累積的UXとはなにか

全体的UXをある時点に集約して考えることは可能ではあっても、それをそれまでの評価値から説明することは困難である。UXの評価の動的な変化に注目し、どのような側面がその高い/低い値をもたらしたのかを定性的に考察するアプローチ以外には、UXを全体的に把握することはできないし、その意味もない。

UX白書の記述

UX白書』(2011)は、UXに関する未整理で混沌とした当時の状況に一石を投じたものであった。編者のRoto等は、なかなか良い指摘をしているが、長期的な視野にもとづいた累積的UX(cumulative UX)という概念を提示したことはその特徴の一つである。なお、白書のもとになったDagstuhl Seminarには僕も参加したが、白書の執筆はRoto達だけでやったことである。

さて、累積的UXがどういう概念かというと、白書では「システムをしばらく利用した後に抱くシステムについての全体的な見方(views on a system as a whole, after having used it for a while)」と定義している。そもそも、ここで累積というニュアンスがあるのは、「しばらく利用した後に」の部分だけであり、前半の部分からは、累積的というよりは全体的というべきニュアンスが読み取れる。(なお、白書では、人工物という言い方をせず、システムという用語を使っているが、一般的な製品や大規模システム、サービスなどを含んだ人工物全般のことと考えて問題はないだろう。)

また白書の図2では、「経験を想像した」ときの予期的UX、「何かを経験しているとき」の一時的UX、「ある経験を思い出しているとき」のエピソード的UXに加えて、「いろいろな時の利用経験を想起した際」の累積的UXと、合計4種類のUXを列挙し、それらを矢印で順に結んでいる。白書にはこれ以上の説明はないのだが、この記述からすると、累積的UXは、先に引用した定義と同様、三種類のUXを色々と思い出している時の(現時点での)全体的UXというべきことになるのだろう。白書の図1でも、累積的UXの範囲は、ユーザが人工物(システム)との関わりをもった全期間に及んでいる。

図
UX白書の図2 ユーザエクスペリエンスの期間、期間に関するユーザエクスペリエンスの種類を説明するための用語、異なる期間で生じる内在的なプロセス(『UX白書(日本語訳版)』より)
UX白書の図1 利用と非利用の期間からなる時の経過につれたUX(『UX白書(日本語訳版)』より)

累積的UXという考え方の適否

ここからが問題である。さて、累積的UXというのはどのようにして把握(評価)することができるのか、ということだ。実はRotoは、同じ2011年に、KujalaたちとUXカーブに関する論文をInteracting with Computersという雑誌に出している。Dagstuhl Seminarから白書の刊行時期までの半年程度の期間と一般には1年程度以上になる雑誌の査読期間とを考慮すると、UXカーブの論文の方が先に書かれていて、『UX白書』を執筆した時には、既にその内容が頭にあったと思われる。UXカーブというのは、魅力、使いやすさ、機能性、利用頻度の四つについて、時間軸上にフリーハンドでカーブを描かせるUXの把握のための手法である。カーブといっても、単純に単調減少したり単調増加したり平坦だったりするものではなく、実際にデータをとってみると、エピソードごとに結構上下するものであることがわかる。

下に掲載した2つの図は(UXカーブを改良した)UXグラフ僕らのチームでオンラインツールにしたものを使って作成されたサンプル事例で、大学教育というサービス活動に関する経験が記入してある。このカーブに見られる特徴は、このサンプルだけのものでなく、多かれ少なかれ、UXカーブではこのような上下動が認められる。これはサービスについてだけのことではなく、スマホやパソコンなどの製品を対象にした場合も同様である。

図
図 UXカーブの基になったエピソードの例(オンラインツールを利用して作成されたもの)
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図 UXカーブの例(オンラインツールを利用して作成されたもの)

さて、このカーブを見て「累積的」UXというのはどういうことを意味するかを考えてみたい。あくまでも累積的(cumulative)という言葉を使ってあり、全体的(totalとかentireとかwholistic)という言葉ではない。全体的ということなら、このグラフそのものが全体的UXであるということで、それ以上の話ではなくなる。しかし白書が使っている表現は累積的UXである。つまり、積み重ねられたUXという意味である。言外に、ある特定の値に集約されたもの、というニュアンスも感じられる。さらに現時点における経験値という意味合いも感じ取れる。

それでは、このカーブを構成している各エピソード点の座標を単純に合計すれば現時点における経験値が測定できると考えていいのだろうか。しかし、それでは上下動が相殺されてしまうことは容易に予測できる。それは単純平均を取っても同じ事である。そして、現在の気持ちが累積的UXを表現しているとは考えにくい。さらにそれは単純平均のようなものでもない。

