いつもの生活を振り返る

忘れられた日常の事柄の中には、意識されなくなった諦めの気持ちも含まれる。日常生活の中で意識されなくなっていた願望に気づき、それを顕在化させた人々の執念が作り出したものが、人間の日常生活を取り囲んでいる人工物であるということができる。

Photo credit: Joshua Damasio

日常生活の安定

僕らの生活が安定しているように感じられるのは、その生活の中で変化がない部分に関係している。もちろん生活の中には変化している部分も多い。通勤電車の中で周りに立っている人たちは毎日違うし、道路を走っている車も違っている。空模様も変化するし、テレビのニュースの内容も変化する。自分の気分や体調だって、毎日少しずつ変化している。しかし、そうしたことも確率的には同じような水準を維持している。駅にいる人は毎日変わるけど、見回してもどこにも人っ子一人いないようなことは起きない。違う人かもしれないが、毎日、時間帯に応じて適当な人数の人たちがいる。自分の家の中は昨晩寝た時と同じ様子になっているし、自分の持ち物は増えもしないし減りもしていない。自分の家の前にはいつもと同じ道路があるし、隣の家もいつもと同じだ。

毎日、毎時間、毎分、いつもの場所にいるつもりでも、そうしたすべてのことが絶えず変化してしまったら、きっと人間は疲れてしまうだろう。いいかえれば、そうした安定について絶えず確認をしなくてもいいということが、人間の精神的な安定にもつながっている。つまり、人間は世界が安定していることを前提にしているから、それらのことを忘れていても生きていられるのだ。

それだから、ちょっとでも目立った変化、つまり認識の閾値を超えた変化があればそれはメディアの報道するニュース、つまり新しい出来事となる。ほどほどの分量が変化したということで、それをニュースとして受容することができるのだ。

生活における順応

この安定した状態は、見方を変えれば、人間が日常性という鎖につながれた犬であり、日常性というフェンスの内側に囲われた家畜のような状態にいるからだともいえる。そうした生活のなかで、鎖やフェンスを意識しないでいられることを、人間はむしろ望んでいるのかもしれない。自分の置かれた状況に順応し、その具体的な内容が多少変化していても、その順応した状態を確率的に安定した水準に維持し続けられることが可能であればこそ、人間は閾値を超えた変化だけを意識して生活できるのだろう。

あきらめの顕在化

その忘れられた日常の事柄の中には、諦めの気持ち、普段は意識されなくなってしまった諦めの気持ちも含まれている。こうあれば良いのにと思いつつ、いやいやそんなことは不可能で、それは諦めなければならないことなのだ、という諸々の事に対する気持ちだ。たとえば、極端な例でいえば、永遠に生きたい、せめてまだ当分は死なずにいたいという願望などはその典型である。たいていの人間はその願望を持ちつつも、それが自分の意志通りにはならないものであることを知っており、それを意識のなかで顕在化させずに毎日を送っている。

しかし人間はその願望に対して何もしてこなかったわけではなく、宗教という人工物を作り出したり、医学という人工物を発展させてきた。鳥のように空を飛びたいという願望は、飛行機やヘリコプター、気球、そしてドローンなどの人工物を作りだしてきたし、魚のように海を泳ぎたいという願望は、潜水艦やダイビング機器といった人工物を作り出してきた。これらの人工物は、人間が意識から封じてしまった願望に気がついた人々が開発してきたものだ。人間の日常生活を取り囲んでいる人工物は、すべて日常生活の中で意識されなくなっていた願望に気づき、それを顕在化させた人々の執念が作り出したものということができる。

日常生活で意識されていない領域

そうしたことを考えると、日常生活のなかで「これはそういうものだ」「これはそうなっているのがあたりまえだし普通のことだ」「なんでそんなことをほじくり返すの」と思っている領域に改めて光をあてると、人間が諦めの末に忘却してしまっている改善への糸口が見えてくる可能性がある。この発想が人工物進化学のベースになるものだ。

人工物進化学では、人工物は既存のものの問題点を改善することで進化すると考える。問題改善型アプローチというと小さな改善という響きがあるらしく、あまり評判は良くないが、それは問題というものに対する考え方の違いによる。ラベルの文字を大きくしようというのは小さな改善だが、アイロンについているケーブルが邪魔だからそれを無くしてしまおうというとそれはイノベーションとなる。問題には大きなものと小さなものがある。そもそも問題として意識の俎上に乗ってこなければそれっきりなのだが、それこそ「あたりまえ」を振り返る態度で見てみれば、そこには大なり小なりの問題が見えてくる筈だ。

進化した人工物にはまだ改善されていない問題点がそのまま継承されていることもあるし、進化の副作用として新たな問題点が発生してしまっていることもある。だから、たとえばコードレスアイロンは邪魔なコードという問題を改善することにはなったが、まだ他にも問題が残されている可能性がある。人間の日常生活は、そうした問題を問題として意識しない形で成り立っている。コードレスアイロンの利便性を喜ぶことで残された問題を意識の俎上から降ろしてしまっている可能性があるのだ。

そこに着目するには、進化の歴史を逆にたどってみる必要がある。温故知新ということだ。そして、そうしたアプローチによって、一見安定しているように見える日常生活を掘り返し、さらなる進化のための手がかりを求めることが必要なのだ。

Photo credit: Joshua Damasio

公開:2015年8月17日
著者:黒須教授

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