イノベーター理論(3) - イノベーターの生き方

消費者層全体を、商品購入の態度によって類型化した、ロジャースのイノベーター理論についての3回シリーズ。最終回の今回は、イノベーター(革新者)の生き方という点に焦点をあてる。

  • 黒須教授
  • 2014年1月16日

※「イノベーター理論(2) – ラガードの生き方」からのつづき

ラガードの生き方について考えてみたので、今度は理論の名称にもなっているイノベーターの生き方について考えてみたい。その特徴の一覧は(1)で紹介しているとおりだが、ロジャースはその定義を「社会システムにおいて新しいアイデアを採用する最初のメンバー」としている。ただ、「革新的なものは常に有利であるとは限らないので、それによる損失を吸収するために、それなりの財政的な資源をコントロールできなければならない」とも書いており、新しいものが常に成功する訳ではないことも指摘している。

この「新しいものが常に成功する訳ではない」という点は重要だと思う。たとえばコミュニケーションツールとしての電子メールは今ではラガードまでを包含しており、大抵の人がメールアドレスを持っているといえるが、SNSのフェイスブックは普及したとはいえ、いまだに全国民が利用する、というほどのものにはなっていないし、またそこまで普及するかどうかは疑わしい。これは単に時間の問題で時間がたてば電子メールのようにラガードにまで普及するかというとそうではなく、単純で汎用的であり多様な使い方のできる電子メールに比較して、スタイルの固定したフェイスブックは利用目的やその範囲が限られ、更に営利活動が伴っているからと思われる。もちろんフェイスブックはそれなりに普及しているので、革新的であり、ほどほどの成功をした事例と言っていいが、徐々にその終焉を指摘する意見も多くなってきている(“The End of the Facebook Era“など)。他の例をあげれば、たとえば三次元テレビなどは、既に消費者にそっぽを向かれてしまっている。フェイスブックにも加入し、ツイッターもやるし、三次元テレビも掃除ロボットもグーグルグラスも購入してしまうのが消費の世界におけるイノベーターだとすると、その投資金額は大きいし、購入して失敗してしまうことも多くなるわけだ。

それでもイノベーターは新しいものが好きであり、あちこちから新しいものを発掘してきては試し、そしてオピニオンリーダー的に他人にそのことを伝えようとする。つまり新規性もしくは新奇性が大好きな人たちなのである。これは消費の世界だけではなく、研究の世界にも同様の傾向がある。

論文誌に投稿された原稿を査読するときの基準として、多くの学会が新規性(情報処理学会、人間工学会、ヒューマンインタフェース学会など)ないし新奇性(情報システム学会、経営情報学会、大学教育学会など)を重視している。新規性はnoveltyになるが、研究社の新和英大辞典によると、新奇性というのは、noveltyでありoriginalityである。学会的にはオリジナルな研究であることが求められる場合が多いので新奇性が重視されることもあるわけだろうが、奇という漢字には、奇をてらうという言い方もあるし、珍奇という単語もある。

しかし、ここではnoveltyとoriginalityとは区別して考えるべきだろう。originalityについては新奇性よりは独自性という表現で査読基準を設けた方がいいように思う。またnoveltyについては新規性という表現を用いた方が良いように思う。研究の世界におけるイノベーターはオリジナルで新しい考え方や発見を提示する人であるべきであり、決して奇をてらったり珍奇なものを提示する人であるべきではないと思う。

しかし実際に多数の論文を見ていると、単に新奇なだけで、それがどれだけ意味のあることかが分からないような研究も結構ある。だからどうなの?、それを使ってどうなるの?と問いかけたくなるような研究である。しかし、もちろん、それらの中には意味のあるものも含まれている。

消費の世界でも研究の世界でも、この判別が難しいところだ。その判別について信号検出理論(SDT: Signal Detection Theory)の考え方を使ってみよう。そこでは信号とノイズを判別する。そして信号らしさの軸を想定し、その上に、実際の信号から得られた信号らしさの分布と、ノイズから得られた信号らしさの分布があり、信号の強さが明らかに強くない場合には部分的に二つの分布が重なって存在しているとする。

この時、人間は、信号らしさの任意のレベルに判別の基準を設定し、それよりも信号らしさの強いものを信号とし、弱いものをノイズとする。そうすると、当然エラーが発生する。ひとつのエラーは、たまたま信号らしさが強かったためにノイズを信号として判定してしまうケースで、これはフォールスアラームと呼ばれる。もうひとつ、その反対に、信号らしさが弱かったために信号がノイズとして判定されてしまうケースで、ミスと呼ばれる。

二つの分布が近づいているとき、つまり信号かノイズかを判別しにくいときに最適な判断基準をどう設定するかが問題になるのだが、ここで信号を新らしく且つ意味のある製品やサービス、ノイズを新しいだけで意味のない製品やサービスと置き換えてみよう。イノベーターが新しさだけを追求しているのであれば、そもそもこうした判別をする必要はない。しかしアダプターやそれ以降の人たちにとっては、できれば意味のある製品やサービスであって欲しい筈だろう。この傾向を信号検出理論的にいえば、イノベーターはフォールスアラームであっても構わないから、とにかく新しいものを見落とすというミスをしないようにしたい人々であり、反対にラガードは新しいものを見落としてしまう、つまりミスをしてしまうかもしれないけれどフォールスアラームを最小化したい人々であり、その中間の人たちはそれぞれ両者の中間のレベルに判別の基準を設定しているといえるだろう。

ここで気になるのが、昨今のUXのアプローチだ。(学会での動きと同じように)とにかく何か新しいものを、という姿勢が強く見えてしまっていて、それはイノベーターの姿勢と同様になっているし、信号検出理論的にはフォールスアラームを多く含んでしまう可能性を持つことにつながる。イノベーターは喜ぶかもしれないが、ラガードまで含めて世間に普及するかどうか怪しいものまでも、その着想が尊ばれているように思われる。ある程度投資を回収できればそれでいい、という態度なのかもしれないし、下手な鉄砲数打ちゃ当たる、という方針なのかもしれないが、どうも新奇性、特に奇を目指したような設計が多いようで、そのあたりを案じている。

シリーズ「イノベーター理論」