Licklider-CSCWの研究を予見し、SNSの普及を示唆

今回取り上げるのはLickliderによる“Man-Computer Symbiosis”(人間とコンピュータの共生)と、それに関連した論文である。UXデザイン関係者など、HCIに係わる人々が広く読んでおくべきものだ。

  • 黒須教授
  • 2013年8月19日

古典を読む

広辞苑によると、古典とは「2. 昔、書かれた書物。昔、書かれ、今も読み継がれる書物。3. 転じて、いつの世にも読まれるべき、価値・評価の高い書物」とのこと。HCIの世界にもそのような論文や書籍がある。これからは、時々、そうしたものを扱ってみたい。特に進歩の著しいHCIの世界では、単なる技術的な論文は時とともに古くさい(obsolete)ものになってしまうことが多いが、考え方を示した論文だと、その価値は後世に残される。特に、その論文が発表された年における予見と現在との差分を求め、それを未来に外挿したとき、我々が未来に対してどのような予測をすることができるかを考えてみるために重要なアナロジーを示唆してくれる。

コンピュータとの共生、コミュニケーション、パートナーシップ

J. C. R. Licklider
Public domain, via Wikimedia Commons

今回取り上げるのはLicklider, J. C. R.による”Man-Computer Symbiosis”[1]という論文と、関連した論文[2] [3] [4]である。1960年に公開されたもので、今から50年以上も昔のものだが、広い意味でのHuman Computer Interactionに係わる人々が、たとえばUXデザインに係わる人々を含めて、広く読んでおくべきものだ。

この論文の出た1960年という年は、分散型ネットワークや有名な大型コンピュータであるIBM-360がでる4年前であり、LSIが登場する8年前、ARPANETのできる9年前に相当する。ようやくICが使われるようになり、ALGOLやCOBOL、LISPといった言語が登場した時期でもある。この時代に、未来のコンピュータの姿を描こうとしたLickliderの姿勢は、時代的制約を受けながらも先鋭的なものであり、今日の我々が近未来を考える上で学ぶべきものといえる。

たまたま、CACMの2013年5月号に、Lickliderの二つの論文[1] [4]を引用しながらHuman-Centered Computing (HCC)を語っている小論[5]があったので、そのタイミングでこの話を書いてみることにした。

まずタイトルにsymbiosisとあるが、これは生態学的な用語で共生と訳されている。冒頭でBlastophaga grossorumという昆虫とイチジクの共生関係を説明しているので、期待をもたせている。彼の意図は、「そう遠くない未来に、人間の脳と計算機とが密に結合し、現時点で知られている情報処理機械によるものとはちがった思いもよらぬやり方で思考や処理を行うようになるだろう」という点にあった。

ただ、彼が具体的に書いている計算機のイメージは、時間遅れなく実時間処理が可能で、大容量記憶をもち、Trieメモリという情報検索用のメモリを採用し、目的志向型の言語表現を行い、デスクタイプの表示や壁面ディスプレイを採用し、音声対話ができるもの、という感じで、当時における近未来的なスペックの羅列であり、共生関係を構築する前提にはなるかもしれないが、それだけではまだ共生関係の樹立には至らないようなものである。したがって、それを共生関係と呼ぶには、コンピュータにとってのメリットがない一方的な関係になっている。そのあたりに配慮したのか、2年後の論文ではコミュニケーション[2]、5年後の論文ではパートナーシップ[3]と表現を改めている。

しかし、それから50年たった現在、人間とコンピュータの関係は、生活のあらゆる側面がインターネットを含めたコンピュータにどっぷりと依存したものになっており、共生というよりは寄生というに近い関係になっている。そうした状態を現在の人間が自分たちの目標達成と思っていることからすると、イチジクの場合とちょっと形は違うがやはり共生関係と言っていいのかもしれない。

通信機器としてのコンピュータ

1968年の論文[4]では、コンピュータを用いた通信機能の発達について意思決定支援システムからオンラインコミュニティという概念まで話しを広げており、その後のCSCWの研究を予見し、さらにはSNSの普及を示唆したものになっている。

Lickliderは、技術者であると同時に心理学を勉強した人だった。聴覚という感覚心理学がメインではあったが、人間に対する洞察力には長けている。人間がどのような状況を夢見てその実現に向けて技術開発を進めてゆくべきかについて、心理学的な考察をベースにして技術的知見をつなぐというアプローチを取っている。

この論文から50年以上たった現在と、彼の抱いたイメージが実際とどのように同一でありまた相違しているかを考え、それをさらに外挿して2060年の世界を思い描くことが僕らにどこまでできるだろう。彼の論文はそうした意味で大いなる挑発と受け取ることができる。

参考文献

  1. Licklider, J. C. R. (1960) “Man-Computer Symbiosis” IRE Trans. on Human Factors in Electronics. (http://memex.org/licklider.pdf)
  2. Licklider, J. C. R. and Clark, W. E. (1962) “On-line Man-Computer Communication” AIEE-IRE ’62 Proceedings of the May 1-3
  3. Licklider, J. C. R. (1965) “Man-Compter Partnership”, International Science and Technology (原文未入手)
  4. Licklider, J. C. R. and Taylor, R. W. (1968) “The Computer as a Communications Device” Science and Technology (http://memex.org/licklider.pdf)
  5. Guzdial, M. (2013) “Human-Centered Computing: A New Degree for Licklider’s World” Communications of ACM 56(5), p. 32-34.