2045年問題を心理学的に考える

今回扱うのは、2045年問題、つまりコンピュータの指数的発達によって到来するであろう特異点のあり方とそれへの対処法についてである。これは広義のインタフェースにおける問題でもある。

  • 黒須教授
  • 2015年3月26日

タイトルは前回に似ているが、心理学をベースにして活動してきた筆者は、どうしても色々な問題についてそういう見方をしたくなるのだ。今回扱うのは、最近注目を集めている2045年問題、つまりコンピュータの指数的発達によって到来するであろう特異点、すなわち「コンピュータが人間を超える日」のあり方とそれへの対処法についてである。これは広義のインタフェースにおける問題でもある。

1. 知情意

人間の精神の働きを知情意に区別する考え方は昔から哲学の世界に存在した。近年は認知と感情の関係に関する研究が心理学のなかでも活性化してきており、両者の関係についての知見は深まりつつある。その一方、意、特に意志という概念についての心理学というのは学会レベルでもあまり耳にしない。意欲についての研究は動機付けと関連して多くなされているが、特に意志という概念的位置づけは明確ではない。

さて、2045年問題についていえば、それは知情意のなかで知を重視する主知主義(intellectualism)の延長上にあるともいえる。コンピュータは確かに進歩してきたし、さらに進歩するだろう。ただ「計算機」という名前であったように、当初は知的情報処理のうちでも計算能力に関する代行機器であった。それがAIやパターン認識の時代を経て現在に至り、単なる計算から高度な情報処理を行うことになり、知的機能代行として多面的にその能力を発揮するようになった。

他方で、情と意についてのコンピュータ処理はほとんど進んでいない。affective computingといった領域もあるが、コンピュータが行っているのはもっぱら知の機能代行となっている。これは前述の主知主義的アプローチと同じように見て取れる傾向なのだが、なぜそうしたアプローチが取られてきたかというと、知的な能力については論理的に代行ないしは外在化が可能だったし、また人間の知的情報処理能力の限界が自覚されたためにそうした機能代行が求められたからだろう。

2. 知的情報処理の行方

コンピュータによる知的情報処理は、少なくとも一般のユーザにとっては完全なブラックボックスである。いや、専門家ですら、チェスや碁のプログラムを作ることはできるが、コンピュータが次にどのような手を打つかを予想することはできない。コンピュータの知的処理はそのレベルまで進んでしまっているのだ。専門家もアルゴリズムを説明することはできるだろうが、その動作と結果の予測は人間の認識を超えてしまっているのだと思う。いいかえれば、コンピュータから得られた結果を途中経過はさておいて、そのまま使うという状況になっている。多変量解析しかり、ビッグデータ処理しかり、である。

他方、情と意については、それらが人間独自のものであり、特にコンピュータに機能代行をさせる必要性がそもそも無かったから、そのコンピュータ処理への関心が低かったということになるだろう。ただ、コンピュータが進歩して、コンピュータ対人間のインタフェースが人間対人間のようなものになるためには、コンピュータが情や意を持つことが必要かどうかは別として、人間の情と意を理解できるようにすることは必要だろう。たとえばオフィスの受付業務をロボットに代行させるとしても、知的情報処理だけではそれはきわめて不自然なものになるだろう。そのあたりの研究は、しかしながらまだ緒についたばかりである。

このまま知的機能の代行部分だけを伸張させてゆくのは、コンピュータの利用が日常生活に進出しつつある現在、危険なことであるともいえるだろう。知情意のバランスの取れたコンピュータの進化が求められる所以である。ただ、それはコンピュータが情や意を持つことを必ずしも意味しない。自分(コンピュータ)に情や意がなければ他人(人間)を理解できないとするなら、コンピュータ自体にも情と意を持たせなければならないだろうが、そうでない可能性もある。人間の情と意を適切に認識することができるだけでも、かなり十分なコンピュータ対人間のインタフェースは構築できるだろう。反対に、コンピュータに独自の情と意を持たせることは、コンピュータに独自の人格を与え、コンピュータに自律的な判断をさせることにもつながることであり、良い方向に作用すればメリットがあるものの、悪い方向に作用するととんでもないことになりかねない。つまり両刃の剣になってしまう可能性があるのだ。

3. 柔らかい知

人間を理解する能力をコンピュータに持たせることを考えるなら、それは表情を読んだり、発話の意味を単に理解するだけでなく、その背後の心理状態まで推測できるようになることが必要だろう。しかし、そうした情と意に関する推測機能をもったコンピュータは、人間のために奉仕する存在でありつづけることができるだろう。知的情報処理だけが突出して進むのではなく、「人間の」情と意に関する情報処理の研究開発を進めることが2045年問題に立ち向かう一つのスタンスではないかと思う。