人工物発達学の提唱

一年ほどまえから人工物と人間との関係について、ユーザ工学と民族学や歴史学などとの連携を考えていた。それがようやく最近になって、人工物発達学という構想につながった。ここでは、その考え方を紹介したい。実際の研究は、この四月から開始する。興味のある方とは連携してやっていきたいと考えている。もちろんメーカーからの奨学寄付金も歓迎です(^_^;)

人間の意識的行動は何らかの目標を達成するために行われており、それを支援するために様々な人工物(artifact)が工夫され、製作され、利用されている。しかしながら人工物は、同じ目的であってもその実現形態の異なる場合が多く、同一の目標達成のために、世界中で、また歴史的に、さまざまな道具や機器が考案、製作され、利用されてきた。また現在でもそのような状況が継続している。

人工物発達学(artifact development theory)では「人工物の発達」をユーザ工学(user engineering)的に研究するアプローチを提唱する。すなわち、人々が生活における目標を達成するために、どのような人工物を開発し利用してきたか、それはどのような経緯や理由、そして必然性によるのか、なぜそれらの人工物は「その」形をとり「それ以外」の形をとらなかったのか、それによって人々はどの程度満足し、あるいはどのような不満を抱えているのか、などを明らかにする。

道具や機器は、同じ目標であってもその実現形式が異なる場合が多く、同一の目標達成のために、世界中で、また歴史的に、さまざまな道具や機器が用意されている(きた)。しかし、従来の比較文化学では、それらの差異に注目するものの、さらに一歩踏み込んで、なぜそのような差が発生したのか、なぜそれぞれの特有のデザインが生まれたのかという「なぜ」という視点を持っていなかった。ここに人工物発達学特有の視点が必要と考えられたのである。

人工物の発達においては、以下のような要因(まだこれ以外にも考えられる)が関係していると思われ、その結果としてそのバリエーションが時代を経るごとに、また各地で生まれてきたといえる。

  1. 製造に関する特性
    • 原材料の入手容易性
    • 加工装置の利用可能性
    • 製造コストの低さ
    • ブランド力(デザイナの知名度)
    • 対象物の特性
    • メンテナンスサービスの水準
    • デザイナの美意識
  2. ユーザに関する特性
    • 利用状況(緊急、一時的等)
    • 利用環境(物理的、社会的)
    • 想定されている耐用年数
    • ユーザの購買力
    • ユーザの維持費支払能力
    • ユーザの利用能力(リテラシー)
    • 利用目的の分割レベル
    • ユーザの集団帰属意識
    • ユーザの美意識
  3. ユーザの所属集団の特性
    • 所属集団の伝統回帰傾向
    • 所属集団の斉一性
    • 所属集団の歴史的経緯

人工物発達学では、民族学や民俗学、社会学、ユーザビリティ工学などで用いられているフィールドワークを基本的な方法として採用する。ユーザ工学では、箕浦のマイクロ・エスノグラフィ(micro-ethnography)やGlaser, Strauss, Crobin等によるGTA(Grounded Theory Approach)などがフィールドワークの母体となっているが、それらの元となった伝統的な民族学や民俗学の手法も採用する。いいかえれば、現場主義、当事者主義をそのスタンスとし、2-3週間から2-3ヶ月の現地調査において、自然観察や面接の手法を用いる。なお、可能な状況では、Holtzblattが提唱した文脈における質問(contextual inquiry)の手法も利用し、弟子入り状態(apprenticeship)の状況における学び方も採用する。歴史的経緯については、文献調査や聞き取り調査をもとにして、人工物の推移の経緯、およびその理由等を調査する。

こうして集められた民族学や歴史学的なデータをまとめるのが次のステップとなる。それらのデータを相互に比較し、時に年表を作製し、あるいはそれぞれの人工物の設計や利用法について要因分析を行う。こうした分析によって、同一の目標達成に対し、どのような多様性がどのような経緯や理由から生まれてきたのかを明らかにする。

このアプローチによって、従来の民族学、民俗学、歴史学、考古学、社会学などの伝統的人文科学に、人間工学やユーザビリティ工学、要求定義工学、経営学、情報工学、機械工学、制御工学、通信工学などの工学系の知見を加えることで新たな視座を導入することができると考える。

さらに人工物の設計や開発、運用に対する有用な知見を得ることで、これからの製造業やサービス業における機器開発やシステム運用に対し、その方向性を考えるための指針を与えることになると考えている。つまり、ユーザの顕在的ニーズや潜在的ニーズ、あるいはユーザ自身が気づいていない必要性についての情報にもとづいて、何らかの新たな人工物を企画・設計する場面において、どのような条件(要因)をどのように考慮し、どのような企画・設計を行えばいいかに関する指針が得られる。

公開:2007年6月11日
著者:黒須教授

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