たとえば、このインフォーマントは「現在の気持ち」を「研究室や就職、院のことで毎日頭がいっぱい」と書いて、なんと-7をつけている。それまでのエピソードとして、研究室や就職、大学院のことなどを書いていながら、それらに個別につけた評点に比べて大きくマイナス方向の値をつけている。バイトに連続して落ちた経験の-10に次ぐ大きなマイナス評価である。したがって現在の気持ちは、これまでの経験に対する現時点での総合的評価と見なすことも困難だし、「累積」という言葉のニュアンスとも違っている。

こうしたことから考えると、「累積的UX」という概念の「累積」という表現は、なんとなく勢いで命名してしまったもののように思われる。先に検討したように「全体」とか「総括的」といった言い方ならまだしも、個々の経験の累積という考え方については、そもそもそれを考えることに意味があるのか、という疑問すらわいてくる。UXを扱うには、全体変動を全体のまま把握し、さらに個々のエピソードとその評価値を個別にカテゴリー化して定性的に分析していくというERMの分析法の方が適切であるように考えられる(これはまた別の機会にご紹介したい)。なお、現時点での評価を何らかの回帰モデルで過去の評価値から説明できる可能性には魅力が感じられるが、UXカーブからUXグラフ、そしてERMによって多数のデータを取得して分析してきた僕には、それはかなり難しいことのように思える。

ミルとカーネマンの考え方

ところで、経験の総合的評価(累積的評価と考えてもいいが、累積的という言い方の分が悪いことは既に書いたとおりである)について、ちょっと視点を変えて、経済学における効用(utility)について考えて見たい。効用は満足(satisfaction)としても表現されるものであり、分野こそ異なるもののUX評価に関係づけることが可能であろう。

ミルの考え方

18世紀のミル(Mill, J.S.)は、『道徳および立法の諸原理序説』(1780)において、

一方においてすべての快楽を、他方においてすべての苦痛を総計する。もしも、その差し引きが快楽のほうに多いならば、それはその個人の利益について、その行為に全体としてよい傾向を与えるであろうし、もしも、その差し引きが苦痛のほうに多いならば、それは全体として悪い傾向を与えるであろう。(山下重一訳)

と書いている。この考え方を適用するなら、プラスの値の総和とマイナスの値の総和(の絶対値)をとり、その大小を比較すれば良いことになるが、僕が別のデータで計算したところ、その値と現在の評価との間の相関はなかった。

カーネマンの考え方

次にカーネマン(Kahneman, D.)たちの「ピーク・エンド・ルール」(1993)を考えてみたい。彼の実験は、ほとんどが苦痛を与えるもので、たとえば冷たい水に手をいれさせておいて苦痛の極み(ピーク)を与えておいて、そのままにするか、それとも最後に水温をちょっとあげてやる(エンド)かによって、もう一度やってみてもいいと答えた被験者の数が違った、というような構図のものである。

そして最終的な評価(ここでは現時点での評価に対応すると考えて良いだろう)は、ピークからエンドに至る変動によって決定されるとした。つまり、冷たいままでエンドを迎えた被験者はもうやりたくないと思ったが、ちょっとぬるくなってエンドを迎えた場合にはまたやってもいいと思ったというわけである。それによって、ピークとエンドの関係によって評価が決まるとした。これがピーク・エンド・ルールである。

しかし、これはごく短時間の実験的状況における効用を調べたものであり、多様な特性が関係してくるリアルな人工物利用の状況にあてはめることは難しい。それはミルの場合と同様、相関がないという計算結果によって確認された。

また『行動経済学入門』(2017)において山根承子はカーネマンのプロスペクト理論の読み方として

例えばプロスペクト理論によれば、利得領域では価値関数は逓減的な形状であり、損失領域では逓増的な形状をしている。利得は一度にまとめて受け取るより、小さく分けて何回も受け取る方が合計のうれしさは大きくなる。一方、損失は小さい損失を何度も受けるより、一度に受けた方がダメージは小さく感じる。

と書いており、たしかにそのような理屈も考えられそうに思われるが、この考え方にしても、経験値について得た評価値が時間的に変動するという事実には当てはまっていない。

このような理論の不適合は、経済学理論における利得に関する満足と日常経験に関する満足とが、共に満足(satisfaction)という概念に還元されるとしながらも、そもそも違った概念であるということ、いいかえれば利得という一次元に換算された指標と日常経験の多次元性という性質の異なり具合からおきたことに関係している、と考えられる。

まとめ

こうした検討から導かれる結論として、

  1. 累積的UXという表現は不適切であること
  2. 全体的UXをある特定時点に集約して考えることは可能ではあること
  3. しかし、それをそれまでの(上下動する)評価値から説明することは困難であること
  4. さらに、そうした値を取得しても、それが以後ずっと安定的に継続する保証はないこと

などが言えるだろう。

要するに、UXの評価は時間的に変動するものである、ということを大前提として、その動的な変化に注目し、どのような側面(原因)がその高い、あるいは低い値をもたらしたのかを定性的に考察するというERM(やUXカーブやUXグラフなど)のアプローチ以外には、UXを全体的に把握することはできないし、その意味もない、ということになる。