フラットデザインとマテリアルオネスティ
Kevin Goldmanがマテリアルオネスティの概念をスキューアモーフィックデザインとフラットデザインの間の議論に適用している。問題点は、フラットデザインがマテリアルオネストであり、スキューアモーフィックデザインがマテリアルディスオネストであるか、ということになる。
Windows 8やiOS 7に採用されているフラットデザインが、これからしばらくの間、GUIデザインの主流になるかどうかは分からないが、ちょっと流行っているのは確かである。
このフラットデザインに関連して、Kevin Goldmanはmaterial honestyという概念に注目している。この概念は、「物質は他のなにかを模するより、それ自身であるべきだ」という考え方で、RuskinやCharles & Ray Eamesあたり、つまり19世紀から20世紀にまで遡ることができるそうだ。たしかに、フェイクファーや合成皮革、人工真珠などのことを考えれば、それは他人の目を欺くことを目的としており、正直(honest)とは言えない。とはいえ、それを身につけている人のあり方や利用状況などを勘案すれば、多くの場合、その正体はばれてしまうことが多いとは思うし、それを身につけている人も完璧にだますことができるとは思っていないことの方が多いのではないだろうか。
さて、問題は、Kevin Goldmanがこの概念をスキューアモーフィック(skeuomorphic)デザインとフラットデザインの間の議論に適用しているところだ。スキューアモーフィックデザインとは、辞書的にいえばスケウオモルフつまり「器物や用具を表現した装飾」(新英和中辞典)のことで、 http://dribbble.com/search?q=web+skeuomorph あたりにその実例を見ることができる。つまり、リアルな立体感を表現することであたかもスクリーン上にスイッチやダイヤルがあるかのように見せるGUIの技法、と言えるだろう。これに対し、フラットデザインは、画面の平面性を「正直に」表現したデザインで、可能な限りグラデーションを排し、のっぺりしたインタフェースを作るアプローチである。したがって、問題点は、フラットデザインがマテリアルオネストであり、スキューアモーフィックデザインがマテリアルディスオネストであるか、ということになる。いいかえれば、この二つの概念のペアに高い相関関係があるかどうか、ということでもある。
Kevin Goldmanは、1980年代の木目調合板を貼り付けた電子レンジを例として取り上げ、そうしたデザインはマテリアルオネスティが無い故に長続きしないのだ、といっている。またGUIデザインでいえば、アイコンのようなマイクロメタファは、たとえそれがゴミ箱を模していても実害は小さく、ユーザビリティや審美性は損なわれないが、三穴バインダーのような大きなマクロメタファはディスオネストである、ともいっている。
さて、フラットデザインに話を戻すと、たしかに近年のGUIの立体表現は凝ったものになり、リアルな立体に見えるほどのレベルになっている。そうしたものを見慣れていると、NAVERまとめに書かれているように、目に新鮮に映るだろう。ただ、リアルな立体表現によってユーザが騙されるかというと、そんなことはない。スマートフォンの画面にスイッチやボタンが実際に盛り上がってきていると思うユーザは一人もいないだろう。この「騙されるわけではない」という点は、先にあげたフェイクファーや合成皮革などの場合と似ている。パールを散りばめたブラウスであれば、それを本真珠と間違える人はおらず、ただ、その見かけの楽しさを着ている本人も周囲の人も楽しんでいるに過ぎないだろう。同じように、画面にどれだけ立体的なものが表示されていても、それをリアルな立体と誤解することはない。そこではオネストかディスオネストかという問題よりは、それが諄いかどうか、受容可能なものであるかどうかが問題だけだろう。
そもそも二次元平面において立体表現を行っているという点では絵画も写真も同じことである。表示サイズが大きければ確かにリアリティの度合いは増してくるけれど、それで見る人が騙されているわけではない。このあたりが平面デザインにおける立体表現の現実的感覚であり、そのリアリティのレベルはオネスティとは違った話である。さらにいえば、バーチャルリアリティは、明らかに意図して仮想の現実を構成しようとしており、オネスティという点からすればディスオネストの最たる物ということになってしまうだろう。
このようなわけで、マテリアルオネスティの話をフラットデザインとスキューアモーフィックデザインにあてはめるのは不適当だろう。要は、ちょっと擬似リアルな表現に飽食したユーザにとってフラットデザインが新鮮に見える、というだけの話だろう。いいかえれば、一般の流行現象と同じく、行きつ戻りつするだけの話だろうと思う。
Kevin Goldman (2013) “Material Honesty on the Web“