HCDの最近の位置づけ
ISO 13407以来のあの図は単なるプロセス図であり、全体をぐるぐる回すことがHCDの特徴ではない。また、人間工学的な観点を重視するようにという記述も設計者にとっては留意事項の1つに過ぎない。となると、HCDのコアはどこにあるんだろう、ということになる。
題意
実は、今回のタイトルは「HCDはぐるぐる回る」とか「HCD教はいかがわしい」とかにしようかと思ったのだが、もう少し穏当なものにしようと考え直した結果、このようなつまらないタイトルになった。ただ、今回の原稿の大意はそうした内容である。
HCDの曖昧さ
HCDは、もともと境界領域として出発した。そこには、人間工学や心理学やデザインやマーケティングや品質工学などなどが関係している。その意味では、HIやHCIといった領域と似たような特徴を持っている。コアとなる概念や手法が明確ではなく、皆がそこを目指して頑張っているうちはいいのだが、一段落してみると、さて、これって何なのだろう、という問いが浮かんでくる。
ただ、HCIの領域の一つである実世界指向やバーチャルリアリティは、それなりのコアコンセプトをもっており、HCIを全体として俯瞰しようとしたときのような曖昧さの程度は低い。同様にHCDでも、その領域の一つであるユーザビリティ工学には、コアコンセプトもあり方法論もあって、曖昧さの程度は低い。
問題はHCDという傘となる領域は何なのか、その実態や特徴はどこにあるのかが明瞭ではなくなってきた点にある。前回取り上げたdesign thinkingと同様に、概念が普及するにつれてその意味が拡散し、その実体が把握しにくくなってきたのだ。
ぐるぐる回すプロセス
HCDの特徴として紹介されるISO 13407以来のISO 13407以来のプロセス図だが、それを多用してHCDを紹介してきた僕自分にもその誤解の責任はある。いずれにせよ、あの図イコールHCD、という単純化したとらえ方ができてしまったのがとても気になっている。
「あの図」は単なるプロセス図であり、古くはPDS (Plan, Do, See)、そしてPDCA (Plan, Do, Check, Act)やPDSA (Plan, Do, Study, Act)と大差はない。要するに、考えて、実行し、反省する、という流れが必要であることを強調したもので、その全体をぐるぐる回すことにHCDとしての特徴があるわけではない。
しかも、ISO 13407で「評価」の段階から「利用状況の理解」の段階に何気なく線がつないであったために、HCDのウォーターフォール的な性格が見失われ、HCDとは全体をぐるぐる回すものなんだというような誤解が広まってしまった。あの一本の線が、そして四つの段階がぐるっと回るような形に描かれていたことが、大きな誤解を生んでしまったのだ。
ぐるぐる回していれば人間中心的なものができる訳ではないのに、そのような誤解が広まった理由として、HCDは反復的(iterative)であるという言い方がある。ISO 13407の文面を良く読むと、まず
In iterative design approaches, feedback from users becomes a critical source of information. Iteration, when combined with active user involvement, provides and effective means of minimizing the risk that a system does not meet user and organizational requirements
と書かれている。つまり反復的デザインアプローチは評価におけるユーザからのフィードバックを重視すべきだということである。そして、
The human-centred design process should start at the earliest stage of the project, and should be repeated iteratively until the system meets the requirements
と書かれている。要するに評価の基準になるのは要求事項(requirements)であり、それにもとづいて評価を行う必要がある、と書かれているのである。しかも、その評価(形成的評価ということになる)は、7.4.6のタイトルが”Manage the iteration of design solutions”となっているように、設計段階の中でのデザインと評価の反復のことを指しているのだ。いったい、評価を行った結果にもとづいて「利用状況の理解」をやり直すようなことはユーザ調査の失敗であり、そんなヘマなことが(全くないとは言えないまでも)、そんなに頻繁に起きる筈がない。
プロセスのキモは、ユーザ調査と着想の質にあり
もちろんあのプロセス図には意味がある。それは設計の上流工程を重視したことで、ユーザ調査の重要性を説いている点である。残念ながら、その点が明瞭に書かれていないけれど、そのように解釈できるし、そうすべきだろう。そして、その点がPDSやPDCA、PDSAのPの部分との大きな違い、と言うこともできなくはない。もちろんPDSやPDCA、PDSAでもPの部分を解釈する際に、ユーザ調査が重要であると読むこともできるから、HCDの専売特許でもない。ちなみに、ISO 13407の末尾の文献リストにはShewhartやDemingの著作は掲載されておらず、エディタだったTom StewartがPDCAやPDSAを良く理解していなかった可能性はある。
なお、前回述べたように、design thinkingにもプロセスモデルがあり、特にその上流工程でのユーザ調査と、それにもとづいた着想が重視されているが、その意味では、HCDとdesign thinkingの違いを強いて挙げるなら、上流工程を重視する度合いがデザイン思考の方が若干強い、といえるかもしれない。ただ、微差、僅差の話である。
HCD教のいかがわしさ
こうして見てみると、HCD (とdesign thinking)が従来のモデルの考え方と異なっているのは、ユーザへの密着度を強調する言い方が多いという点だけだ、とすら言える。人間工学の観点からは、要求事項に人間工学的な観点を重視するように書かれているため、それなりに設計における人間工学の重要性を説いたもの、という位置づけができるだろうが、一般の設計者やデザイナーにとっては、人間工学は留意事項のひとつに過ぎない。そうなると、さて、HCDのコアってどこにあるんだろう、ということになる。
そういう曖昧さを含んでいるのに、周囲から見ると、HCDをやっている人達は、やれHCDだHCDだと唱えているので、これではまるで新興宗教のようなものなんじゃないか、とすら思えてしまうかもしれない。
ISO 16982には、HCDのための手法がまとめられているが、「これはここでも使えますよ」的な表現になっており、自由裁量の余地が多く残されている。まあ、それは当然で、これこれをしなければHCDとは言えないと限定できるほどに、HCDはまだ成熟していないのだが、折角の規格なのだから、ISO 9241-210あたりでは、そこいらに踏み込んで良かったのかもしれない。
HCDのこれから
残念ながらHCDというキーワードは、ユニバーサルデザインやUXほどのバズワードにはまだなっていないし、多分、これからもならないだろう。批判的な僕の観点からすると、ISOの規格群にはまだまだ改善の余地があるし、記述の不明確さが残されている。情報工学という言葉がバズワードにはならなかったものの、現在の社会基盤を構成する重要な領域となっているような形でHCDが設計基盤となるためには、ISOに頼らず、もっとその概念やアプローチを明確にする必要があるのかもしれない。たとえば方法論についても、必要なものだけを含め、切って落とすべきものは落とす、というやり方を取らないと、曖昧さをふっきることはできないし、外部から見ても、あれは何だ、という状況がずっと続くに違いない。
さて、教科書としてできるだけ不偏不党の立場から書くようにした「人間中心設計の基礎」(近代科学社)だったが、もっともっと自分自身を出した本をそろそろ書くべきなのかもしれない…などと考えてしまう昨今である。ただし、別の原稿で書いた理由から、僕はHCDという言い方を好まない…とすると本を出してもHCDの推進には役に立てないのかもしれないが。