ユーザビリティと利用品質についての最新動向
JTC1/SC7/WG6の会議に参加した。そこで一番強調したかったポイントは、主観的利用品質というものがあること、満足度はその点で他の利用品質(客観的利用品質)とは異なること、主観的利用品質は「利用」ではなく製品品質を「知覚」することによって成立するものであること、の3点だった。
JTC1/SC7/WG6ミーティング
2016年11月28日-12月1日、沼津でJTC1/SC7/WG6の会議があった。JTC1は、ISO 9241-210などをまとめている人間工学に関するTC159とは異なり、ソフトウェアに関するISOの技術委員会である。僕は自分の品質モデルの参考にしていることもあり、ISO/IEC 25010の今後に関心があったので、そのうち11月29日-11月30日の二日間だけそこに参加した。ConvenerはNigel Bevanで、他にインドのVijay Shankar KrishnamoorthyやアメリカのBill Curtis(WebEx経由)など10人ほどが参加した。中国と韓国から参加したメンバーはおとなしく話を聞いているだけだったが、インドのVijayは声がでかく、インドなまりの英語で喋りまくるので、ちょっと驚かされた。
さて、二日間の会議の結果、ISO/IEC 25010については、構造的な一貫性を持たせる必要があること、最新システム(モバイル、ゲーム、クラウド、IoT、SNSなど)への適用を考慮すること、製品品質については結果よりもcapabilityを記述すること、可能なかぎりTC159/SC4との対応をとること、などが話し合われ、いずれ改定する必要があるとされた。
ISO 9241-11との関係
やはりISO 9241-11のユーザビリティの下位特性である有効さ、効率、満足度を利用品質にもってきてしまい、ユーザビリティは製品品質の方に位置づけている現状には混乱を招くという批判が多かったようで、製品品質のユーザビリティをcapability to useにしたらどうかとか、Nigelから提案があった。
そもそもcapabilityという言い方をNigelが良く使うようになったのは、製品品質に-bilityという語尾のつくものが多く、これらはabilityであって結果ではない、というHCII2015での僕の強い主張が多少影響したのかもしれない。議論のなかで、彼はすべての製品品質にcapabilityを付けよう、とまで提案していた。
僕としては、まあそれでもいいのだけど、もともとusabilityもreliabilityもmaintenabilityも-bilityが付いているのだからそれでいいのじゃないかと思っていた。しかし、Nigelとしてはsafetyなんかには-bilityが付いていないし、しかもそれは安全な結果を保証するのでなく、安全である可能性(能力)を意味しているのだから、capability to be safeとかにするのがいいだろうというロジックだった。
黒須の意見
今回、僕はいつもの品質モデルではなく、委員諸氏が受け入れやすいようにと、図のような「穏健な」案を提示した。
この案を出す前の初日に、製品品質でなく設計時品質(quality in design)の方が利用時品質(quality in use)と語呂が合うだろうと言ったのだが、皆、「ああ」と言うだけで、賛否が良く分からなかったので、(もっと強力にプッシュすれば良かったのかもしれないが)妥協して現在の製品品質という言い方を採用しておくことにした。自分としては不本意ではあるが、国際規格としては多数の合意を得る必要があるので、それはそれでもいいだろうと考えたからだ。つまり、それによって僕のモデルを変えるつもりはない。
この図では、僕の品質モデルのように製品品質に客観的製品品質と主観的製品品質を区別することをしなかった。最近、感性に関心をもっているNigelだから、そのあたりは理解してくれる可能性があったが、魅力性を主観的製品品質に位置づけようとすると、そこで議論になってしまい、自分が一番主張したい客観的利用品質と主観的利用品質の区別のところまで話がいかないまま時間切れになることが心配だったからだ。
一番強調したかったポイントは、主観的利用品質というものがあること、満足度はその点で他の利用品質(客観的利用品質)とは異なること、主観的利用品質は「利用」ではなく製品品質を「知覚」することによって成立するものであること、の3点だった。さらに、主観的利用品質には、beauty, cuteness, joy, delightなども含まれることを主張した。
幸い、声の大きいVijayも、joyとdelightが異なることなどに賛成してくれて、Nigelがまとめた25010関連の議事録にはその点も記録された。
今後に向けて
ISO関連の会議では、書類だけを送って議論に参加(特に対面参加が重要)していないと前回の話が無視されたりひっくり返されたりすることが多い。だから25010については、今後も参加しなければならなくなりそうだ。そして執拗に自分の主張を説明し、関係者を説得する努力を重ねなければならない。また、Nigelなどの中心メンバーが高齢化しており、特にイギリスでは50代以下の若手(?)が後に続いていないことから、現在の中心メンバーが第一線を退いたら、どういう状況になるかが分からない。特にNigelは規格の改定や制定に熱心だったが、そうした動きが停滞してしまうことになるかもしれない。ともかく、今後はまだ良く見えない状況である。