地政学的HCI

地政学(geopolitics)とは、地理的要素と政治との関係を扱い、生活体としての国家を動的に把握するもののようである。その程度の理解だったが、INTERACT 2021で“Geopolitical HCI”というワークショップが開かれると聞き、ちょっと興味をもった。

  • 黒須教授
  • 2021年10月19日

地政学(geopolitics)の流行

ある研究者の調査によると、「地政学」をタイトルに含む本の出版点数は、1990-1999には17、2000-2009には34だったのが、2010-2017には既に91を超えているという。彼らによると、これは1940年代前半のブームに匹敵するものなのだそうだ。たしかにYouTubeのタイトルでも「地政学」を含んだものを見かけることが多くなったように思う。

地政学(geopolitics)については、政治地理学(political geography)と同様に地理的要素と政治との関係を扱うものの、政治地理学が領土と国民との静的な関係性について焦点化しているのに対し、地政学は生活体としての国家を動的に把握しようとするもの、というように位置づけられるようである。だが、元々この分野の専門家ではない筆者には厳密な定義は十分に理解できていない。ただ一般論として、台湾や尖閣諸島、南沙諸島などを巡る最近の中国の動きや、第一列島線とか第二列島線という中国の海洋進出の動きが、地政学「的」な観点から論じられているのを耳にする程度である。

地政学的HCI (Geopolitical HCI)

その程度の理解しかない僕のところに、INTERACT 2021で、友人のTorkilが“Geopolitical HCI”というワークショップを開くという話を聞き、ちょっと興味をもった。僕にはもともとそういう問題意識は全くなかったが、政治や民主制に関する関心はある。そして、日本だけでなく欧米でも地政学は流行しているのかという点と、それをHCIにどう結び付けようとしているのだろうか、という点に興味をひかれたのだ。

具体的なイメージがわかなかったので曖昧な返事をしておいたが、先方から届いたプログラムを見ると、テーマを考える視点というものが次のようになっていた。

  1. 地政学的HCIの定義
  2. HCIの記号論(例、ユーザ中心的vs.人々中心的)
  3. HCI研究における地政学的実体としての国家的HCIコミュニティと領域的HCIコミュニティの出現
  4. 異なるHCIコミュニティの価値や知的主張、研究課題、及び人々
  5. 地球規模での実践(e.g. UXPA) vs. 研究(e.g. SIGCHI, IFIP)
  6. ローカルなHCIとビッグ・テックのHCI
  7. 開発のためのHCI (HCI4D) vs. 軍事目的のためのHCI
  8. 地政学的な論争の場としてのHCIの学会
  9. HCIとガバナンス e.g. 自由な民主制における参加型デザイン、マルクス主義的民主主義、etc.
  10. その他 (参加者各位の考えを示してください)

これはこれで面白そうではあったが、意味不明なものもあったし、必ずしも地政学とは関係なく、政治学という概念枠であったり、国家とは別の枠組みでの力関係の話のような気もした。

まず1「地政学的HCIの定義」は、ワークショップの最初に議論されるべきものだろうが、まず主催者としての仮説提示がなかった。

2「HCIの記号論」は、特にどこが記号論なのかという点と、people-centricと言う概念が分かりにくい。だからuser-centricとの関係を議論すると言われても、意味がわからない。さらには地政学との接点が見えてこない。

3「HCI研究における地政学的実体としての国家的HCIコミュニティと領域的HCIコミュニティの出現」は、HCIのコミュニティは確かに国(たとえば日本のHI学会)や地域(たとえば北欧のNordiCHI)や世界規模(たとえばSIGCHIやINTERACT)などがあるけれど、それらと地政学との接点が分からなかった。まあ、政治がらみといえば、国際会議のプログラムに国名が表記されるような点かな、とは思えた。先日のHCII 2021では、台湾をChinese Taipeiとしたりしていたなあ。これは政治的な話ではあるけど、地政学と関係するのかなあ。まあ台湾問題は地政学的問題ともいえるだろうけど。

4「異なるHCIコミュニティの価値や知的主張、研究課題、及び人々」は、たしかに世界には3で指摘されているような様々なHCIコミュニティがあって、国際会議では国によってテーマの取り上げ方に特長はある(たとえば日本だと感性工学があったりする)が、それは地域差や文化差のようなもので、これまた地政学との関係性が見えなかった。

