いま、HCIに必要な、問題解決型アプローチ

UXという概念が広く使われるようになり、ユーザビリティは地味くさくて古いキーワードだ、といった見方が強まってしまった結果が、現在の状況である。しかし、HI研究にいま一番求められているのは、ユーザビリティの問題を見つけ、あるいは予見し、それを解決しようと努力することだと思う。

むかしの話

先日、ヒューマンインタフェース学会の総会で講演をさせていただく機会があり、「HCI研究のあり方とHI学会の将来」という話をすることにした。冒頭、コンピュータの歴史を概観したが、僕がHCIとかUIの世界に入った時期、つまりENIACが登場したりMEMEXのコンセプトが提示されたりNLSがデモされたりした時期ではなく、およそ1980年代からのことを中心にした。ちょうどパソコンが登場し、オフコンやミニコンが盛んだった時期である。

その頃から、コンピュータのユーザが、専門家から一般ユーザに拡大し、その使いにくさや難しさが問題となって「使えないコンピュータ」とか「動かないコンピュータ」などというフレーズが話題になったりもした。その結果、使いにくさという問題を解決しようという動きがでてきて、Nielsenがユーザビリティ工学を提唱したり、ISO 9241-11とかISO 13407、ISO/IEC 9201-1などの規格も整備された。それが1990年代のことだった。

また、同時にそれは、HCIとかUIといったテーマで学会が設立された時代でもあった。それらの学会ではユーザビリティに関する問題も討議されたし、GUIの研究にはじまり、virtual realityとか、scientific visualization、CSCW (Computer Supported Cooperative Work)などといったコンピュータを利用した新しい領域を模索する動きもでてきた。XeroxのPARCやMITのメディアラボの活動が注目されたのもそうした時代だった。

スイスチーズとなったHI学会

1980年代から1990年代は、問題解決と領域開拓の時代だったといえる。問題としてはユーザビリティがあり、開拓すべき領域は人間の活動全般にわたっていた。特に前者については、狩野モデルでいうなら「当たり前品質」を達成しようとする努力であったといえる。

しかし、2000年代に入ってウェブが普及し、そこでの使いやすさが企業の営業利益に直結することが知られるようになって、ユーザビリティ活動のニュアンスが変わってきた。要するに、難しくて使えないことをなくすことも重要だが、さらに使ってみたいと思える魅力作りに力が入れられるようになったのだ。狩野モデルでいえば「魅力的品質」を増強しようという動きである。

もちろん魅力作りは大切だが、当たり前品質が満足できる状態になったから魅力的品質に焦点が移行したのかというと、そうとは言えない。いわば、当たり前品質に関する地道な活動を放り出して、陽の当たる魅力的品質作りに人々の関心が移行したような状況だった。

さらにUXという概念が広く使われるようになって、ユーザビリティって概念は地味くさくて古いキーワードだ、といったような見方が強まってしまった。その結果が現在の状況である。いいかえれば、一部の関係者は問題解決への地道な努力を怠るようになってしまった。さらに領域開拓への努力も、どういうありがたさがあるのか分からない、どのように役に立つのか分からないような、単に新奇性、悪くいえば珍奇性を追求するだけのような方向に向いてしまった。

なお悪いことに、そうしたHCIから生まれた「子供の領域」たちは、どんどん母体であるHCIから離脱し、独自の学会を作るようになってしまった。具体的な例は、たとえばHI学会の総会資料に3ページにわたって掲載されている「内外の関係機関との提携、および交流について」というリストを見てみれば良い。そこには、インタラクション、モバイル、知能システムシンポジウム、コンピュテーショナル・インテリジェンス研究会、HCD-Net、日本感性工学会、等々の多数の組織活動が紹介されている。これらの活動の多くは、本来であればHI学会で発表され討議されてしかるべきものだったといえる。つまり「子供の領域」がどんどん自立してしまったため、本体であるHI学会は、たくさんの穴のあいたスイスチーズ(エメンタールチーズ)のような状況になってしまったのだ。

一番求められているのは、問題の発見・予見・解決への努力

HI (HCIでもUIでもいいのだが)の領域は、こうした経緯をたどり、今ではHI学会の会員数も漸減しつつある。それを時の流れだと悠長に眺めていていいのだろうか。もうHIとしてやるべきことは無くなったのだろうか。僕はそうは考えない。それではHIの領域をふたたび活性化させるにはどうすれば良いのだろうか、ちょっと考えてみたい。

そのための鍵が問題解決型アプローチへの復帰だと僕は考える。ユーザビリティの問題がちゃんと解決されないまま、関係者の活動の焦点がシフトしてしまったという経緯を鑑みれば、あらためてユーザビリティの問題に取り組むというアプローチがひとつ考えられる。

しかし、問題はそれだけではない。ユーザビリティに代わって中心的概念の座を占めたUXについては、その設計開発や評価分析に関していろいろな手技法が開発されてきたが、そもそもUXという概念がきちんと固定されていないため、今では何でもありのような状態になっている。All About UXのサイトはそれを単に列挙するにとどまっている。デザイン思考というキーワードが、その新鮮さの故に流行したが、それとUCDやHCDの考え方ややり方との対応付けすらきちんとなされていない。ユニバーサルデザインやアクセシビリティとの関係も未整理のままである。さらにHCDという概念を提起したISOの規格そのものも揺らぎを示している。またサービスという活動を取り上げるようになったのは良いことだと思うが、サービスのための設計プロセスや評価方式も未完成である。デザインや設計の担当者の選抜や育成に関する考え方や手法も未開拓のままである。U-Siteに関係する話題に限定しても、ざっとこれだけの問題が残されている。いや、ちゃんとリストすればまだ出てくるだろう。

それ以外の領域でも、たとえば、近い将来については、AIやロボットの進出によって職を奪われる人たちをどうするのかという問題がある。それらの技術開発をしている人たちは、技術を先に進めることだけに注力しているが、技術をどのように生活や業務に取り込めばいいかという人間サイドからの研究が行われていない。技術には限界があるはすで、その限界を埋めるために人間との協調が必要になる領域もあるだろう。その協調をどのような形で実現すればいいかを考えるのはHI関係者の責務だといえないだろうか。

単にスマートウォッチが出てきたから、スマートスピーカーができたから、ワッと飛びついてみて、ああ、あの程度のものじゃまだまだだ、などと感想を述べているだけでいいのだろうか。スマートウォッチやスマートスピーカーをもっと本当に利口にするためには、どういう使い方や利用場面が考えられるのか。それを考えることをメーカーやサービス提供者だけに任せておいていいのだろうか。研究領域として取り組むべきではないのだろうか。

問題を見つけ、あるいは予見し、それを解決しようと努力すること。これがHI研究にいま一番求められていることだと思う。

公開: 2018年4月25日
著者: 黒須教授