フィールドワークのもう一つの効用
ユーザの利用状況を把握するために、インタビューや観察といったフィールドワークの手法を用いることが注目されている。
こうした質的手法に対する再評価は、心理学の分野でも同時的に発生しており、従来の仮説演繹的な実験中心の定量的アプローチに対して、仮説探索的な定性的アプローチが再評価されている。心理学の場合、20世紀初頭に物理学を目標として人間に関する科学的学問になろうとするモチベーションがあり、そのために統計的手法を駆使した実験的アプローチが一頃は心理学の典型であった。しかし、実験的アプローチによって一定の成果を収めた現在、実験や統計の利用は微細な現象を取り上げるという路地に入り込んでしまった。そのため、改めて人間を見つめ直そうとする人々は質的な手法に注目するようになったのである。
ユーザビリティの分野では、1990年代まではその活動の中心は評価であり、設計の全体プロセスに対して関わるという発想は少なかった。製品のコンセプトを立案する企画の段階では、統計的手法を駆使したマーケット調査が中心的に用いられており、そこにはユーザビリティ担当者の入る余地はないと思われていた。しかし、人間中心設計の考え方とプロセスモデルがISO13407によって提示された頃から状況が変化してきた。ユーザビリティという側面は、単に仕様のバグを見つけて修正することではなく、そもそも製品のコンセプト策定の段階から考慮されるべきものだと考えられるようになったからだ。
そのために、最近では、上流工程でのユーザ調査にユーザビリティ担当者が入り込むケースが多くなったし、マーケット調査の担当者がユーザビリティの手法に注目することも多くなった。そこでは、ユーザが実際の生活や業務を行っている環境の中で、ユーザに関する情報を集め、そこから仮説を構築する、すなわちユーザビリティの視点から改善すべき課題を発見する、という活動が行われている。そのための手法としてインタビューや観察が用いられるようになったのだ。
実際にそうした手法を用いてユーザの調査を行うと、たしかに統計的手法と比較してサンプル数は少ないのだが、ユーザに関して得られる洞察には豊かなものがあり、その魅力にとりつかれてしまう人が多い。インタビューや観察では、与えられたデータを解析することに主眼があるわけではない。むしろ、見聞きしたものの中から、自分の洞察や直感によってデータを見つけ出すことが重要なのだ。もちろん人によって向き不向きはある。他人に対する共感性、つまり他人の立場に立ってものごとを考えたり感じたりすることが苦手な人には深い洞察は困難である。見聞きしたものを見聞きしたとおりにしか理解できないような人にも向いているとは言えない。しかし、ある意味では、そうした点は実験や統計的手法においても共通していたのではないだろうか。実験データを裏まで読み通す力のある人が有能な実験心理学者であったのと同じように。
このように、定性的手法が直感や洞察を必要とすることは、そうした手法を利用することで、直感や洞察力に磨きをかけることにもつながる、と私は考えている。数字だけを見るのでなく、実際のユーザの行動を見ることの方が、実感をもって問題を理解することができるのだ。ユーザビリティテストでは、ユーザが問題に直面した部分だけを集めたハイライトビデオを作成することが多い。これは開発の関係者に対する甘やかしといえなくもないが、やはり現場の情報が持つ力を示しているといえる。
そのような意味で、私は、開発の関係者、つまり設計者やデザイナ、研究部門の担当者、企画担当者、営業担当者、マニュアル作成担当者、アフターサービス担当者など、すべての関係者に、こうしたフィールドワークの現場に立ち会い、ユーザの姿をその現場で自分の目によって確認することを勧めたい。何がどのように問題であり、開発をどのような方向に進めるべきかという情報を得るのには、フィールドワークの現場に立ち会うことが一番良いと考えている。これは一種のセンシティビティトレーニングでもあると思う。ユーザとその状況に対する感受性を育てることは、本当の市場のニーズに適合した製品を作るために不可欠なものだからだ。