「もっと問題解決型の取り組みを」再考

「もっと問題解決型の取り組みを」のタイトルで書いた文章について、安藤さんがFacebookで批判を載せてくださった。指摘していただいた点について、以下にコメントをさせていただきたい。

※2014年1月9日公開のコラム「もっと問題解決型の取り組みを」への批判に対するコメント

最近の僕の論調が、従来の、そして現在のインタフェース研究開発やユーザビリティ工学や人間中心設計、そして特にUXDの動きに関する批判的な側面が強いため、いろいろと議論を巻き起こしてしまうことがあるようだが、ご迷惑をおかけしてしまった方々には素直にお詫びしたい。これらのアプローチに、実直に、かつ真摯に取り組んでおられる皆さんがおられることは良く承知しているつもりだ。しかし、どうにもそうとは思えないケースが多くあり、特に最終的な製品やサービスとして、「どうしてこうなるの」と思ってしまうようなものが多く、それが宣伝や広告に載り、かつ市場に出回ってしまっているのを見ると、やはり、その開発の途中経過はどうなっていたの??、そもそも開発のスタートはどういうところから起こったの??と問いたくなってしまうのである。

そうした製品やサービスの多くは、ユーザビリティや人間中心設計やUXDのアプローチを知らず、あるいは知っていても採用していなかった、乃至は出来なかったものと思いたいのだが、そのあたり、実態はどうなのだろう。時にはいささかズレのある調子で批判をしてしまう僕の本意は「どうすれば、もっと消費者やユーザにとって品質が高く、かつ意味のある製品やサービスを提供できるのだろうか」という意図に基づいている、という点はご理解いただきたい。僕のやり方をネガティブキャンペーンと呼んでもアジテーションと呼んでも良いのだが、ともかく、僕が適切と思う方向について皆さんに考えてもらいたいという気持ちから出発している。

まあ、高齢者(去年の誕生日でついに65才になってしまいました)の戯言と言ってしまえばそれまでなのだが、真剣に読んでくださっている皆さんがおられること、そして真っ当な批判をしてくださる方がおられることは嬉しく思っている。

さて、「もっと問題解決型の取り組みを」のタイトルで書いた文章について、安藤さんがFacebookで批判を載せてくださった(編注: Facebookへのログインが必要です)。まずは、真っ当に取り組んでくださったことに感謝したい。このコラムを使わせていただく意義のあるご指摘だと思うので、指摘していただいた点について、以下にコメントをさせていただきたい。

1. 問題解決アプローチ

たしかに「問題の定義を変えれば、すべて問題解決アプローチのはず」だと思う。また、本来なら、着想育成型アプローチは、問題の解決のためのものであるはずだとも思う。しかし「問題の質やレベル」と言ったらいいのだろうか、人々、つまり消費者やユーザの生活や業務や利用状況にどのような点で適合しているのか分からないような問題解決アプローチがあることも事実だと思う。つまり問題の発見や把握のプロセスが不十分で、問題が見えていないアプローチがある、ということになる。そこまで問題という概念の定義を拡散させてしまうことには賛成できない。この点は、以前から「技術中心設計」と呼んで批判してきたものと同じクラスに属することだと思っている。

この点は、安藤さんも筆者として取り組んでくださる今年出版予定の近代科学社の人間中心設計シリーズ「エスノグラフィックアプローチ(仮題)」で更に議論したいと思っているし、そのような点で意義のある出版にもしたいと考えている。

2. 本来のワークショップ

ワークショップが嫌いなのは「一回こっきりのワークショップで、できた気になるという」ようなものが目に付くからである。このあたりは意図的に偏らせてしまった書き方の問題でもあるかと思う。

付記すれば、古来から「三人寄れば文殊の知恵」という言い方もあるように、一人だけの発想では限界があるのは確かだし、独善に走ってしまう危険性もあると思う。さらにいえば、「さはさりながら」ダヴィンチを引き出すまでもなく、ジョブスや初期のゲイツなどの独創性は、ワークショップでは生まれない種類のものだというようにも思う。ただ、そうした人間は、自然に自分の独自アプローチを開始してしまうだろう。また、余計なことを言えば、インキュベーションという活動もあるけれど、何となく軟弱な雛を育てようという感じがしてならない。いや、軟弱でも筋のいい話はあるとは思うのだが…。

3. 評価基準

実は、前の原稿で記述していなかったが、この点が最も重要であり、かつ最も困難なものだと思っている。UX評価についてロト(Virpi Roto)さんとも話したのだけど、UXの着想の予測的妥当性を評価するのはどだい無理なことであり、ただ、企業の人たちはそれを欲しがっているので、一種の「0次近似」としての手法を考えている、ということだった。それはそれで仕方ないと思うが、たとえばカスタマージャーニーマップのようなアプローチで、どのような形の(予測)評価が行われうるのか、単なるストーリーテリングに落ち着いてしまっていないかどうかなどは、今後も考えて行く必要があるだろう。

以上、基本的なポイントについて補足を試みた。

公開:2014年1月10日
著者:黒須教授

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