになった。そして、楽しさや嬉しさを増大させることを目指すアプローチなのだ、というように誤解されている部分もあるようだ。
ここには、マイナスをゼロにするアプローチへの消極的な姿勢、さらにいえばそれに対して否定的ともとれるような姿勢が感じられ、さらに楽しさや嬉しさという感性的な価値が重要であり、それは新しい機能やサービスを提案することによって得られるものという考え方も見て取れる。これは由々しきこと、と考えて、今回はそれについて書くことにする。
マイナスをゼロにするアプローチへの消極的な姿勢
前者の考え方については、Eric Schafferも誤解を招きやすい言い方をしている。それは
Usability people have forever been in the position of finding themselves designing a“usable wrong thing.” You’re told, “Okay, we’re building this. It’s going to have these functions, and you have to make it easy for people to use.” But…it’s the wrong thing. And if you don’t deal at the higher level with the question of what you’re trying to design and how it fits in with other things, then it’s catastrophic.
Eric Schaffer “UX Strategy: Let’s Stop Building Usable Wrong Things”
というものである。これには坂田氏と若狭氏による翻訳があるので、それを引用させてもらうと
ユーザビリティ分野の人達は、「間違ったものを使えるようにする」デザインをしてきました。「よし、これらの機能を実装しよう。そして、簡単に使えるようにすべきです」と、あなたは言われてきたことでしょう。しかし…それは間違っています。一体何をデザインしようとしているのかという課題、それを他の事とどうやって協調させるべきかが、上流において全くと言って良いほど議論されていません。もし、それが真実なのであればとても悲しいことです。
坂田一倫、若狭修 訳『UX戦略白書』
ということである。きちんと読めば誤解はされないと思うのだけど、「usable wrong thing」という言い方は、衆目を集めるには刺激的で効果的かもしれないが、実に誤解を招きやすい。
もちろん、彼が主張しているように、何がなんでもユーザビリティを高めるのが重要なのではなく、まずはその製品やシステムが本当に適切なものか、僕の言い方をすればユーザに満足を与える意味のあるものかどうかを確認することが重要である。しかし、それは決して、意味性の確認されたものについてユーザビリティの問題を解決することで品質を向上させることの意義を否定したものではない。この点は強く確認しておきたい。要するに、プラスを高めることも重要だが、マイナスをゼロにすることをおろそかにしてはいけない、ということである。
何度かこうした主張をしてきたが、どうしてもデザインやマーケティングなどの関係者は魅力づくりに惹かれてしまうようで、世間がこうした方向に動いてしまうことを恐れている。こうした状況では、ユーザビリティ関係者が憤慨し、ユーザビリティ工学の向上に力を入れていた1980年代から1990年代の状況と同じようなことになってしまう。その後、ビッグユーザビリティとしてスモールユーザビリティとユーティリティを併せたことで、ユーザビリティ全体に対する関心が高まるかと期待した時期もあったが、Normanの発案が契機となってユーザビリティに代わってUXがキーワードになってくると、とたんにスモールユーザビリティは過小評価されるようになってしまった、ともいえる。やはり、ここらで関係者のみなさんを本道に戻さねばならないと思っている。
新しい機能やサービスの提案によって感性的な価値が得られるという考え方
後者の、楽しさや嬉しさという感性的な価値が重要であり、それは新しい機能やサービスを提案することによって得られるものという考え方については、主観的品質特性としての嬉しさや楽しさはもちろん否定すべきものではないが、もっと重要なのは主観的利用品質としての満足感であり、それをもたらすような人工物の意味性であることを銘記しておかなければならない。
それに関連してもうひとつ書いておくと、最近MITのHiroshi Ishiiがビジョンドリブンという言い方で、テクノロジーとニーズとビジョンのうち、最重要なのはビジョンであると言っている。ビジョンが重要なのはいいが、
いくらユーザーのニーズを知ったって、いま何に困っているかは言えても、未来にどうなっているかはお客さまのニーズの調査からは絶対に出てこない。われわれがどういう未来が欲しいかを考えないといけないんです。
という発言には引っかかるところがある。ビジョンによって一挙に未来を目指すのも結構だが、地道にニーズや必要性(このうち、僕は特に必要性への開発関係者の気づきが重要だと考えている)を把握するアプローチの重要性を否定するような表現は適切ではない。一足飛びに未来を指向するアプローチを否定するわけではないが、そこまでの距離が大きいために大ばくちとなるものであり、その歩留まりはきわめて悪くなる。他方、少しずつでも前進する地味なアプローチは、それぞれの時代や地域的背景との相関性の故にとても重要であり、確実性も高い。
「UX=感性的な魅力づくり」という誤解がユーザビリティの重要性を貶める
今回は<Not->と<+>の話をUXの文脈で再考してみた。もともとUXは(スモール)ユーザビリティを含んだ考え方である。つまりノーマンは、(スモール)ユーザビリティ概念の狭さをUXという概念の導入によって拡大しようとしたわけであり、UXは(スモール)ユーザビリティと対立する性質のものではなかった筈だ。しかし、UXが楽しさや嬉しさという、製品の感性的な魅力をつくることであるというように誤解してしまうことは、相対的に(スモール)ユーザビリティの重要性を貶めてしまうことにつながるので注意が必要である。(スモール)ユーザビリティという地盤が脆弱なところには、幾ら立派な家を建てても崩れてしまうだろう。