Kanseiという用語の使い方

Kanseiという表現を理解してくれている関連領域の外国人研究者は多少いるが、使ってくれている人はまだまだ少ない。そうであれば、英語ならsensibilityあたりを使って、「ただし日本ではこういう意味合いがある」という説明をすれば良いだろうし、実際的だと思う。

  • 黒須教授
  • 2013年9月9日

よく知られているように、感性工学の関係者は、感性を英訳する時にKanseiとすることが多い。日本語のローマ字表記を使う理由としては、KaizenとKanban、Poka-yokeなどの生産方式に関する用語が日本語のローマ字表記によって知られるようになっていることが関係しているだろう。事実、Wikipediaにもこれらのローマ字表記について解説されている。しかし、残念なことにまだKanseiはそこまで著名になっておらず、試しにWikipediaを引いてみると、寛政という時代表記としてしか知られていないようだ(編注: Kansei StudiesKansei engineeringという用語は掲載されている)。

たとえばKaizenとKanseiの違いを考えてみると、Kaizenの方は日本語として明確な定義があり、日本独自のやり方として認知されている。しかしKanseiの方は日本語における定義も明確ではない。その状態でKanseiを使おうと呼びかけたとしても、外国人にとっては曖昧で多義的なもの故にどう使ったらいいのか、果たして使うべきなのかどうかが分からないだろう。さらに、Kanseiは日本独自のものであるといった時、仮にそれが正しくとも、英語のsensibilityだって英語独自のもの、いやフランス語にもsensibiliteがあるから、欧米特有のものということができ、結果的に不可知論に陥ってしまう。極端にいえば、洋書の翻訳も和書の翻訳も不可能だという話になりかねない。

それぞれの語は、術語として特別な意味を持たされたとしても、その言葉の内包や外延には違いがある。たとえば一昔前に流行った不条理という日本語は、当時の実存主義の流行のなかで日本語としてそれなりの位置を占めた。しかし、その元をたどってみれば、英和辞典にもあるように、ばかげたとか、おかしなとか、滑稽なという意味をも持つabsurdという単語に行き着くのだ。もちろんその一方でabsurdには、不合理なとか道理に反したという意味があるが、英語を母語とする人間であれば、その意味を容易に連想できるし理解できるだろう。対して不条理という日本語は学者が翻訳のために創案したもので、非日常的なニュアンスが色濃く出ている。

かわいい、という日本語も感性工学の研究者が対象としている概念の一つだが、厳密にいえば、辞書的なprettyやcuteやsweetとは異なる。だからといってKawaiiというローマ字表記を使うべきなのだろうか。そのあたりは疑問に思っている。

たしかに、感性やかわいいなどの概念は、一般的な工学や技術分野で使われる用語のように、日本語と外国語との対応関係が明瞭でないことは確かだ。しかし文学や哲学などの人文系の用語や日常用語についても、外国人と話を進めるためには、どうしても翻訳が必要であり、ニュアンスの違いがあることは相互に理解した上で「あえて使う」というスタンスの方が実際的といえるのではないかと思う。

そうした意味で、僕は、感性についてはBaumgartenやKantのaestheticsの訳語として使ってもいいし、一般的な用語でいえば、sensibilityやsensitivityでもいいように思う。細かい意味合いは、学者によっても違うわけで、たとえば九鬼周造によって実存と訳されたexistenceだって、SartreとHeideggerではその定義には違いがある(筈だ)。

同じような考え方でいえば、ISO 13407の和訳JIS Z 8530で一般化した人間中心設計という用語だってそうだ。Human-Centred Designの直訳でもあるこの言葉は、それだけを聞いたのでは一般の人々には何を言っているのかわからない術語である。彼らの理解としては、なんとなく人間に重きを置いた設計ということなんだろうな、という程度だろう。ただ、想像ができるだけ不条理よりはマシといえるかもしれない。

さて、話を締めくくろう。日本人は外国語を日本語のなかで使う時、カタカナ表記にしてしまうことが多く、それは元の言葉のニュアンスをそのまま保持できる可能性が高いと考えられる。しかし、外国語の用語を日本語に置き換えてしまおうとすると、人間中心設計のような比較的容易に理解できる場合もあれば、不条理のように理解が困難な場合も生じてくる。反対に、日本語オリジナルの用語を外国語の文脈で使おうとしたとき、そのローマ字表現をするというのは、外来語をカタカナ表記にすることの裏返しのような意図が感じられる。ただし、それが通用するかどうかは、外国人がその表記を理解し、さらに使ってくれることを前提としている。しかし関連領域の外国人研究者でKanseiという表現を理解してくれている人は多少いるが、使ってくれている人はまだまだ少ないのが現状だ。そうであれば、英語ならsensibilityあたりを使って、「ただし日本ではこういう意味合いがある」という説明をすれば良いだろうし、実際的だと思う。これが現時点での僕の考えだ。

Original image by: European Kansei Engineering Group