Web記事への署名は必要か?

サイトのコンテンツを誰が書いたか言うべきだろうか。(信頼性のために)言うべきときもあれば、(簡潔さのために)言うべきではないときもある。そして、モバイルで言う必要のあるときは非常に少ない。

記事等のウェブサイトのコンテンツの著者を特定すべきか。あるいは資料は無記名のまま、その組織の意見として発表すべきだろうか。

残念ながら、ウェブの署名についての疑問に対する唯一の答えというものはない。しかし、それを判断するための基準はいろいろとある。

署名への反対理由: 無駄をそぎ落とすため

署名を削除する理由は次のようなものである:

署名への賛成理由: 信頼を得るため

署名は、以下のような場合にはその文字数に値するだけの価値がある:

  • 著者が高名な場合。その著者が高名なため、ある話題についての彼または彼女の言い分を聞くことを目的として、人々がその記事を読もうとするような場合がそうだろう。こういう場合にはホームページや、SERP(検索エンジン結果ページ)、記事のリスト、ツイッターのつぶやき等からその記事にリンクするときに著者名を入れるべきである。
    • ここでは以下のことに注意しよう。「高名なこと」と「有名なこと」は必ずしも同じではない。尊敬を集めている(コンピューター分野などの)専門家たちは特定のコミュニティではよく知られてはいるが、人口の99%にはまったく知られてないということもある。重要なのは、その著者がそこでのターゲット層に知られているかどうかである。
  • 記事の信頼性を裏付ける資格や権威を著者が有する場合。これの典型的な例は医者の書いた健康問題についての記事である。そういう場合、「by Joe Schmoe, MD(医師 何の某 著)」ということでその記事を載せなければならない。
  • 著者が信頼性をもたらす経験を有する場合。例えば、あるウェブサイトのデザイナーがそのデザインについて説明する記事を書くときには名前を入れるべきである。
  • 特定のテーマについて書く機会が多い人の場合、常連の読者は名前を覚えていて、その著者のそれ以外の記事を探そうとするかもしれない。
  • ある論点への個人の見解として特に位置づけられる、意見書、批評、政治についての論評などの類のコンテンツには、そのコンテンツの立場をただ明らかにするために署名が必要である。サイトによっては、その分析はその組織の立場を必ずしも代表するものではないという免責条項もこうしたコンテンツには必要だろう。
  • 最後になるが、イントラネットで著者の名前を入れることは従業員がお互いを知り合うことに役立ち、コミュニティ感を形成する手助けになる(これについて詳しくは、このコラムとは別の、イントラネットのソーシャルメディアについてのレポートを参照)。

著者の経歴

たいていの場合、著者の簡潔な経歴というのは記事の最後に出すべき二次的コンテンツである。しかしながら、資格や経験によって著者の信頼性を高めるため、彼あるいは彼女の名前以上の情報が必要というなら、その記事を読むことをユーザーに促すため、ページの最初1行の経歴の要約を追加すべきである。

長い経歴は補助的なページに先送りして、著者名からリンクさせるべきである。しかし、名前にeメールアドレスはリンクしないほうがよい。その理由は2つある:

  • 名前をクリックすると、eメールが立ち上がるというのはユーザーにとっては気が散るものである。そうではなく、新しいウェブページが表示されるというのが、ウェブのリンクをクリックしたときに期待されている反応だからである。(このことは1999年のデザインの間違い・トップ10の4番目に挙げられていた。しかしこの間違ったデザインは13年経った今もまだ残っている)。
  • ユーザーには、著者についてのことを読んで知りたいという傾向のほうが、著者に連絡を取るということよりも強い。したがって、連絡を取れるようにしたほうが適切な場合には、経歴ページの最後に問い合わせ先を追加すればよい。

ブログのユーザビリティについての記事で書いたように、少なくとも、経歴ページを別に設けるときには、著者の経歴の中に肖像写真を入れるべきである。これには標準的な顔写真か、(農家の人が農業について書いている場合にはトラクターに座っているところのような)その記事に関連したことを著者がしている、動きのある写真がいいだろう。

そして、著者の経歴ページにはそのサイト上のその著者の他の記事へのリンク集を入れるべきである。ブログや他サイトへの投稿がその著者単独での仕事の中心であればこの限りではないが。