日本国の入出国ゲート
前近代的なシステムに最新機器だけを導入しても問題が起きる。適切なユーザ経験につなけるためには、ハード・ソフト・ヒューマンウェア全体の整合性と妥当性をきちんと吟味することが必要である。
成田や羽田などの国際空港には自動化ゲートが設置されていて、パスポートのスキャンと指紋認証でゲートを通過できるようになっている。しかし、いまだにそのインタフェースのユーザビリティは低い水準にあるし、ユーザ経験としても劣ったもののままである。あまりそれに対する批判の声を耳にすることがないが、そこには色々な問題がある。やはりHCDの立場から考えていく必要があるだろう。
ハード・ソフト性能によるユーザ経験の質
まずは自動化ゲートの指紋認証システムの認識性能である。僕の指は特に指紋が識別しにくいのか、あるいは登録の時のデータが鮮明ではなかったからなのか、なかなか認証してくれない。一度のスキャンで済むことはまずない。他の人の場合は知らないが、ゲートの係員に苦情を言うと、ちょっと苦笑いをして、そういうご意見は良く聞きます、と言われた。先日など、何回かやった挙げ句、とうとう有人ゲートに行けと言われた。腹がたった。最初から有人ゲートに並んでいれば、とっくに通過できるほどの時間が経っていたからだ。こんな試作品に近い性能のものを売り込むなんて、ひどいメーカーだ、とも思った。ともかく、これは機器に関するユーザ経験である。いずれ顔認識技術を全面的に用いるようになると報道されているが、いたずらに技術を誇示するだけでなく、やはり認識精度を十分に高めてから導入して欲しいものである。
運用するサービスのやり方によるユーザ経験の質
次に、私的な観光旅行でなく、出張の場合には、大抵の組織で帰国してからパスポートの押印のコピーを要求される。そこまでしなくても飛行機のチケットの半券があれば、ゲートを通過したことは明らかなのだからチケットの半券の提出だけでいいのではないか、とも思うのだが、管理する立場からすれば、可能な限り冗長なチェックをしておきたくなるのだろう。
しかしほとんどの場合、自動化ゲートには係員がいない。したがってスタンプを押してもらうためには隣のブースの係員に頼んだりするが、断られる場合もある。そうした場合は、わざわざ事務室にまで出向いてスタンプを押してもらうことになる。なんたる手間。効率化を目指して導入された筈の無人化ゲートなのに、なんやかやの手間を考えると、有人ゲートに並んでいる列が2,3人の場合には、むしろそちらを利用した方が早いケースが多い。ちなみに、通過までの一人あたりの所要時間は有人ゲートの方が短いのではないかと思う。僕が自動化ゲートを利用するのは、単に利用者が少なく、列が短いという理由からなのだ。
ついでに言えば、その有人ゲートにもおかしいことがある。無人ゲートの場合にはパスポートと指紋認証だけでいいのだが、有人ゲートの場合にはチケットの提示を求められる。何故? 単なる習慣だからか? ロジカルな根拠があるのだろうか? チケットの有無はすでに荷物チェックの場所に入る前の入り口の段階でチェックされている。だからチケットを持たない人間が入場して、たとえば免税店で買い物をしてしまうような可能性は排除できている筈だ。これまた冗長性を高めるためなのだろうか。だとしたらなぜ自動化ゲートではチケットのチェックをしないのか。あきらかに矛盾している。こうしたことはシステム運用上のサービスに関するユーザビリティであり、ユーザ経験に関わることである。
このように、パスポートチェックの仕組みには、ハードウェアやソフトウェアの性能によるユーザ経験の質の低さがあり、またそれを運用するサービスのやり方によるユーザ経験の質の低さがある。
さらに、そもそものスタンプの押し方にも問題がある。国にもよるし、係員にもよるのだが、適当なページの適当なスペースにポンとされてしまうことがある。なぜ頭の方から順番に綺麗にならべて押印してくれないのか、実に不可思議である。発展途上国の場合もあるだろうから、全てを機械化してしまうことはできないにしろ、スタンプというのは実に古代的なやり方である。せめて自動化ゲートについてはスタンプ押しマシンなどを置いておき、利用者が希望のページの希望の場所を指定してボタンを押せば、そこにスタンプが押されるというような仕組みにしておいて欲しいものだ。そうすれば、少なくとも日本からの出国と日本への入国のスタンプを隣り合わせに位置づけることはできるだろう。
システム改善には、全体の整合性と妥当性が重要
ともかく、自動化ゲートは、前近代的なシステムにいきなり最新機器だけを導入したことによる問題がある。いわば屋上階を重ねたアプローチである。システム改善については、ハードウェア、ソフトウェア、ヒューマンウェア(サービス)全体の整合性と妥当性をきちんと吟味してから実施すべきであろう。それが人間中心設計であり、適切なユーザ経験につながるアプローチである。