5「地球規模での実践 vs. 研究」となると、学会の方向性や参加者の方向性の話で、地政学が関係しているとは考えられなかった。

6「ローカルなHCIとビッグ・テックのHCI」については、ローカルというのが地域性のあるHCIということで、ビッグ・テックであるGAFAMはたまたまアメリカという国をベースにしたグローバル企業であるということにはなるんだろうけど、それはビッグ・テックがアメリカに固有の競争原理にもとづいているとしても、地政学の問題なのだろうか。もしかして、彼らが世界征服をしているとかいう点が地政学的なんだろうかという疑問が沸いた。

7「開発のためのHCI (HCI4D) vs. 軍事目的のためのHCI」については、まずHCI4D(HCI for Development)は多文化的な発展途上国における人々とコンピュータの関係の最適化、そしてシステム設計や製品設計に関わるものなので重要な課題であり、地政学との関係もでてくる可能性があるだろう(Kelechi 2011)。また軍事についての応用も、地政学との関係がでてくるだろうと思えた。ただ、その両者をvs.でつなぐ必要はないだろう。平和利用対軍事利用という形での対比なのだろうか。

8「地政学的な論争の場としてのHCIの学会」で言っている大会がHCIの国際会議のことだとしても、そこで国ベースの議論や意見対立が起きているとは思えないので、やはり疑問符が付く。

9「HCIとガバナンス」については、たしかに参加型デザインは自由主義的な民主的デザインを体現できる可能性があるだろうけれど、マルクス主義的民主主義というのはあるのだろうかという疑問があった。プロレタリアート独裁が真の民主主義だという主張には首を傾げてしまうからだ。しかも「地」つまりgeoと関係ないでしょ、と思った。

10「その他」は、ちょっと議論の発展を参加者にゆだねてしまっており、主催者としてはそれを放り投げてしまっているような印象があった。

という具合で、ほとんどが地政学とは縁遠いテーマ設定のような気がしていたのだが、案の定、議論では、どこそこの学会の採択率は厳しいとか、どこぞの国では研究者とみなされるためにはこれこれの資格要件がある、といったような話題で盛り上がってしまっていた。参加者は皆、geopolitical HCIというテーマ設定を良く理解できないまま議論しているようだった。

筆者の問題提起

筆者は地政学が国という単位を基軸にしていると考えて、国を地理的に成立させている国境のことに関連して、インターネットのブロッキングが国ごと、つまり国境の範囲内において行われているという現状について問題提起をした。DVDやBDのリージョンコードも問題にしたかったが、今回は触れなかった。今回、引用したのはReporters without Borders (国境なき記者団)というグループの出している“Enemies of the Internet”という世界地図だ(図1)。

図1 インターネットの敵、とされた機関(from Reporters Without Borders (2014) “Enemies of the Internet”)

筆者の論点は、こうした国ごとの規制が可能になってしまうのは、インターネットがケーブル(光、メタル)によって各国間で接続されているからではないか、という点にあった。たとえば海底ケーブルであれば、こんな具合になっているらしいよ、という図2を示した。それで、ワイヤレスで国々の間が接続できるようになれば規制のしようがなくなるだろう、などというボーダーレスインターネットの夢想を語ったのだ。…反応は悪かったが。

図2 海底ケーブルネットワーク(TeleGeography Submarine Cable Map)

ともかく、今回のワークショップは、HCIに関する問題提起として大きな方向性としては悪くなかったと思う。今後、もう少し問題点を精査して、充実した議論ができるようになることに期待している。

引用文献

浜由樹子、羽根次郎 (2019) “地政学の(再)流行現象とロシアのネオ・ユーラシア主義”、RRC Working Paper No. 81

Kelechi Edozie-Anyadiegwu (2011) “HCI4D: The Emerging Discipline of Human Computer Interaction For Development”, ICT Works

Kurosu, M. (2021) “Internet Should Be Borderless”, INTERACT 2021 Workshop on Geopolitical HCI

Reporters Without Borders (2014) “Enemies of the Internet

PriMetrica, Inc. (2021) “TeleGeography Submarine Cable Map” (2021年10月18日閲覧)