GTAの変則的利用法

質的な調査が頻繁に実施されるようになって、その分析方法としてGTA (Grounded Theory Approach)が利用されることも多くなったように思う。

  • 黒須教授
  • 2010年10月1日

質的な調査が頻繁に実施されるようになって、その分析方法としてGTA (Grounded Theory Approach)が利用されることも多くなったように思う。元は看護学など特定の分野で利用されてきた手法だったが、最近ではユーザビリティやマーケティングの調査にも利用されることが増えてきたように思う。

この手法によって分析されるデータは、主にインタビューデータであり、正統的なやり方では、オープンコーディング、アクシャルコーディング、セレクティブコーディングという3段階のコーディングを行い、カテゴリー関連図を作成するという、時間のかかる地道な作業を必要とした。しかしMAXQDAといったソフトが登場してからは、インタビューの書き起こしデータをソフトに入れて、Code付けをしながら発話を整理分析していくというやり方が多くなっているようだ。ともかく地道なデータ分析を通して、データに内在している構造を明らかにしていく、という点にそのポイントがある。それを経て、はじめて理論(あるいは仮説)が構築されうる、という訳である。

ただし(ちょっと古いデータではあるが)2004年における調査では、GTAを利用している研究は質的研究全体の9.3%に過ぎない(戈木クレイグヒル滋子 2006による)。それ以外は、内容分析やKJ法などが使われているらしい。いいかえれば、質的研究だからといってGTAを使わなければならない、ということはなく、それ以外のやり方によっても質的研究は可能なのだといえるだろう。

ただ、GTAの特徴は、理論(仮説)がまだ良く見えていない状態で、データを分析し、徐々に理論形成を行ってゆけるという点にある。その点はKJ法なども同じであり、錯綜した事態の分析や未知の領域の分析については有効といえる。しかしその反対に、ある程度対象について理解ができているなら、仮説を構築しながらデータと理論構築を行き来するようなやり方も可能である、ということだ。

また、質的なデータの分析にはとかく分析者の主観が反映されやすい。もちろんGTAでもそれを完全に排除することは不可能だが、GTAを使うもうひとつのメリットは、利用した手法を明示することにより、その分析の相対的客観性を示せる、いいかえれば、単純に直感的な思いつき(思い込み)で分析をしたのではないと主張できるという点にある。

最近、過去のインタビュー調査の分析をしていて、そのあまりの量に、さてGTAを適用しようか、そしてこれをすべてMAXQDAでちゃんと分析していくべきかどうか、迷ったことがある。しかし考えてみると、これらのデータについては、すでに何回かデータを読み返しており、その内容のポイントは頭に入っていた。

そこで、GTAを変則的に利用することにした。要するに、GTAの結論を表現するカテゴリー関連図(パス図)を先に書いてしまうのだ。インタビュー調査の内容があらかた頭の中に入っていれば、どのようなキーワードが重要であり、またどのような要因を考慮すべきかは、あらかじめ予想がつく。それらのキーワードや要因を書き出して、それに順序関係の矢印をつけ、カテゴリー関連図の原型とでもいうべきパス図を作成してみた。それなりに論理が明確になるように、その順序づけなどについては相当の注意を払った。

さて、そのカテゴリー関連図の原型ができてみると、それなりに理論っぽく見える。しかし、これで安心してはいけない。これだけでは自分の主観性が多量に含まれている可能性があり、それを排除する必要があるからだ。そこで、関連図にでてきたキーワードや要因を階層構造に整理して、それをMAXQDAのCode Systemとしてそれを利用することにした。

内容がある程度わかっているから、Codeを付ける作業はかなり楽である。ただ、Codeが用意されていないにもかかわらず、重要そうな発言に出くわすこともある。そうした時には新たにCodeを付与する。このあたりの作業にMAXQDAを使うメリットがあり、主観性を排除する助けにもなる。

こうして改めて「修正」カテゴリー関連図を作成する。そこには最初の版には見られなかったノードやリンクが含まれている。そして、結果的に、作業全体の工数は(定量的には表現しがたいが)大幅に削減された。

たしかにGTAは便利で有効なツールであるが、こうしたツールを利用するときには、マニュアルに指定された通りに実行するだけが能ではない。まったく新規なテーマであり、まだ書き起こしデータをきちんと読んでいないような段階では、型どおりの分析を行うのがいいだろう。しかし、ある程度内容について理解しており、また結果についても予想がつくなら、その情報を利用しない手はない。

これが現在のGTAに対する私のつきあい方である。改めて考えてみると、ツールに依存しすぎるのは良くないとも思う。やはり大切なのはデータだ。それをじっくりと読みこなしていくことがまず一番大切なことだろうと思う。

振り返ってみれば、レヴィ・ストロースのような文化人類学者はGTAを使っていない。たぶんKJ法もあまり使っていない。それで「悲しき熱帯」やその後の著作に見られるような意義のある著作を著している。要するにどのようにしてデータを得るかということと、そのデータをいかに咀嚼するかということがポイントであり、ツールに過度に依存する必要はないということになる。レヴィ・ストロースの構造主義についても、初期の段階では、自分の洞察によって構造的図式を発見し、それを抽象化して構造の抽出を行っている。そのような先例を見るなら、もちろん彼ほどの洞察力や知的ベースがなければならないとはいえ、必ずしも特定の手法に頼らなければならないことはない、といえるだろう。